【短編】君が残したもの

田 電々

君が残したもの

 君が残したもの――。

 最初は少しの良心だったのか、今はもう分からない。

 でもね、今『ここ』には……君が残したものが――確かにあるんだよ。


 あれは君が小学三年生の時、アスファルトの焼けた匂いが鼻をつくような、猛暑の日――


「――舞ねぇちゃーん!早くー!!」

「待ってよたっくん!急いだら危ないってばぁ!」


 疎らに浮かぶ羊雲は、陽を避けて流れていく。緩やかに流れる時の中で、忙しなく鳴いている蝉の声と遠くで大人たちの叫び合う声が村中に響いていた。


 山と田んぼに囲まれたド田舎――鶯村。その隅の杜を拓いて作られた寺――天鶯寺。

 今週はその寺の境内で年に一度行われる豊穣祭の準備期間であり、大人達は朝から汗を流し、屋台の設置や飾り付けに追われていた。


「たっくん!パパのお弁当振り回しちゃダメよ?」

「わかってるよー!早く早くー!!」

「ほんとかなぁ?まったくもう……待ってー!」


 私、梅原舞(うめはらまい)と弟の拓馬(たくま)は、その準備に向かった父親へ弁当を届ける為、半袖短パンという軽装で炎天下を歩いている。

 家から然程遠くないとはいえ、小六の私と小三の弟の体力では、少し酷な天気だ。


「舞姉ちゃん、喉乾いた」

「はいはい、ちょっと待ってねー。今水筒……あっ」


 突然立ち止まり振り向いた拓馬にそう言われ、肩にかかっているはずだった水筒を掴む。しかし指先はなんども空に触れ、妙に感じていた身軽さの理由に気づくことになった。

 ため息を暑い道路に落とす。汗が顎先から滴ると、次には天を仰いで眩しさに目を閉じた。


「たっくん……ごめん、水筒忘れた」

「……あっ、ううん。大丈夫!じゃあ……」


 辺りを見回す拓馬の視線の先には、田んぼ、田んぼ、畑、山際の木々……その隙間で視線を止めると、嬉しそうに指で示した。


「舞姉ちゃん!あそこで少し休もう!」

「どこ?」


 指の先を目で追う。そこには――ボロボロに廃れた建物と鳥居。忘れられた年月を空気に纏いながら、見つけてくれた喜びを醸すように木漏れ日に輝いていた。


「……神社かな?こんなところあったんだ」

「ね!行こう!」

「う、うーん……」


 正直、何か出そうで怖い。だが、傍らに見える手水舎だったであろう場所から、まだ水が溢れている。おそらく湧水がまだ枯れていないのだろう。


「う、うん……水飲んで少し休んだら行くよ?いい?」

「うん!ありがとう!」


 無邪気に草を掻き分け、木々の隙間を進む拓馬。その後ろを肩をすぼめてついて行くと、原木のままの色で立つ鳥居の先――石畳が組まれた狭い境内に足を踏み入れたのだった。


 ――いつのものかも分からない枯葉が、硬い地面に擦れて音を鳴らす。その音が聞こえるほどに、この杜の中は静まり返っていた。

 高い木々の青々とした葉の束に覆われ、神社を隠すように屋根を作っている。

 この猛暑に焼けた肌を撫でるように、冷たい風が吹く。この神社が受け入れてくれているような、そんな気がした。


 手水舎に溜まった水に触れると、思わぬ冷たさに肩が跳ねた。恐る恐る手ですくい口元に運ぶ。喉を通って身体に注がれる――指先まで染み渡るような快感に吐息を漏らした。

 拓馬も真似して水を飲むと、その場でバタバタと足踏みをしながら、口角を上げて悶えた。


「んーっ!うめーー!!冷たーい!!」

「んねっ!こんなに美味しいのに今まで流れてただけなんて勿体ないね」

「ここ神社?なんて名前なんだろ?」

「看板とかあるのかな?」


 薄暗い境内を見渡すが、それらしきものは見つからない。小さな神社だから跡取りが見つからなかったのだろうか?

