軽音楽部との出会い
美月との出会いから二日後の昼休み。翔太は太一と一緒に学食でカレーライスを食べていた。
「おい翔太、最近なんか上の空だな」
太一が心配そうに声をかけた。
「え? そうかな」
「そうだよ。授業中もぼーっとしてるし、何考えてるんだ?」
翔太は美月との出会いのことを思い出していた。あの美しい音色、真剣な横顔、そして複雑そうな表情……すべてが頭から離れない。
「実は……」
翔太は太一に、美月との出会いについて話した。太一は目を丸くして聞いている。
「へー、音楽科の美人と知り合いになったのか。すげーじゃん」
「知り合いっていうほどじゃないけど……でも、音楽のことがもっと知りたくなったんだ」
「ふーん」
太一は少し考え込んだ。
「でも、クラシック音楽って難しそうだよな。俺たちみたいな素人には敷居が高いっていうか」
「そうなんだ。美月さんも、音楽は簡単じゃないって言ってたし……」
翔太が落ち込んだような表情を見せた時、隣のテーブルから明るい声が聞こえてきた。
「あら、音楽に興味があるの?」
振り返ると、ショートボブの可愛らしい先輩が立っていた。笑顔が印象的で、とても親しみやすい雰囲気を醸し出している。
「あ、はい……」
翔太は戸惑いながら答えた。
「私、2年の橘花音よ。軽音楽部の部長をやってるの」
「軽音楽部!」
太一が興味深そうに身を乗り出した。
「詩織先輩が話してた部活ですね」
「詩織ちゃんが?」
花音の表情が少し複雑になった。でも、すぐに明るい笑顔に戻る。
「ええ、軽音楽部よ。ポップスやロックを演奏する部活なの」
花音は翔太たちのテーブルの向かいに座った。
「もしかして、音楽を始めてみたいと思ってる?」
「えーっと……興味はあるんですが、全くの初心者で」
翔太は正直に答えた。
「初心者でも全然大丈夫よ!」
花音は元気よく手を振った。
「私だって、正式な音楽教育なんて受けてないもの。みんな好きな気持ちから始めたのよ」
「本当ですか?」
「もちろん! 音楽って、楽しむものでしょう? 技術がどうとか、難しい理論がどうとか、そんなこと最初は気にしなくていいの」
花音の言葉は、美月とは正反対だった。翔太は戸惑いを感じた。
「でも……」
「何? 何か心配なことがあるの?」
「音楽科の人に、音楽は簡単じゃないって言われて……僕なんかがやっても大丈夫なのかなって」
花音の表情が一瞬曇った。
「音楽科の人がそんなことを?」
少し考えてから、花音は優しく微笑んだ。
「確かに音楽科の人たちは、小さい頃からクラシック音楽を学んでいて、すごく技術が高いわ。でも、それがすべてじゃないのよ」
「すべてじゃない?」
「音楽にはいろんな形があるの。クラシックも素晴らしいけれど、ポップスも、ロックも、ジャズも、みんな立派な音楽よ」
花音は熱を込めて話した。
「大切なのは、音楽を愛する気持ち。技術は後からついてくるものよ」
翔太の心に、希望の光が差し込んできた。
「僕にもできるでしょうか?」
「もちろんよ! ねえ、今度軽音楽部の部室を見に来ない? 今日の放課後はどう?」
「今日ですか?」
翔太は太一を見た。太一は肩をすくめて笑っている。
「俺も見てみたいな、軽音楽部」
「やった! 二人とも来てくれるのね」
花音は嬉しそうに手を叩いた。
「放課後、音楽棟の地下1階にある部室で待ってるわ」
昼休みが終わり、翔太は午後の授業を集中して受けることができなかった。軽音楽部への期待と、美月への想いが複雑に絡み合っている。
放課後、翔太と太一は音楽棟の地下に向かった。階段を降りると、少し薄暗い廊下の奥から、エレキギターの音が聞こえてくる。
「お疲れさまー!」
花音の明るい声が響いた。部室のドアを開けると、思ったよりも広い防音室が現れた。ドラムセット、アンプ、電子ピアノなどの機材が所狭しと置かれている。
「すごい……」
太一が感嘆の声を上げた。
「本格的な設備ですね」
「でしょう? 音楽科の施設には負けるけど、私たちなりに頑張って揃えたのよ」
花音が誇らしげに説明した時、部室の奥から一人の男子生徒が現れた。銀縁メガネをかけた、クールな印象の先輩だ。
「花音、新入生?」
「そうよ。神崎蓮先輩、紹介するわ」
花音は二人を蓮の方に向けた。
「朝比奈翔太くんと早川太一くん。音楽に興味があるの」
「神崎蓮、2年生だ」
蓮は簡潔に自己紹介した。その冷静な雰囲気に、翔太は少し緊張した。
「楽器の経験は?」
「全くありません」
翔太が正直に答えると、蓮は少し考え込んだ。
「そうか……まあ、やる気があれば何とかなるだろう」
「蓮先輩はベースを担当してるの」
花音が説明した。
「音楽理論にもすごく詳しくて、私たちの頼れる先輩なのよ」
