白薔薇の公爵令嬢と、滅びゆく王国

猫撫子

第1話 婚約破棄の宴

王都グランディアの中央広場にそびえる王城は、今宵、百年に一度の華やかさに包まれていた。

 無数の燭台がシャンデリアに灯され、貴族たちの笑い声と楽団の旋律が混ざり合う。


 ――成人の夜。十五歳を迎える貴族の子女たちが、社交界の正式な一員として認められる夜である。

 その中でも、ひときわ注目を集めているのは公爵令嬢セレナ・アルトリア。

 白銀の髪に、淡い紫水晶の瞳。まるで氷の精霊が形を取ったかのような美貌。

 そして彼女こそが、第一王子レオンハルト・グランディアの婚約者であった。


 この夜は、二人の絆を国中に示す祝宴でもある――はずだった。


 セレナは王妃の隣に控え、優雅に礼を取り、微笑を浮かべる。

 王妃からもらった白薔薇の髪飾りが、月光を受けてきらめいた。

 だが、彼女の心の奥底には、不安が小さく揺れていた。


 ――レオンハルト殿下が、今夜、なぜか遅れている。


 成人式の舞踏が始まっても、王子の姿は現れなかった。

 貴族たちがざわつき始め、侍女が耳打ちする。「殿下は別室にて“客人”と……」

 やがて扉が開いた。

 赤い絨毯を踏みしめて入ってきたのは、金髪をなびかせた青年――レオンハルト王子。

 その腕には、信じがたい姿があった。


 粗末な青いドレスを着た平民の少女。

 怯えたような表情をしながらも、彼の腕にしがみつくように立っている。


 空気が凍った。

 貴族たちの視線が、一斉に二人へ突き刺さる。


 レオンハルトは堂々と胸を張り、声を張り上げた。

「皆の者! 本日、我が成人の祝いにあたり、私は一つの真実を告げる!」


 セレナの胸が不吉に鳴った。

 レオンハルトの瞳は、彼女ではなく隣の少女をまっすぐに見つめている。


「私は、このリリア・フローレと真実の愛で結ばれている!

 よって――公爵令嬢セレナ・アルトリアとの婚約を、今この場で破棄する!」


 ――空気が爆ぜた。


 ざわめき。息を呑む音。

 王妃が扇子を落とし、国王が言葉を失う。

 セレナはただ、その場に立ち尽くしていた。


「……殿下、それは……冗談でございますか?」


 声が震えぬよう、全ての理性を総動員して絞り出す。

 だがレオンハルトは、冷たくも誇らしげな笑みを浮かべた。


「冗談ではない。お前のように冷酷で傲慢な女に、私はうんざりしている。

 お前はただ家柄で婚約者になったに過ぎぬ。愛も情もない人形だ!」


 貴族たちの中で、誰かが小さく笑った。

 リリアと名乗った平民の少女が、か細く囁く。


「セレナ様、殿下を苦しめないでください……。殿下は、本当はずっと……」


 その言葉に、セレナの心が音を立てて崩れた。


「……そうですの。殿下の“真実の愛”に、私が口を挟む資格はございませんわね。」


 セレナは一歩、静かに前へ出た。

 そして全員の前で、ドレスの裾を優雅に広げ、深々と礼をする。


「この婚約破棄、確かに承りました。

 どうぞお二人で、お幸せに――」


 その声には怒りも涙もなかった。ただ、凍てついた美があった。

 レオンハルトが一瞬だけ怯えたように視線を逸らす。

 だが彼はすぐに笑みを作り、声を張り上げた。


「これで良い! 今日から私は自由だ! リリアと共に新しい時代を作る!」


 拍手がまばらに起こった。だがその多くは恐れに満ちたもの。

 公爵家を敵に回すことの意味を、誰もが知っていた。


 セレナはその場を去った。

 背後で響く笑い声と音楽は、もう彼女の耳には届かない。


 ――その夜、彼女の屋敷では、すでに別の動きが始まっていた。


 執務室の机の上。封蝋の押された一通の手紙。

 王宮の文書管理官から密かに届けられた報告書。


『第一王子殿下の系譜に、呪詛の兆候あり。血の継承に異常発現。』


 セレナはそれを見つめ、唇に冷たい笑みを浮かべた。


「……やはり、“始まった”のですね。」


 窓の外、満月が血のように赤かった。

 彼女は白薔薇の髪飾りを外し、机に置いた。

 薔薇の花弁が、音もなく崩れ落ちる。


 ――婚約破棄の夜は、同時に“復讐の始まり”の夜でもあった。




あとがき

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