 もう――名前も存在も忘れられた聖域。そう思うと僅かな寂しさが胸の奥でざらつく。


「……あっ!舞姉ちゃん!あった!」

「え?」


 ふと、声のした方向へ視線を向けると、今にも壊れそうな社殿の縁に上っている拓馬がいた。

 目を丸くして駆け寄るが、心配する姉の心は知らない弟。満面の笑みで見下ろしている先には、大きな木の板が横たわっていて、大きく文字が書かれていた。


「天、照……んー、掠れて読めないなぁ」

「あまてる?僕分かる!アマテラスだよきっと!」

「アマテラス?」

「うん!この前ガチャで引いた!太陽神アマテラス!」

「あ、あはは……」


 ゲームで得た知識なのはともかく……。確かに前、社会の授業で先生が話していた。どこかに大きな神社があって、そこで祀られている神様の名前が――


「天照大御神……この神社の神様だったのかもね」

「これ、書いてあげないと可哀想だね。こんどペン持ってこよう!」

「ふふっ、たっくん優しいね」

「へへっ!」


 満更でもない様子の拓馬が笑う。この時、その飾らない優しさが弟の一番の長所だと気づいて、目を見て微笑み返した。


 やがて身体が充分に冷えた二人は、再び木々の隙間を抜けて、焼けるような陽の下に足を踏み出す。

 再び汗に塗れてたどり着いた寺で、弟が渡した弁当の中身は――ぐちゃぐちゃに混ざりあっていた。


 ――時はあっという間に過ぎていった。

 父は毎日寺に通い、盛大な祭りの準備を進めていく。

 舞と拓馬も毎日弁当を届け、気づけばあの神社で休むのが日課になっていた。


「――『お、お、み、か、み』っと」


 『天照おおみかみ』――油性ペンを使い、拙い平仮名で書かれた神の名前。その瞬間に杜に暖かな風が吹いた。


「……神社も喜んでるね」

「うん!」


 もう神様はここにいないかもしれない。それでも、この神社は再び神様の名前を記されたことに歓喜したのだろう。


 これがこの神社で拓馬との最後の思い出。

 豊穣祭前日、その日の夜は――厚い雨雲が空を覆っていた。


 ――薄暗い朝、家族総出で寺に来た舞と拓馬は、温い風が強く吹く中、邪魔をする髪の毛を抑えながら読経を聞いた。

 焚かれた火が横に靡く姿に恐れを感じながら、隣の拓馬の手を握り、不安を落ち着かせた。


 ようやく終わった法要の後、軋む祭り屋台でりんご飴を買う。正直、早く帰りたい気持ちがあったが、楽しむ拓馬を置いていけず、人集りの中で手を握り続けていた。


『ギギギッ――』


 だが――帰るべきだった。


『カチャン――』


 この祭り会場が、悲鳴で染る前に――


『――ガシャーン!!』

「キャー!!」

「きゅ、救急車!!消防車!!」

「祭りが……寺がぁぁぁ!!」

「あなた!!あなたー!」

「早く避難しろ!祭りは中止だ!」


 この日、強風に煽られた屋台は地面を転がり、人や物を壊しながら火柱へ飛び込んだ。

 火だるまとなったそれは本堂の扉を突き破り、寺は全焼。重傷者四名、死者――二名。


 舞の脳に強く焼き付いたのは……握った右手にぶら下がる――弟の左腕だった。


 ――父も母も、私も立ち直れない日々。部屋に引きこもって過ごした夏休み。

 その最終日、拓馬の面影を探す舞は、あの神社に足を運んでいた。


 風が冷たい。枝葉の擦れる音がうるさい。そう思うと、葉の乾いた風の音から雨音に変わった。


「……たっくん」


 聞こえない返事。脳裏に流れる思い出の日々。

 最後の一枚に写った木の板を探すと、石畳の上に無造作に転がっていた。


 裏返ってしまったそれをひっくり返す。そこに書かれた文字は再び掠れてしまっていた。


「天照おお……ぐずっ、たっくん……また書いてよ」


 荒れた境内に響く叫びは村中に響き、奇しくもこの神社が再び日の目を浴びるきっかけとなった。


 君が残したもの――。


 拓馬が残したこの神社――『天照鶯神社』は今、毎年豊穣祭が開かれる賑やかな神社となっている。

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