第3話 戦力外作家

 その日の夕方、鳴るはずのない電話が鳴った。


 こんな中途半端な時間に電話をかけてくるやつは勧誘の電話かカードの引き落としができなかったかのどちらかだろう。しかしその日は違った。


 スマートフォンの液晶に映っていたのは担当編集の名前だった。


 興奮による寝落ちもたたって、夢うつつに女優の喘ぎ声がアラームのスヌーズ機能の役割を担っていたが慌てて布団から飛び出す。


「どうも、月見里です!」


 電話に出る相手なんて母ちゃんか美郷くらいなものだから声が裏返ってしまう。半年ぶりの再開だ。正直どんな声をしていたかとか忘れてしまったけどそんなことは今どうだってよい。


「どうもです。第一編集部の増渕です。もしかして寝てました? 起こしてしまったらすみません」


 声を聞いて思い出した。そうだ、そうだたしかこんな声をしていた増渕さん。俺をこの世界に導いてくれた救世主であり『異世界政治家はじめます。最強スキル【中抜き】で豪遊ライフ』シリーズでタッグを組んだ相棒、つまりバディー的な人だ。契約社員から正社員の昇格が夢って言っていたけど果たして夢は叶ったのだろうか。


「全然起きてましたよ!」


 俺は目を擦りながら軽い笑みを浮かべ笑い声をあげる。


「そうですか、月見里先生、良い話と、悪い話と、いつもの話があるのですが、どれから聞きたいですか?」


 なにやら含みのある言い方だな。


 俺は刹那に考える。増渕さんは冗談とか言うタイプではない、普段なら淡々と必要事項を伝えて雑談もなく終わりのはずなのだが。ちとテイストが違うのは怪しい。


「あぁはいはい、なるほどねぇ……じゃあいつもの話から聞きましょう」


「承知しました。」先月頂戴しました企画案とプロットの件ですが、今回は残念でした」


「あーはいはい、どうもどうも」


 まぁそりゃそうでしょうね。企画やプロットが編集会議で通らないなんて今に始まったことじゃない。今回のことだって、期日までに出せと言われたから書いただけで物語の内容に気持ちなんて入ってなかった。


「あとは良い話と、悪い話の二つですが、どちらから聞きます?」


「えっ、じゃあ悪い話で」


「本当にそちらからで良いですか?」


「まぁはい」


 そう言われてハッとする。いつものこととはいえ企画が通らなかった以上に悪い話ってなんだ?


「……我がレーベルの方針として血の入れ替えという意味も込めて新しい作家に力を注ぐことになりました。よって月見里先生は戦力外、クビです。デビューから今までお疲れ様でした」


「……はい?」


「ですから我がレーベルの方針として」


「いやそうじゃなくって、俺……クビっすか?」


 耳を疑った。この俺がクビだって……


「はい残念ながらこれは決定事項です」


「いや、いやいやいやいや! そりゃないって増渕さん! そんないきなりクビ宣告されても……えっなに? これ夢? ドッキリ?」


「……私としてもまことに残念ではありますが、先生の今後のご活躍を祈っております」


「ちょっと待ってって、そんだけ? う、うそですよね、だって増渕さんとはデビュー作から一緒に頑張ってきたじゃないですか。増渕さん大賞を逃した俺の作品に惚れ込んでくれて、上に掛け合って特別賞作ってくれて、いっぱいいっぱい助けてくれたじゃないですか。俺たちバディーでしょ、俺……増渕さんに捨てられたら行くとこないっすよ。死にますよ俺、いいんすか、遺書に増渕さんの名前書いて死にますよ!」


