ストライダーズランカー〈セラ・オークランド〉
宙域に漂う採掘ステーション・オルベガは、もはや施設とは呼べなかった。
かつて資源を吸い上げ、人の営みを支えた拠点。その姿はいまや、生を剥ぎ取られた巨大な屍のように虚空に横たわっている。
外壁のラインは滑らかさを失い、溶接の継ぎ目が火傷の痕のように走っていた。
あちこちが不自然に膨らみ、押し潰されたように歪み、無理やり増設された構造物は棘の群れのように突き出している。鉱石を掘削した巨大なアームは鎖で封じられた獣の四肢のように固定されており、通電させても稼働するようには見えなかった。
砕け散った太陽電池板は虚空を漂い、煤けた表面は光を返さない。かつて陽を集めた鏡は、いまや闇を映す破片に過ぎない。
オルベガは採掘施設の体裁を辛うじて残していたが、その実態はもはや機能と言えるようなものではなく、まさに異物だった。星々の光に照らされる外壁は白骨のように乾き、周囲の岩塊に寄生する瘴気めいた影を伸ばしている。
『オルベガ宙域に到達。熱源反応を捕捉。……少ない? これは……』
リオナの声は分析の冷静さを保ちながらも、硬く緊張していた。ホログラム化された計測データがコックピットの前面に浮かび上がる。
アシェルは眉をひそめ、黙ってそれを凝視する。
敵兵力が集結している――それが依頼主の報告だった。
だがセンサーに映るのは散発的な点ばかり。数も少なく、隊列を組むでもなく、ただ無意味に宙に浮かんでいるだけ。
「おかしいな……これが集結か?」
アシェルは吐息を混ぜて独り言のように呟く。
『罠の可能性もあるが……いずれにせよ、偵察は避けられん』
カイルの声が冷ややかに返す。
<イージス>のセンサーが拾ったデータが転送され、リオナが卓上の端末を操作する。浮かび上がる赤点はやはり散発的で、統制の影はどこにもなかった。
二機のストライダー――<ブルワーク>と<イージス>は、互いの死角を補うような間隔を保ちつつ、岩塊群の迷路を縫うように進む。
推進器が低く唸り、短い噴射炎が点滅する。その光跡は、心臓の鼓動を記録した心電図のように断続的で、漆黒の宙にかろうじて生の痕跡を刻んでいた。
<ブルワーク>の操縦席で、アシェルは手のひらにじっとりとした汗を感じた。グローブの内側が湿り、操縦桿にまとわりつく。機体を伝う振動が鼓動と重なり、冷静を装うとする意識を乱していく。
――静かすぎる。
本来なら敵意と熱気で満ちるはずの宙域に、気配がなさすぎる。
『アシェル、意識を散らすな。ここは死角が多い』
カイルの声は冷たく落ち着いていた。
「分かってる」
短い返答。しかしその声の端に、隠せない緊張が滲むのをアシェルは自覚していた。
暗礁宙域を進む二人の様子を見る傍ら、リオナは戦域マップを睨む。
『反応はある……けれど散発的すぎる。戦力の集結というより、何かの残骸に近いわ』
その声は静かだが、不安を押し隠しきれなかった。
暗黒の中に潜むオルベガは、ただそこにあるだけで異様だった。
施設の外観は虚ろに輝き、まるで何かが内部で牙を研ぎ澄ませている巣窟のように見えた。
岩塊の影が揺れ、そこから複数の機影が跳ね出た。
赤いセンサーアイがぎらつき、虚空を射抜く。だが、そこに宿るはずの意思は存在しなかった。
ワーカーフレーム改造機――<ホーラー>――エルゴスで戦った無人機と同じ機種だ。
違いがあるとするなら、武装がレールガンであること。
宙域戦に適応する武装をしていることから、それは確かに脅威度の高い戦力と言える。しかし軍用ストライダーと比較すれば依然として寄せ集めの域を出ない。
さらに数機が影から浮上する。
