クビにされて気づいた。俺の【影の力】こそが、勇者パーティーの真の柱だったと。追放後、俺は気ままに世界を観光する

源 玄武(みなもとのげんぶ)

第1話 影の統率者は追放される

 夜の帳が降りた前線基地。

 森の奥で焚かれる炎が、わずかに風に揺れている。空気は湿っていて、戦場の血の匂いが微かに残っていた。


 クロノ・ルミナスは焚き火の傍らに座り、静かに鉄鍋の中をかき回していた。香ばしいスープの湯気が立ち上る。

 彼の目は優しく、動作は慣れている。だがその穏やかな夜は、ある言葉で唐突に終わりを告げた。


「――おい、クロノ。お前の荷物持ちも今日で終わりだ」


 低く、傲慢な声。

 勇者アルク・グランドが、月明かりの下に立っていた。銀の鎧がぎらりと光り、背中の聖剣が存在感を放つ。


「……何か、ご不満でもありましたか、アルク」

 クロノは、鍋をかき回す手を止めずに静かに尋ねる。


「不満どころじゃない。これは決定事項だ」

 アルクは、腰に下げた聖剣に手を当てながら、高圧的に続けた。

「明日、俺たちは魔王城に突入する。Sランクの精鋭だけで、だ。そこに――スライム一匹倒せない“お荷物”の居場所はない」


 焚き火がパチ、と音を立てた。

 言葉の熱さに反して、クロノの胸の内は不思議と冷めていた。


「ちょっと、アルク!」

 聖女リゼット・フローラが、慌てて口を挟む。

 金髪を夜風になびかせ、柔らかな笑みを浮かべるが、その顔にはどこか「仕方ない」という諦めが浮かんでいた。

「言い方ってものがあるでしょう? クロノはこれまで、ずっと支えてくれたのよ」


「報奨金の一部は渡すわ。あなたも少しは楽になるでしょう?」


 ……それが、とどめだった。

 感謝ではなく“施し”。クロノの胸に、氷の刃が静かに突き立つ。


「チッ、いい子ぶるなよ、リゼット」

 赤髪の魔導師ヴェノム・クレイスが舌打ちし、火の粉を払うように言い放つ。

「どうせこいつは、Sランクな自分たちにまとわりついているだけの虫ケラ。クソ重い荷物を持たせるのに便利だっただけ。これからは、そこの騎士に持たせれば済む話」


​「ヴェノム! 俺の腕を何だと思ってる!」

​騎士のガレオン・ドレイクが怒鳴るが、結局、追放に反対する者は誰もいなかった。


 クロノは静かに立ち上がり、背負っていたリュックを地面に置く。中からは、食料、ポーション、魔石、工具……数週間分の旅支度が整然と詰められていた。


「わかりました」

 クロノは一礼した。

「今日までありがとうございました」

 

