第4話 完璧才女のポンコツ疑惑

 重い沈黙が、部屋に落ちた。

 春だというのにやけに空気が冷たく感じる。

 俺の「ごめん」という言葉は、何の解決にもならないまま虚しく響いた。


 凛はベッドの上で膝を抱えたまま、じっと俺を見つめている。

 その潤んだ瞳に射抜かれて、俺はどうしようもない罪悪感に襲われた。

 中学の時、俺が一方的に距離を置いた。

 そのせいで、彼女がこんな風に傷ついた顔をするなんて、考えたこともなかった。


 いや、考えないようにしていた、のかもしれない。

 平凡な俺と、完璧になっていく彼女。

 釣り合わない。隣にいるのが恥ずかしい。

 そんな自分勝手な理由で、俺は一番身近にいたはずの幼馴染を突き放したんだ。


「……あのさ」


 耐えきれなくなって、俺が口を開いた。


「喉、渇いてないか? なんか、お茶でも……」


 我ながら、最低の話題転換だと思った。

 だが、凛は意外にも、こくりと小さく頷いた。


「……うん。ちょっと、喉渇いたかも」

「だよな。えーっと、麦茶でいいか? すぐ持ってくるから」

「あ……」


 俺が部屋を出て行こうとドアノブに手をかけた瞬間、凛が「待って」と声を上げた。


「私がやるよ。昔も、わた兄の家では私がお茶、淹れてたから」

「え? いや、いいよ。客なんだし」

「客じゃないもん」


 凛はむっとした顔で言うと、ベッドからぴょんと飛び降りた。

 そして、俺を押し退けるようにして、部屋のドアを開ける。


「台所、場所変わってないでしょ? 麦茶のポット、冷蔵庫の二段目だよね?」

「あ、ああ。多分……」

「コップは、わた兄のは青いやつ」

「……よく覚えてんな」


 俺が感心していると、凛は「ふふん」と、少しだけ得意げに鼻を鳴らした。

 その表情は、ようやくいつもの、というか、昔の『リン』に戻ったように見えた。

 少しだけ、ほっとする。


「すぐ持ってきてあげるから。わた兄は、そこで待ってて」

「お、おう。サンキュ」


 パタパタとスリッパの音を立てて、凛が階段を駆け下りていく。

 その後ろ姿を見送りながら、俺は再び深いため息をついた。


 ……なんなんだ、今日は。

 急展開すぎるだろ。

 疎遠だった幼馴染と、クラス替えで隣の席になって、放課後いきなり部屋に窓から侵入されて、昔の呼び名で呼ばれて、泣きそうな顔をされて、今、お茶を淹れてもらっている。

 情報量が多すぎて、俺の平凡な脳みそでは処理が追いつかない。


 俺は、とりあえず自分の勉強机の椅子にどかりと座った。

 これから、どうなるんだろう。

 凛は、明日からも、またこうして俺の部屋に来るつもりなのだろうか。

 学校では『七瀬さん』なのに、二人きりだと『わた兄』と『リン』に戻るのか?

 そんな、都合のいい関係が……。


 グルグルと考えていると、再び階段を上がるパタパタという音が聞こえてきた。

 どうやら、お茶を持って戻ってきたらしい。


 ドアが開き、凛が顔を覗かせた。

「わた兄、お待たせ……って、きゃっ!?」


 次の瞬間、凛は情けない悲鳴を上げた。

 どうやら、部屋の入口の、ほんのわずかな段差にスリッパを引っ掛けたらしい。

 彼女の手から、コップ二つを乗せたお盆が宙を舞う。


「うおっ!?」


 俺は椅子から飛び上がり、咄嗟に駆け寄った。

 ガシャン!という派手な音と共に、コップが床に叩きつけられる。

 麦茶が派手に飛び散り、お盆が床を滑った。


 そして、凛本人は。

 俺の胸に、どさりと倒れ込んできていた。


「……いったぁ……」


 俺の胸に顔をうずめたまま、凛がくぐもった声を上げる。

 柔らかい感触と、シャンプーのいい匂いが、鼻腔をくすぐった。


「だ、大丈夫か!? 怪我は!?」

「だ、大丈夫……。ごめん、わた兄。こぼしちゃった……」


 凛が顔を上げると、その目は再び涙目になっていた。

 今度は、悲しいからじゃなく、純粋に、痛いから、と、ドジった恥ずかしさからだろう。


 ……あれ?

 七瀬凛って、こんなドジだったか?

 学校では、完璧才女で、隙なんて一切見せないのに。

 体育祭のリレーでも、華麗なバトンパスを見せていたじゃないか。


「……わた兄の家の段差が、意地悪する……」


 凛は、俺の制服を掴んだまま、涙目で抗議してくる。

 いや、あれは段差と呼ぶのもおこがましい、ただの敷居だ。


「お前なぁ……」


 俺は、呆れと、それから、ほんの少しの愛おしさで、ため息をついた。

 なんだよ、こいつ。

 完璧才女、とか言われてるけど。

 中身は、昔と全然変わってないじゃないか。


「立てるか? とりあえず、床拭かないと」

「……うん」


 俺は凛の肩を支えて立たせると、床に散らばったガラスの破片を見た。


「あーあ。コップ割れちまったな」

「ご、ごめんなさい……」

「いいよ、別に。それより、足とか切ってないか? ガラス踏んだら危ないぞ」

「あ……」


 俺が言うと、凛はハッとした顔で自分の足元を見た。

 そして、次の瞬間、顔をしかめた。


「……ちょっと、痛いかも」

 見ると、彼女の白い靴下の足首のあたりが、小さく赤く染まっていた。

 どうやら、破片が飛んだらしい。


「ばかっ! じっとしてろ!」


 俺は凛を抱きかかえるようにして、ベッドの上まで運んだ。


「救急箱持ってくるから、絶対動くなよ!」

「う、うん……」


 完璧才女、七瀬凛。

 その実態は、昔と変わらない、ちょっと(いや、かなり)ポンコツな、俺の幼馴染だった。

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