第3話 フェイクニュースって誰が作るの?

昼下がりの教室。

掲示板の隅に貼られた一枚の紙が、風に揺れていた。

「“転校生が留年確定!?”」「生徒会が密会!?」——赤いマーカーで囲まれた噂の断片。


のぶたんが指でその紙をつまんで言った。

「ねぇ、これ、誰が書いたんだろうね。

 みんな信じてるけど、根拠ゼロだよ?」


ユリエもんは教室の隅の机に座り、古い新聞をめくっていた。

「それが、“情報の進化”の悲しい姿だね。」


「進化? 退化じゃなくて?」

「フェイクニュースって、ウソを作る人より、“信じた人の数”でできるんだよ。」



1. 情報の繁殖力


ユリエもんはノートを取り出し、三角形を描いた。

底辺の一方に「発信」、もう一方に「拡散」、頂点に「信頼」。


「“発信”は1人、“拡散”は群れ、“信頼”は錯覚で生まれる。

 たとえば——“転校生が留年した”って言葉。

 これが100人に届けば、“数”が真実を作る。」


「数が真実?」

「そう。社会心理学では“社会的証明”って言う。

 “みんなが言ってる=正しい”って脳が勝手に判断しちゃうの。」


のぶたんは頬を膨らませた。

「じゃあ私たち、正しさを考えるより、人数を信じてるの?」

「うん。進化の副作用。昔は“多数の声”が生存を保証してた。

 でも今は、“多数の声”が誤情報を育ててしまう。」



2. 誰も嘘をついていない世界


「でもさ、フェイクニュースを流す人って、やっぱり悪いでしょ?」

ユリエもんはゆっくり首を振る。

「悪意がある人もいる。でもね、もっと多いのは“善意の伝達者”。」


「善意?」

「“これ本当?”って拡散する人。

 “(万が一ってこともあるし)みんなに知らせなきゃ”って人。

 つまり、疑いながら広めるというパラドックス。」


黒板に三つの円が描かれる。

〈意図〉・〈行動〉・〈影響〉。

重なった中央に“ノイズの心臓”と書かれた。


「フェイクは、“意図”が悪でなくても、“影響”が大きければ成立する。

 つまり、“嘘をついた人”じゃなく、“信じた人”が作る現象なんだ。」


のぶたんは机をトントンと叩く。

「……つまり、嘘を作るのは“人の信頼”?」

「そう。“信じる力”があるから、嘘も育つ。

 本当を求めるほど、偽が紛れ込むんだ。」



3. 感情という燃料


「でもなんでそんなに広まるの? AIが操作してるの?」

「AIも手伝うけど、エンジンは“感情”だよ。」


ユリエもんはチョークで線を引く。

〈情報〉→〈感情〉→〈行動〉→〈情報〉。


「怒りや恐怖を引き起こす情報は、シェア率が2倍以上になる。

 論理より感情の方が、指を動かすからね。」


「でも、それって操られてるみたいでイヤだなぁ」

「そう感じるのも正常。

 でも、完全に感情を切り離すと、人間じゃなくなる。

 だから必要なのは“感情の翻訳力”——感じた後に、考える時間を取ること。」


のぶたんはうなずいた。

「考える時間……ユリエもんみたいに?」

ユリエもんは苦笑した。

「いや、私は考えすぎて“感じる”のが遅れる方だよ。

 だから君みたいな人が必要なんだ、ちゃんと心が反応する人。」

「ちょっ、待って。いきなりのデレ。心が動きすぎるから!」



4. 真実の市場


放課後、二人は図書室に移動した。

ニュースアプリのタイムラインには「AIニュース生成」「情報操作」「SNS規制」の文字が並ぶ。


「情報の世界には“真実市場”がある。」

ユリエもんが黒板に二つの軸を描く。

横軸に〈速さ〉、縦軸に〈確かさ〉。


「今の世界は、沢山のヒトが“速さ”に全投資して、“確かさ”を切り捨ててる。

 “確かさ”は時間を要するから。つまり、誤情報は早く儲かる。」


のぶたんはため息をつく。

「まるでジャンクフードだね。食べやすくて、後で胃が痛くなる。」

「そう。真実はスローフード。

 でも人間は“早い満腹感”に弱い。

 だからこそ、バズと同じく“消化の速さ”が魅力になってしまう。」



5. 疑う勇気と信じるやさしさ


のぶたんは机に頬を乗せてつぶやいた。

「じゃあ、どうしたらいいの? 全部疑えばいいの?」

「それも違う。疑いすぎると、心が疲れて何も信じられなくなる。誤情報や陰謀論は、そういう疲れた心により効くから、かえって騙されやすくなってしまう」


ユリエもんはそっと言葉を置いた。


「誰だって何かを信じないわけにはいかない。

 だから必要なのは、“信じる前に一拍おく癖”。

 疑うのは攻撃じゃなく、やさしさの延長にできる。

 “本当?”って尋ねるのは、相手を試すんじゃなく、守る行為なんだ。」


のぶたんのまつげが揺れた。

「ユリエもんって、いつも人を責めないね。」

「責めたら学びが止まるから。

 知ることは、責めることじゃない——でしょ?」

「ふふん、そういうとこ!」


ユリエもんが微笑むと、のぶたんも同じ笑みを返した。

それは、教える者と教わる者を越えた、

互いを守る者同士の笑顔だった。



6. 黒板の三行


ユリエもんがチョークを握り、黒板に三行を書く。

1. フェイクは“信じた人の数”で生まれる現象

2. 感情は情報の燃料、翻訳できれば制御できる

3. 疑うことは、責めることじゃなく、守ること


のぶたんはその文字を見上げた。

「ねぇ、ユリエもん。

 もし誰かが私の悪い噂を流したら、どうする?」

ユリエもんはしばらく考えて答えた。

「その人を責めるより、君の声を増やすかな。

 “真実”は、一人の声じゃなく、関係の数で取り戻せるから。」


のぶたんは小さく笑った。

「じゃあ、私もユリエもんの声、増やすね。」

ユリエもんは照れくさそうに目をそらした。

「……それは少し恥ずかしいけど、うれしい。」



Epilogue


フェイクは、悪意の影ではなく、信頼の影。

信じたい気持ちが、人を間違わせる。


けれど、信じることをやめない人たちが、

世界を少しずつ本当の方向へ戻していく。



次回(予告)

第4話「どうして努力しても報われないことがあるの?」

──心理学と確率、そして「意味の再定義」へ。

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