蓮は照れたように眼鏡を押し上げた。
「そんな大したことじゃない。ただの趣味だ」
でも、その言葉とは裏腹に、蓮の音楽への情熱は伝わってきた。
「ねえ、何か演奏を聞かせてもらえませんか?」
太一がお願いすると、花音は嬉しそうに頷いた。
「もちろん! 蓮先輩、一曲やりません?」
「いいのか?」
「ええ、『翼をください』でどう?」
「了解」
蓮はベースを手に取り、花音はマイクの前に立った。簡単なカウントの後、演奏が始まった。
翔太は驚いた。花音の歌声は、天性の美しさを持っていた。技術的にはクラシックの声楽ほど完璧ではないかもしれない。でも、感情がストレートに伝わってくる。蓮のベースも安定していて、二人だけとは思えないほど豊かな音楽になっていた。
曲が終わると、翔太と太一は自然と拍手していた。
「すごい……」
翔太は素直に感動を表した。
「美月さんのピアノとは全然違うけど、同じくらい心に響きました」
花音は嬉しそうに微笑んだが、「美月さん」という名前に少し反応した。
「美月さんって、もしかして星野美月ちゃんのこと?」
「はい、知ってるんですか?」
「ええ、同じ1年生だもの。音楽科では有名よ。ピアノがとても上手な子」
花音の表情が少し複雑になった。
「でも、どうして美月ちゃんを?」
「この前、偶然演奏を聞いて……すごく感動したんです」
「そう……」
花音は何かを考え込んでいるようだった。
「あの、翔太くん」
「はい」
「もし音楽を始めるなら、どんな楽器をやってみたい?」
翔太は少し考えた。美月のようなピアノも憧れるが、さっき聞いた音楽も魅力的だった。
「ギターとかはどうでしょう?」
「いいわね! ギターなら私も教えられるわ」
花音が明るく答えた。
「太一くんは?」
「えーっと……ドラムとかどうですか? 叩いてみたいです」
「太一、お前らしいな」
翔太が笑うと、太一も照れ臭そうに笑った。
「ドラムもいいわね。体力勝負だけど、バンドの心臓部よ」
蓮が口を開いた。
「でも、軽音楽部は今、微妙な状況なんだ」
「微妙な状況?」
「部員が少なすぎて、廃部の危機にある」
花音の表情が急に暗くなった。
「現在の正式な部員は、私と蓮先輩だけ。最低でも5人は必要なのよ」
「そうなんですか……」
翔太は驚いた。
「だから、君たちが入ってくれれば、とても助かる」
蓮が真剣な顔で言った。
「でも、それだけじゃない。音楽科からの風当たりも強いんだ」
「風当たり?」
「軽音楽は『本当の音楽』じゃないって思われてるのよ」
花音が苦笑いした。
「クラシック音楽こそが正統で、私たちのやってることは遊びだって」
翔太は美月の言葉を思い出した。「音楽は簡単なものではない」「長年の訓練と深い理解が必要」……
「でも、私は信じてるの」
花音の声に力がこもった。
「音楽に貴賤はない。どんな音楽でも、人の心を動かすことができれば、それは立派な音楽よ」
翔太の胸に、熱いものが込み上げてきた。花音の言葉は真っ直ぐで、説得力があった。
「僕……やってみたいです」
翔太は決意を込めて言った。
「軽音楽部に入らせてください」
「本当?」
花音の顔が輝いた。
「俺もやります」
太一も続いて宣言した。
「でも、本当に大丈夫?」
蓮が確認するように聞いた。
「音楽は楽しいことばかりじゃない。練習は大変だし、人前で演奏するのは緊張する」
「はい、覚悟してます」
翔太の返事に嘘はなかった。
花音は感動で涙ぐんでいた。
「ありがとう……本当にありがとう」
「花音……」
蓮も安堵の表情を見せた。
「これで4人。あと1人いれば……」
その時、翔太の頭に一つの考えが浮かんだ。美月はクラシック音楽に疑問を感じているように見えた。もしかしたら、軽音楽にも興味があるかもしれない。
でも、音楽科の生徒が軽音楽部に入るなんて、現実的に可能なのだろうか。
「とりあえず、明日から一緒に練習しましょう」
花音が提案した。
「基礎から教えるから、心配しないで」
「よろしくお願いします」
翔太と太一は深くお辞儀をした。
部室を出る時、翔太は美月のことを考えていた。彼女の複雑な表情、完璧すぎる演奏への不満……きっと彼女も、音楽の新しい形を求めているのかもしれない。
でも、それは叶わぬ願いなのだろうか。音楽科と軽音楽部の間には、深い溝があるように感じられた。
夕日に照らされた音楽棟を見上げながら、翔太は複雑な気持ちでいた。新しい世界への扉が開かれた喜びと、美月への想いが交錯している。
明日から始まる軽音楽部での新生活。翔太の青春が、本格的に動き出そうとしていた。
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