「……はぁ」


 深いため息のあと咳払いに俺は身体を震わせていた。


「そんなメンヘラ彼女みたいな……バカなこと言わないでください。あなたもう今年で二十六歳でしょ」


「しかし、ですね。俺にも生活がありまして」


 そこが一番問題である。この俺があんな底辺みたいなコンビニで底辺の底辺を生きる客の相手ができるのは何を隠そう俺が小説家という特別な人間だからだ。俺を評価しない店長もバカにしてくる高校生アルバイターもキモい客も、逆立ちしたって俺のように小説家にはなれない。なぜなら選ばれなかったから、才能がないからだ。それにくらべて俺は才能がある。中学校の同級生が会社で出世し、あるいは家族を持ち、順調にキャリアを積む中で、何もない自分が自尊心を保てていたのは俺が特別な人間であると信じていたから。


「はぁ、だから言いましたよね。ラノベ作家なんて不安定な職を定職にしないでちゃんと就職して兼業でやったほうが良いって、散々、何度も」 


「し、しかし、俺には才能があって……」


「奏介くん、いい加減にしなさい。才能ってのはね、時代や流行とともに求められることが変わっていくものなんだよ。デビュー作がちょっとヒットしたからって有頂天になってたようだけど、続編はどどれも三巻もたずに打ち切り。その他もろもろ通用しなかったよね」


「で、でも、だったら増渕さんは俺に引きこもりニートが異世界で女神と美女二人と一緒に冒険する話しかけって言うんすか? 親の葬式すっぽかしてシコってた無職が異世界で無双して都合の良い美女たちと子作りする話しかけって言うんすか?」


「はぁ……でもじゃない。そこは、はい分かりました。でしょ、二十代後半にもなってさぁきみ。でもとかだってとかそんな言葉ばっかり使って情けなくないの?」


 増渕さんにまくし立てられ俺は何も答えることができなかった。増渕さんの言葉は想像以上に突き刺さっている。


「えぇっと、すみません言い過ぎました。良い話も聞きます?」


 俺の心はズタボロだった。


「あぁ、はい一応」


「私は契約社員から正社員に昇格できました」


「……はい?」


「はい」


「えっ……終わり」


「いえ、それだけではありません。この度第一編集部から新しく発足されたライトポルノレーベルに移動が命じられました」


「……なんすかそれ」


「はい?」


 腹の底からふつふつと沸き立つ感情は、怒りだった。さっきまでぐちぐちと自分の悪口を言われ、人間性も否定されたのに、こいつは淡々と自分の出世をこれみよがしに報告してきやがった。


「俺の悪口ばっか言って自分は出世して正社員になって自慢すか? 俺のおかげで出世したようなものなのに使えなくなったら俺を捨てるんすね」


 憎い、憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い。


 身近な人が成功して、自分だけわりを食うなんて許せるわけがない。


「これは裏切り行為だ。俺はあんたの成功を死ぬ気で邪魔してやる!」


 悔しすぎて涙が出て来る。気がついたら嗚咽に近い声で俺は抗議していた。


「……フフ、ハハハハハハハハハハハハ!」


 暫しの沈黙の後、スマートフォンから聞こえてきたのはいい歳した男の高らかな笑い声だった。


「アハハハ、やめてやめてお腹痛い」


 あまりの豪快な笑い声に俺は呆気にとられて次の言葉を失う。増渕さんはひとしきり笑ってから、深呼吸して咳払いする。


「いやぁすみません、すみませんあまりにも予想通りな返答だったので笑しくなってしまいました」


「は、はぁ」


 予想通りって、こいつまじでやばいやつだろ。


「月見里先生も一緒に行くんですよ」


「はい?」


 何言ってんだこいつ? 


