第2話 なぜ“バズる”とすぐ飽きられるの?


購買部の前に、甘い匂いが溜まっていた。

メロンパンの入荷日。昼休み前から列が伸び、ざわざわと期待の声が重なる。


のぶたんは列の最後尾でぴょんと背伸びした。

「ユリエもん、今日こそメロンパン買えるかな」

「到着率と処理率の比を信じよう」

「数式でお腹はふくらまないよ?」


二人が笑ったそのとき、教室のチャットに通知が走った。

『#SNS話題 ——3年C組の動画が“学内バズ”!』

「見て見て! 昨日の体育祭のスローモーション動画、すごい再生数!」

のぶたんがスマホの画面を見せる。再生カウンタの数字が、秒針みたいにどんどん増える。

「わぁ、すでに飽きられてる」

ユリエもんは、もう次の通知欄を見ていた。

『“別角度から見た同じ動画”がさらに話題』

「ねぇ、まだ始まったばかりだよ?」

「だから。——バズは、始まった瞬間に飽きはじまる」


のぶたんは目を丸くした。

「え、なんでそんな呪いみたいなこと言うの」



1. はじめの刺さり


昼休みのチャイムが鳴る。列が少しずつ前に進む。

ユリエもんは黒板代わりの小さなメモ帳を開いて、細いペンで丸を描いた。


「まず、“バズる”って何か。

 ——大勢の人が短時間で同じものに注意を向ける現象。注意が一点に“収束”する」


「うん。それで?」

「人の脳は“予想外”に強く反応する。これを“予測誤差”って呼ぶ」

ペン先が、丸の中心に小さな星印を打つ。

「初回は“大きな誤差”が起きる。『こんな角度から体育祭!?』——ドパッと快感が出る」

「ドパッと」

「次に同じ刺激が来る。誤差が小さくなる。快感も減る。——慣れ」


のぶたんは腕を組んだ。

「つまり、バズは“最初の一刺し”が強いほど、減速も速い?」

「そう。“強い最初”は、“速い飽き”の裏返し」



2. 希少の消滅


列が角を曲がる。購買部のガラスに、焼きたての影がちらつく。

のぶたんの視線がそわそわ揺れた。


「価値のもう一つの源は“希少性”。

 バズると、ものは“ ubiquitous(どこにでもある)”になる。

 ——“どこにでもある”は“欲しくならない”の近くにいる」


「でも、みんな見てると私も見たくなるよ?」

「それは“同調欲求”。

 けれど、同調によるアクセスが増えるほど、希少による価値は減る。

 “見なきゃ置いていかれる”の焦りが、ピークを過ぎると“もういいや”に転ぶ」


ユリエもんは、メモ帳に二本の線を引いた。

一本目は急上昇して、すぐ折れ曲がる曲線(注目)。

二本目は最初ゆるやかに上がり、ゆっくりと下りる曲線(愛着)。


「注目は早く上がって早く落ちる。愛着は遅く育って、長く残る」

「バズるのは“注目の曲線”?」

「うん。だから“話題になった瞬間に飽和”が始まる。

 希少が消え、期待が平均化し、誤差は痩せていく」



3. アルゴリズムの呼吸


購買の窓口まであと数人。

のぶたんはスマホをもう一度覗く。動画のカウンタは前より落ち着き、代わりに「新しい切り抜き」が上に来ている。


「アルゴリズムは“新規性”に点数をつけ続ける。

 “似て非なる新しさ”を供給し、連続する初回をシミュレートする」

「連続する初回……」

「人の“飽き”は、供給側が新しさを増やすほど早くなる。

 だって、次の“ちょっと違う初回”がすぐ来るから」


ユリエもんはメモ帳に歯車を描く。

歯の一枚一枚に小さく“NEW”の文字。

「歯車は回る。けれど噛み合うほど、体験は薄切りになる。

 一枚一枚は新しいけれど、どれも薄い。

 ——“厚み”が記憶を残すのに、“薄さ”は忘却を助ける」


「……ちょっと怖い。私たち、記憶の薄切りを食べてるの?」

「でも、それで助かってることもある。

 世界の情報は多すぎる。薄切りにしないと、噛めない」



4. 記憶のグラフ


列がようやく窓口に届いた。

「メロンパン、残り三つです!」

「危ない!」とのぶたんが手を伸ばす。ユリエもんも並ぶ。

二人はなんとか二個を確保し、廊下の端で半分こした。

パンの湯気が、対話にやわらかい段落を作る。


ユリエもんは袋の上から指で弧を描いた。

「記憶は“反復”で留まる。エビングハウスの忘却曲線は、最初の一日で急速に落ちる」

「昨日の動画が今日つまらないの、曲線のせい?」

「半分はね。もう半分は、“文脈”が増えないから。

 同じ動画でも、別の物語として再訪すれば、記憶は厚くなる」


のぶたんはパンをちぎりながら考えた。

「つまり、“バズり続けたいなら、同じものの別の意味を提供する必要がある?」

