第2話 負け犬の朝
親は宗教にのめり込み借金を作り、周りからは頭がいかれた家族だと罵られる。
馬車馬の如く働いても、雀の涙程度の給料すら手元に残らない。
彼女は紛れもなく負け犬だった。
しかし、あの日の出会いがすべてを狂わせることになるとは──このときの彼女は、まだ知らなかった。
「涼宮ちゃんには悪いんだけどさ、明日から来なくていいよ」
「……へっ?」
みんなが出勤を終える午前九時。沙代里にとっては長い仕事が終わる時間になった。
小太りな店長から告げられた言葉に、彼女の丸い目には驚きと戸惑いの色が映る。
「常連さんから聞いた話だけどさ、君、借金あるって本当? しかも、何度注意しても親が店の前で宗教勧誘してきたよね。……こっちも商売だから、下手な噂立てられたくないっていうか」
クチャクチャと口を鳴らしながら店長は、沙代里を嫌らしく責めたてた。
見下されていると分かりながらも堪え、グッと拳を見せないように、握りしめる。
これで何回目の理不尽だろうかと涼宮は思う。借金や親など自分じゃ変えられない部分を、自分のせいだと言われ、言い返せない弱い自分が嫌だった。
「分かりました! 今までありがとうございます。制服はどうしましょうか!」
「あぁ、洗濯しなくていいから今すぐ返して。その方がお互い楽でしょ?」
仮面を被ったような笑みを浮かべた沙代里の内側を知らない店長は、自分が楽なことが彼女にとってもいいことだと押し付ける。
沙代里は何一つ文句を言わずに、脱いだばかりの制服を店長がいる机に置く。
そしてもう一度お辞儀をした後、裏口から外に出る。
──バタン。
ちゃんと閉めたのに、わざとらしく再び閉じられた扉の音が、嫌なほど沙代里の耳に残った。
「あーっ! もう! こっちが下手に出るしかないこと分かってて、理不尽ばかり押し付けてきたくせに、挙げ句の果てには使い捨てとか最低だ! そこら辺にあるコンビニなくせに!」
早足で店の敷地内から出ると、怒りのあまり声を荒げてしまう。
誰も入りたがらない深夜のシフトを一人で回していたのに、結局は世間体に負ける。
沙代里は店長の悪口が止まらなかった。しかし、口数が少なくなるにつれ、だんだんと歩くスピードが遅くなり、最後には立ち止まる。
「……私だって好きでこんな人生歩んでないもん」
俯いて今にも消えそうな声は、悔しさが滲み出ていた。
生まれた時から宗教にハマっていた親を自分含めてバカにする同級生に、膨れ上がる借金は終わりが見えない。
本当はずっとやりたいことがある。
けれど、お金がない自分には夢見る資格すらなかった。
何も知らない子どもの淡い希望から覚め、初めての挫折を味わった中学生の卒業式を思い出す。
電柱に貼られている『救われぬ者は世界の外側へ』そう書かれた宗教団体の張り紙が視界の端に映り、過去を思い出して吐き気がする。
晴天なのに、彼女の足元だけ雨が降っていた。
沙代里は乱暴に腕で顔を拭った後、クシャついた顔をあげる。
「仕方がないっ! またハローワークに頼るしかないよね!」
誰もいない道で、いつもより大きな声を出し、独り気合いを入れた。
まだ終わらない。こんな人生で終わりたくない。それだけが沙代里を支えている。
真っ直ぐにハローワークへと歩む彼女の背中は頼りなさげで、少し力を加えただけで今にも崩れそうな危うさを孕んでいた。
この道の先に待ち受ける運命は、地獄よりも深く温かな奈落だという事に、沙代里は気づいていない。
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