「だからですね、私が移動になる条件に月見里先生の移籍も提示したんですよ。正直あなたは第一編集部で戦力外作家だったんで、だったら担当の私が責任をもって引導を渡しますと。編集長の高橋も喜んでいました。金にならないゴミ作家を追い出せたって」


 事態が急展開過ぎてついていけない。増渕さんがライトポルノ漫画の編集で、俺が戦力外で移籍になって、おまけにゴミ作家であった。


「えっ、どうしろと?」


「どうするもこうするも……月見里先生にはライトポルノ作家になってもらいます。イラストは多めになりますが、適任者がいるので問題ないですよ。ただ打ち合わせの人数が一人増えるだけです。問題ないですね。取り急ぎ担当のイラストレーターの方と顔合わせを……」


「いや、無理っすよ。俺、低俗なポルノ小説なんてやりたくないっす」


 食い気味に答えた。どうしてこの俺があんな低俗なポルノ小説を執筆しなくてはならないのか理解に苦しむ。


「増渕さん、あんた偉くなったんでしょ、じゃあなおさら俺を第一編集部に残してよ、やっぱり俺には……」


「黙れくそガキ、ぶち殺すぞゴミ作家」


 低く冷たい殺気だった声だった。スマートフォンがわなわなと震えはじめ思わず息をのむ。


「てめぇは、結婚相談所の勘違いババアか、もう高望みできるほどてめぇに価値はねぇんだ。自分の置かれた状況が分かってないようだから教えてやるけどこれで結果出せなかったらてめぇは完全にこの業界から消えるんだよ。いいか、これは戦力外になったお前に与えられた最後のチャンス。いわばトライアウトなんだ。売れない作家なんて出版社のお荷物。売れなきゃ紙を消費するだけのゴミカスよりも役に立たない社会のクズ。お前にはもう、はい死ぬ気で頑張りますという以外選択肢はないんだ。言え、今すぐ言え。言わないと殺す。今すぐ殺す、秒で殺す、殺して生き返らせたあとでまた殺す」


「は、はいしし死ぬ気でが、が頑張ります」


「……良く言えました。月見里先生」


 恐ろしいほど優しい声に俺は安堵から膝をついていた。


「それでは、月見里先生、イラスト担当の方との打ち合わせは後ほどメッセージを送りますね」


 うんともすんとも言えない。完全に圧倒されてしまった。


「まぁいきなりで不安かもしれませんが、今までタッグを組んできて正社員になった私からのアドバイス。誰も見たことない物語はそうすけくんの経験から生み出されるものですよ」


「は、はぁ」


 それってアドバイスと言えんのか、正直そう言いそうになったが、今なんか言ったら殺される気がして言えない。


「今のきみにはピンと来てないと思いますがもう言い訳を考えている暇はありません。期待してますよ月見里先生、それではまた」


 液晶に通話終了の文字と途切れ途切れの機械音がなる。


「ふふふふふ、ふざけんなよ! ボロクソに言いやがって何がクソガキだ。三つしか歳が離れてないのに、てめぇだって偉くなって調子に乗ってんじゃねぇか。バカバカしい、おれはエロなんて書かねぇ、俺はプロだ、プロなんだ! 俺が書きたくない物語なんて絶対書かねぇ、戦力外上等だよ、こっちからやめてやりゃあ、そんな出版社!」


 俺はスマートフォンを畳みに投げつけ、足で踏みつけてやった。ざまぁみろ増渕のやつ死ね。できるだけ苦しんで死ね!


 気が済むまで暴れて、ふと我に返る 俺は撃ち抜かれたように横になった。心臓の鼓動とこれが最後という文言が何度も頭で繰り返される。恐れていたことがついに起きてしまった。嫌なことや辛いことがあったらなにも考えられなくなるまでオナ〇ーをするが、ちん〇を握る右手が震えてる。いつも優しくちん〇を包み込む役割を果たす左手は涙を受け止めるために顔を覆った。


「ちくしょう、やめたくねぇよ」


 小さなトゲが心のささくれをつついて、一気に現実へ目覚めさせる。俺は、唯一の誇りであった小説家の肩書きを消失するかもしれない。また何者でもないただの人間に戻るのだ。学生という盾をなくし、プロというプライドも壊れた俺はこの世界にとっていったいいくらの価値があるというのだ。答えは分かっている、いやずっと前から知っていた。限りなくゼロに近いということを。 

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