 彼にとって彼らは世界を救う「仲間」であり「家族」だった。だが、彼らにとってクロノは、ただの「便利な道具」だったのだ。


 リゼットが、何か言いかけて唇を噛む。

 ヴェノムが肩をすくめ、アルクはあくびを一つして背を向けた。


「せいぜい魔王討伐、頑張ってください」

 クロノは、微笑みにも似た表情で言い残し、焚き火を離れた。


 その背に、ヴェノムの笑い声が響く。

「ハッ! せいぜい野垂れ死ぬなよ、役立たず!」


 返す言葉はなかった。



 夜の冷気が、肌を刺す。

 野営地の結界を抜けた瞬間、クロノの体に“何か”が弾けた。


「……っ!?」

 背骨の奥を雷が走るような感覚。

 全身を縛っていた見えない鎖が、一気にほどけていく。


「ぐっ……これは……何だ……?」


 彼は膝をつき、荒い息を吐いた。

 体の奥から、漆黒のオーラがゆっくりと立ち上る。空気が震え、地面が低く鳴動する。


 その瞬間、視界に淡い光が走る。

 ――【ステータスボード展開】。


 クロノは思わず息を呑んだ。

 見慣れたはずのボードが、まるで別の存在のもののように輝いていた。


 以前までの表示は――


名前:クロノ・ルミナス

職業:雑用係 Lv.20

スキル:収納・整理 Lv.MAX、調理 Lv.5、応急処置 Lv.3




 だが、今、そこに現れたのは。


名前:クロノ・ルミナス

職業:【影の統率者(シャドウ・マスター)】 Lv.MAX

スキル:【影の力(ドミナンス)】、全能力バフ(超々特大)、全敵デバフ(特大)、潜在能力制御、結界無効化……




「……な、なんだこれ……俺の知る職業じゃない……!」


 指先が震える。

 さらに目を走らせた先で、彼はある一文に目を奪われた。


『潜在能力制御:対象の能力値を、最大値の10〜20%に常時調整します(発動条件:対象が半径50m以内にいること)』


 ……理解するのに、時間はかからなかった。


​「ま……まさか……?」


 これまでの彼の力は、彼が「雑用係」だと思い込んでいたため、無意識に「雑用係としての適正」に合わせていたのだ。


 つまり――

​勇者パーティの連中がSランクの実力を発揮できていたのは、彼らの実力ではなく、クロノの【影の力】による超々特大バフのおかげだったのだ。


「なんてこった……俺が、あいつらの力を支えてたってわけか……」


 自嘲気味に笑う。

 だが、その笑いは、どこか清々しかった。


一方その頃、勇者パーティーの野営地では――。


「敵襲だッ!! レッサーコボルトの群れだ!」


 ガレオンの怒鳴り声が夜を裂く。

 次の瞬間、森の闇から無数の目が光り、牙を剥いて突進してきた。


「ふん、雑魚ね! 私の《フレイム・ボルト》で一掃してやる!」

 ヴェノムが杖を掲げ、詠唱する。


「燃えろ――《フレイム・ボルト》!!!」


 轟音と共に炎が放たれる。だが、火柱は頼りなく弾け、数体のコボルトを焦がしただけだった。


「……は?」


「ヴェノム! どうした、威力がしょぼすぎるぞ!」


「しょ、しょうがないでしょ! 魔力の流れがおかしいんだから!」


 コボルトの群れが突撃する。ガレオンが前に出て盾を構えるが、衝撃が重い。


「ぐっ……!? なんだ、この一撃……!?」

 膝が沈み、地面にひびが走る。


「リゼット! 回復を!」


「《ヒール》!! ……って、え? 治らない……!? 私の魔法、こんなに効かなかったことなんて……!」


「おいおい、冗談じゃねぇ! この程度の雑魚相手に苦戦とか――」


 アルクが苛立ちに顔を歪め、聖剣を抜いた。

​「騒ぐな!俺の聖剣で一掃する!《ホーリー・スラッシュ》!」


 普段なら広範囲を焼き払う神聖な一撃が、何故かコボルトの群れの端っこだけを焼き払った。

「な……馬鹿な。まさか、俺の剣技がこんなに鈍っているというのか……!?」


「アルク、どうする!? 数が多すぎる!」


「ちくしょう! 誰のせいだ! 誰が結界の警戒を怠った!?」

 ガレオンが怒鳴った。彼らの頭には、たった今追放した【雑用係】の顔など、微塵も浮かんでいなかった。

 この異常の原因が、ほんの十分前に去った“雑用係”にあることなど。



 森の外れ。静かな丘の上。


 クロノはひとり、夜風に吹かれていた。

 見上げる空には満天の星。


​「さてと、今日から俺は自由だ。元居たパーティがどうなろうと、もう知ったことじゃない」


 ​彼の耳には、遠くから聞こえるコボルトの甲高い雄叫びと、それに混じるガレオンの怒鳴り声が届いていた。


​「あーあ、やっぱり影響出てるな。まあ、自業自得だ」

 肩をすくめ、苦笑いする。


 もう助ける義理もない。

 あの頃の仲間は、クロノにとってもう“過去”だった。


「さて――これから、どうしようか」


 彼は地図を広げた。

 そこには、美しい湖と街の絵。


​「まずは……そうだな。ここから一番近い国境の街『テラス』に行こう」


​彼は地図に載っている美しい湖の写真に指を置いた。

「テラスの有名なお菓子を食べよう。それから、その隣にある『絶景の湖』を見に行こう。魔王城?世界?そんなものより、俺の気ままな観光が優先だ」


​彼は背負うもののない身軽な体で、一歩を踏み出した。

 漆黒の影が彼の足元を包み、やがて夜の草に溶けていった。

 もう誰のためでもない。

 世界を救う義務を捨て、自由を手にした男の旅が――今、始まる。


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