赤い単眼が一斉に点灯し、無感情に銃口をこちらへ向けてきた。
「……無人機か」
『そのようだ。こちらは戦術AIの統制下にあるようには見えんな』
アシェルは低く息を吐き、操縦桿を傾ける。
カイルもまた、<イージス>にビームライフルを構えさせ、敵機をロックオンする。
「……不気味ではあるが、手はず通りにやるぞ。援護を頼む」
『了解した。好きに突っ込め』
<ブルワーク>の巨体が滑る。
その機動に無人機は反応しレールガンを発射するが、全てを余裕をもって回避していく。
宙域戦ということで盾を持ってきたが、実体弾だけの戦場では無意味だった。しかしわざわざ捨てる必要もなく、ただの重荷を抱えたまま<ブルワーク>は難なく攻撃を回避していく。
アシェルに気を取られている無人機群に対して、カイルは狙いを定めた。
照準、射撃――光が一閃する。
<イージス>のビームが虚空を裂き、先頭の一機を白光に包んで焼き尽くした。
同時に、<ブルワーク>のレールガンが火を噴き、炸裂した弾丸が別の一機を容易く粉砕する。
爆散。残骸が漂う。
味方の損害に戸惑うことなく、平然と動く様はまさに無人機であり、<ブルワーク>へと射撃をひたすらに続けている。
『戦術データ更新――アシェル、敵機は旧式のAIよ。回避アルゴリズムをこれに切り替えて』
リオナからの通信によって表示される推奨回避アルゴリズム。それをアシェルは手早くタッチパネルを押して切り替えた。
これにより回避機動は自動化され、アシェルはただ攻撃にのみ集中すればいい。
敵機からレールガンの砲口が閃き、弾丸が吐き出されるが、それを読み切っているかの如く<ブルワーク>は横に滑り込み、即座に反撃。青白い閃光が敵機の関節部を撃ち抜いた。
機体は片腕を失い、バランスを崩したまま横転し、やがて静かに沈黙する。
<イージス>の光条がもう一機を薙ぎ払い、また赤い一つ目が潰えた。
――撃ち、壊れ、漂う。
それだけの繰り返しだった。
警報音は鳴らず、組織的な挟撃もない。
ただ単純に無人機が次々と姿を現し、的のように撃ち倒されていく。
数分も経たぬうちに、五機、六機と撃破されていた。
エルゴス内での戦いでは、敵は制御プログラムの統制下にあり、緻密な連携を見せていた。だがここで遭遇したのは、それに劣る即席の寄せ集め。武装だけは脅威であっても、戦いは拙く、ただ順番に消えていくだけだった。
火花が散り、爆炎はすぐに消え、残骸だけが冷えた虚空に溜まっていく。
――あっけない。
戦場のはずなのに、まるで単純作業の繰り返しのようだった。
「……これで終わりか?」
アシェルの声には勝利の昂揚ではなく、困惑が混じっていた。
『あまりに拍子抜けだな』
カイルの声は冷徹だったが、その裏に苛立ちが滲む。
あまりにも簡単に事が片付きすぎて、いままでの気負いに意味がなくなってしまったことが苛立ちの原因だった。
『……この程度で兵力集結? 無人機だけなんて、どう考えても不自然よ』
リオナは不安を押し殺しながら、つぶやくように言った。
ストライダーという人型の戦闘兵器は、人が搭乗し、脳波コントロールされるからこそ威力を発揮するロボットだ。
その殺気はマインドリンカーであるアシェルから漏れ出るようなリンクによって、リオナも肌感覚として知る戦場の機微であった。
だというのに戦場にあるはずの殺気は、どこにもない。漂う残骸は、ここで戦う価値などなかったと訴えるかのように、静かに浮かんでいた。
多額の報酬。それとは見合わない脆弱な敵戦力――だからこそ、異常さが際立つ。
「……何だ、これは」
呟きは独白に近く、答えは返ってこない。
戦いは終わったはずなのに、獲物を仕留め損なったような違和感だけが残っていた。
