第2話 兄妹
「お腹すいていないって言ったのに」
ケチャップを頬につけている俺に美郷の言葉は響かない。
「お前が奢ってくれるなら別腹だ」
「呆れた、大学生の妹にお金を出させてなんとも思わないなんて」
「思わんな」
夜勤バイトの帰り道、アパートの前に美郷がいた。あいつは軽い気持ちで朝食に誘ったのだろうが俺が奢るわけがなかろう。マクドナルドの120円コーヒーだって出す気はない。
「朝からハンバーガー五つも食べるなんて」
でもってこうなったわけ。
「お前大学生のくせして金を持ちすぎなんだ。まさかパパ活してんじゃねーだろうな」
「アホか、そんなことしなくても今は時給が良いからシフト増やせば結構増やせんだよバカ兄貴、そんなんだから友達いないんだぞ」
「俺はなぁ、来るものは拒まず、去るものは追わずなんだよ、みんなが俺のとこにこないだけだ」
我が愚妹は鼻で笑いながら俺の肩を小突く。まったく大学生になって冗談も通じないとは聞いてあきれる。
「でっ、お前なんのサークルに入ったんだよ?」
「うーん文藝サークルかな」
「なんで? そんな陰キャか腐女子しかいなさそうな地味地味サークルに入ったんだ? 青春は一度しかないのにもったいない」
「だって兄貴が一応小説家なんだから私だって才能あるかもしれないじゃん」
ウーロン茶を口に含み、チーズバーガーと照り焼きバーガーの残りかすを胃の中に流し込む。才能あるかもじゃねーよ。
「あのな……小説家っていうのは友達もいない、社会に馴染めない、でも世間に自分の思いをどうしても伝えたい恥ずかしがり屋がなる職業だ。十万文字の物語の中でしか本音を言えない、そんな卑屈で矮小なやつがなれるもんなんだよ。友達もいて異性からも人気があって陽キャなお前ごときに才能があってたまるか」
「うわぁ、ものの考え方が拗れまくってる……だてに四年間も無職やってるわけじゃないね」
「無職じゃねー、俺だって新しい企画とか設定とか編集に送ってるし、コラムとか短編とか書いて稼いでいる」
「そのわりには小汚い格好で」
嘲笑したような美郷に大げさに拳を振り上げてやった。あいつは暴力反対だとか女性差別だとか、バカなフェミニストがつぶやくようなことを羅列しながら笑っている。
「美郷ウーロンおかわり」
「おかわりじゃねーよ、誰の金だと思ってんの?」
「うるさい、どうせ無駄におしゃれなカフェで楽な仕事してんだろう」
そういうとテーブルの下で膝を蹴られた。しかも二回も。顔をしかめてテーブルに額をつけていた俺の髪を掴み上げ起こした。
「お金、勘違いしてないでこれで二人分買ってきて」
「ちっ」
「てめぇいま舌打ちしただろ、奢ってやんねーぞ」
「は、はい。すみません。でへへ」
目に涙を浮かべてお金をもらう。足を引きずりながらカウンターに向かった。俺が席を離れている間に、美郷はスマートフォンをスクロールしてインスタグラムに来たメッセージの返事をしていた。友達のいない俺は毎日世間につぶやいたり、報告したりするやつの気が知れない。よくそんなに毎日自分の生活を晒すことができるよな。目まぐるしくイベントが起こるならいっそ小説家になったほうがよい。
オレンジジュースとウーロン茶を持って席に戻り、テーブルの上にこれみよがしに置いてある俺の本に気が付いた。
「なんだよこれ嫌味か」
「嫌味じゃなくて、兄貴どうしてこういう物語を書かないの? ほら帯を書いてくれたみゃこ先生も面白いっていってるじゃん」
美郷が帯の推薦コメントを読み上げる。重版した俺のデビュー作の推薦文を書いてくれたのは同時期にデビューした天才ラノベ作家だった。昔はなにくそと勝手にライバル視していたが今じゃ比較されるだけむなしくなるほど発行部数に差をつけられている。
「書かないんじゃなくて、もう書けないんだよ。それに出版社から依頼がなければいくら続編を書いても一銭にもならん」
「出版社で書けなければネットに書けばいいじゃない」
なんだそのマリー・アントワネットみたいな物言いは。
「兄貴ってさ、昔からひねくれ者で意地悪で陰湿でバカだったけど小説を書くの好きだったじゃん。売れなくたって趣味として小説を書けばいいし、正社員しながら副業で書いてる人も多いんでしょう。だったら……」
どこかで聞いたことがある台詞だった。あぁそうだ母ちゃんの言葉だ。
「やだ、俺はプロだ。プロはそんな安売りはしない」
「二年間もヒット作が出てなくてそのうち半年間も新刊がでない作家がプロって言えるの?」
「うっ」
図星だ。ボディーブローのようにじわじわ効いてくる。そんなのはプロとは呼べない。プロとは呼べないが、それを認めたら俺は終わる気がする。
「プロのラノベ作家ってどんどん新人が出てくるから埋もれないようにがんがん新刊ださなきゃいけないって聞いたよ」
やけに詳しいな。いやちょっと詳しすぎるぞ。こいつもしかして。
「お前お兄ちゃんに内緒でどっかのレーベルからデビューするとか言わないよな」
返答を待つ。一秒にも満たない沈黙にビビりまくっていた。
「そんなわけないじゃん、サークルの友達に……」
「なんだ、そうだよなよかったよかった!」
ガハハと大声で笑う。そうだよな、こんなリア充な妹が小説まで書けてたまるか。
「そんなことより兄貴、実は兄貴に会わせたい人がいて……」
「分かった分かった明日な。俺は満腹になったから帰るとするよ。じゃあご馳走さん」
「ちょっと兄貴」
美郷の制しを断って俺は店に出た。まったく兄貴の心の傷をえぐりやがってひどい妹だ。こういう日には部屋でエロ動画見て寝るに限る。
俺は脳内お気に入りフォルダに格納された女優の裸体を並べてポケットに手をつっこみながら歩く。道中は息子をいじりながら物思いに耽っていた。
☆☆☆
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