「そう。“再意味化”。意味は希少をつくる」



5. 期待の会計学


「ねぇ、飽きって悪いこと?」

「生存の装置だよ」

ユリエもんは立ち上がって、廊下の掲示板に貼られた白紙を見つけると、チョークで三角形を描いた。

底辺に〈刺激〉、もう一方の底辺に〈予測〉、頂点に〈満足〉。


「人は“刺激”を受け取り、過去から“予測”する。

 満足は、刺激そのものより“予測との差”に強く依存する。

 ——だから、予測が肥大すると、満足は減る」


「バズると、みんなが『最高!』って言う。

 すると私の予測も膨らむ。

 食べる前から“満腹の幻”を食べちゃう感じ?」

「うん。評判は胃袋より先に満腹にする」


のぶたんはメロンパンをもう一口。

「でも今このパン、おいしいよ」

「それは“手に入るか不確実だった”から。

 並んだ時間が、予測を抑制して、満足を守った」


「努力が味を濃くする?」

「味は心の会計。コストと希少が、風味にスパイスを足す」



6. バス拡散と収束の歌


午後の授業前、二人は中庭のベンチに腰を下ろした。

木漏れ日が、教科書の余白に音符の影を落とす。


「バズには典型的な広がり方がある。

 “イノベーター”が種火をつけ、次に“模倣者”が一斉に燃える」

ユリエもんは空中にS字の曲線をなぞる。

「初期は遅く、中盤で急に伸び、後半で飽和する。バス拡散モデルの直観」

「S字の上がりきったら、もう伸びない?」

「うん。天井まで届いたら、そこからは重力が働く。

 重力の正体は“飽き”“代替”“反動”。

 ——みんなが知ったとき、それは“もう普通”になる」


のぶたんはうなずいた。

「普通になったら、私たちは次の“普通じゃない”を探す」

「探すこと自体が、楽しい行為だから」



7. “厚み”をつくる方法


「じゃあ、“飽きにくいもの”って何?」

「参加があるもの。物語が増えるもの。手触りが残るもの」


ユリエもんは指を折って数える。

「1) 見るだけじゃなく、いじれる(参加)

 2) 説明だけでなく、意味を編み足せる(物語)

 3) 一回性だけでなく、続きが必要(連載性)

 4) 誰かの顔が見える(関係)」


のぶたんは笑顔になった。

「なんか恋愛みたいだね」

「恋も、最初は“予測誤差”で動く。

 その後は“共同編集”で厚みを増やす」


のぶたんは頬に手を当てた。

「私たちも、厚み、出てきたかな」

ユリエもんは一瞬だけ目を伏せ、言葉を選ぶ。

「君が質問して、私が考える。

 私が迷って、君が笑う。

 ——その反復が、厚みを作る」


風が、教室棟の影をふわりとずらした。



8. 反動と赦し


チャイムが鳴る。皆が教室へ急ぐ。

廊下の掲示板に、さっきの動画とは別のポスターが貼られていた。

『合唱祭、有志募集』

のぶたんが立ち止まる。

「ねぇこれ、やってみない?」

「急に?」

「“見る”だけだと薄切りになっちゃうから。歌えば厚みになるかなって」


ユリエもんは、少しだけ肩をすくめた。

「音痴かもしれないよ」

「それはそれで、予測誤差だよ?」

「……なるほど」


二人は顔を見合わせて笑い、申込用紙に名前を書いた。

ペンのインクが紙にしみていく。

“見る”より“混ざる”。その決断が、日常のバズをゆっくりと赦していく。



9. 黒板の三行


最後にユリエもんは、メモ帳の端に小さくまとめた。

1. 最初の誤差が大きいほど、飽きは速い(慣れ・希少の消失)

2. アルゴリズムは“連続する初回”を作るが、それは薄切りの記憶

3. 厚みは参加と再意味化から生まれる(関係・物語・連載性)


のぶたんはうなずいた。

「わかった。次にバズったら、混ざるか意味を足す。

 それが“飽きない側”に回る方法だね」

「うん。バズは消えるけど、君が足した意味は残る」


教室のドアを開ける直前、のぶたんが振り向く。

「ユリエもん、もし世界が全部“薄切り”になっても、私、あなたと厚みを作っていたい」

ユリエもんはふっと笑った。

「その宣言は、かなり分厚い」


二人の影が並び、午後の授業のはじまりに吸い込まれていく。



Epilogue


バズの火は、すぐ風になる。

けれど、火を囲む人がいれば、灰は土になる。

そして土は、次の芽のために柔らかく残る。



次回(予告):

第3話「フェイクニュースって誰が作るの?」——社会心理と真実の経済、そして“検証の手触り”。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る