そのような状況下で、突如としてオルベガの外壁が閃光と共に裂けた。
破壊されたエアロックの隙間から、ひとつの影が滲み出る。
白銀の機影。
散った残骸の火花を背に、青白い光糸を纏いながら静かに滑り出るその姿は、虚空に舞い降りた異質な存在そのものだった。
センサーが正確に捕捉するよりも早く、通信回線に声が割り込んでくる。
『……同業者? そんな情報はなかったはず』
女の声。
冷ややかで、同時に愉悦を含む声音。鼓膜を震わせるのではなく、神経の奥に直接触れるような囁きだった。
その声は皮膚を這い、脳の奥に侵入してくる。ただの不気味な声色とはまた別の感覚。
――おそらくこの女は……マインドリンカーだ。
だからこそ精神に侵食してくるような、異質な不快感を感じているのだ。
「誰だ……?」
低く呟き、視界を凝らす。
白銀の機影は加速もせず、距離を取ったまま静止していた。
その外装は流線的に研ぎ澄まされ、縫い込むように走る黒のラインが舞踏の衣を思わせる。
彼女はただこちらを見ている。それは光学センサーを通してではない。精神の奥底をのぞき込もうとするような視線であった。
――SS-16<ヴィジラント>。
サリオン・システムズ製のストライダー。
<イージス>の簡易量産モデルとされるが、部品共通化を重視した設計ゆえ改造性が高い。
望遠により確認できた。目の前の機体も、増設されたスラスターが光を散らし、機体全体を高機動仕様へと変貌させていた。
廉価機であるはずなのに、その存在感はむしろ鋭利な宝石のように際立っている。
『セラ・オークランド……と言って分かるかしら?』
女は名乗った。
淡々と、だが一切のためらいもなく――その名自体が、武器であるかのように。
アシェルとカイルは無言で視線を注ぎ、互いに息を潜める。
『……照合完了。ストライダーズランカーA級……セラ・オークランド。登録された機体特徴とも一致』
リオナが震えるようにその名を口にした。声には戦慄が宿っている。
――なぜA級が、こんな宙域に?
疑問がアシェルの脳裏を過ぎる。
そのようなアシェルの思考を読んでいたかの如く、まるで返答するかのような独白でセラは話し出す。
『企業群の小競り合い……そう片付けていい話かしら?』
遠い機影から、甘やかに声が流れる。
脳内に侵食する不快感と、脳を蕩けさせるような美声が通信を介して<ブルワーク>のコックピットに響き渡る。
『む……これは? ……もしかすると、これはギルドの仕掛け? あるいは――この戦いこそが本命で、任務の方がついで……?』
思わせぶりな言葉。その発言に何の意味があるのか?
アシェルは息を詰め、操縦桿を握る手に力を込めた。カイルは僅かに眉を動かし、どのようなことになっても機体を動かせるように神経を尖らせる。
リオナは声を失い、ただ小さな呼吸音だけをマイクが拾っていた。
わずかな間を置いて、声色が変わる。
甘やかで艶やか、しかしその底に冷徹さを潜ませた響き。
『……あなたたちに恨みはない』
静寂の中、不意に通信に混じった短いノイズが走る。
その後に続く言葉を、まるで予告するかのように。
『でも――たった今、通信が入ったの。それはあなたたちに対する撃破命令』
一拍。
沈黙の間すら計算されているかのように、女は小さく笑った。
『悪く思わないでね? 不本意な戦いかもしれないけれど』
白銀の機体の縁を青白い推進炎が煌めいて、恐るべき存在感とともに動き出す。
『私としては好都合。さあ、私を楽しませて――命知らずの傭兵さん!』
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