第13話 わた飴とチョコバナナ

「お疲れやす先生」


 中庭に設けられた休憩スペースのベンチでぐったりとへたり込んだ俺に彼女は労いの言葉と冷たいお茶を差し出す。当たり障りなく受け取って口に含んだ。ぼやけた景色。祭りの波の外へ身を上げ始めてオレンジ色の夕暮れが世界を遮断させていることに気が付いた。わずか数メートルの距離の違いだが目を凝らさなければ消えてしまいそうな曖昧さ、その幻想的な光景は少子化が進んで子どもがいなくなるぎりぎりまで大人が守っていくのだろうと悟った。


「美郷は?」


「アルバイトがあるって帰りはりましたよぉ」


 あの野郎。そう心の中で叫ぶ。


 彼女はわた飴を持っていた。


「……すみません、勝手な妹で」


「そんなんあらしまへん。優しい子です」


 そう言って高槻都が隣に腰を下ろす。先ほどまで一心不乱にメモを取っていた右手に中指にはタコができていた。


「妹が俺を荷物持ちにしたのは、夏祭りの取材だったんだな」


「あらぁ気がつかはりました」


 気が付くも何もあんなにスマートフォンでバシバシ写真を撮ってたらなんとなくわかる。しかし高槻都は美郷が祭りを堪能しているさなかにも手の平サイズの手帳を広げて高速で祭りの描写を書き上げていた。殴り書きでその場の雰囲気を記憶した手帳はあっという間に空白が埋まり、一般的な大学の夏祭りが若槻都によって色づかれ何倍にも魅力的になっていく。


 こうして間近で才能の片りんを見せつけられると感心よりショックの方が大きいが、彼女に面を喰らったような表情を晒すのはどうしても嫌だった。


 小説を書くというより描くために順応してきた人類。もしかしたら宇宙人かもしれない。だとしたらそんな相手に俺は勝つことができるのか?


「月見里先生、さっきからジロジロ見ていややわ」


 わた飴を舐める動作を中止して俺を眺めてくる。


「いや、そのわた飴おいしそうだなって思って」


 ぼそぼそと喋ることしかできない。そんなくだらない冗談を言うのが精いっぱいの抵抗だった。


「あげまひょか」


 皮肉めいた物言いでえくぼをつくる。俺は予期せぬ返しに体温を上昇させてしまう。


「な、なにを……冗談はやめてください」


 冗談でもいいからありがとういただくよと言えない自分のダサさに反吐が出る。これじゃ童貞丸出しじゃないか。俺は傷ついた心を癒すために浴衣姿の女の子を目で追った。途中に短すぎるスカートの女子高生も目に入ったが制服は嫌な思い出があるのでそそらない。あまり長く凝視しても吐き気を催すだけであり、そんなことよりひらひらとまう袖に不慣れな高下駄を履いて人込みをおろおろ歩く大人の女性の姿は艶やかだ。


「もうエッチ、女の子のお尻ばっかり見て」


 彼女の声にハッとして右手で鼻から下を覆う。


「み、見てないってば」


 そんなに鼻を伸ばしていたか。高槻都は目を細めてこちらを睨む。言い訳を考える時間がないので無言を貫いていると彼女は舐めかけのわた飴を俺に差し向け右手に握らせた。


「休憩は終わりぃ、ほなねぇいきまひょ」


 高槻都がポケットから手帳を取り出して、ボールペンの先端を突き出す。俺は抗うこともせず両腕いっぱいに吊るした荷物を持って彼女の後ろをついていく。手帳を広げた彼女はカラフルな屋台に目をやり、急繕いの提灯に照らされ、行きかう人の仕草や表情を見つめる。視覚で感じられるすべてのものが若槻都のフィルターを通して手帳に記され、またひとつ物語が生まれ落ちた。


 それだけ周りを観察しているくせにペンが動くたびに足取りがあぶなっかしくなる。気が付いたら俺は彼女の横に並びあらゆる障害から守り、安全な道筋へ誘導していた。その真剣な横顔を見ていると、この人は本当に小説が好きなんだと思い知らされる。だけどこっちも体力の限界が近づいてきた。


「先生もしや最後までいるつもりですか?」


「うん、先生は飽きてもうた?」


「いえ、飽きてはいないのですが、体力の限界で」


 こういう時もっとランニングとか体力トレーニングをやっとけばよかったと思う。


「あらぁ、ごめんなさい、うち先生が荷物もってはったこと忘れてまいました」


「お願いしますよ、本当に」


「じゃあお詫びに好きなもの買うたります」


 約束通りお手伝いができた子どもにご褒美を上げるお母さんのような優しい口調だ。


「じゃあ、あそこのチョコバナナを、あとこれ、わた飴返します。だいぶ縮んでなくなってしまいましたが」


「……うそつき、先生口つけたやろ」


 ばれてた。してやったりの笑みで真実を突き付けられると恥ずかしさを通り越して逃げ出したくなる。


「うちが買うてくるまで逃げんといてよ」


 釘をさされてしまいため息をつきながらも言われた通りに屋外ステージの階段に座る。


 高槻都の背中を見送る俺はさながら忠犬ハチ公だワン。気が付けば荷物持ちから場所とりまで言いなりなってへこへこしている構図はまさに作家としての序列を示しているようではないか。だからといって、彼女に負けを認めるわけではない。遠目からチョコバナナの屋台を目指して進む若槻都が人波を泳いでいるのが分かる。ふらふらと歩く華奢な彼女は今にも倒れてしまいそうでひやひやしたがフィギアスケーターのように回転しながらお使いをこなしている。


「先生こっちよぉ」


 きょろきょろしながら歩いてきている彼女に手を振った。俺をみつけるとその表情を緩ませながら小走りで近づいてくる。その顔を照らす夕焼けの光はファンデーションのように彼女の肌を色づかせていた。


 彼女がもし目立ちたがりの頭の弱い今どき女子でメディアへの顔出しを積極的に解禁していたらもっと本が売れていただろう。


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