エルゴス採掘拠点制圧戦

 アステリオンのブリーフィングルームは、必要以上に無機質だった。

 壁も天井も艶のない白灰色で、わずかな振動さえ音を吸い込んでしまう。艦内の人工重力が与えるはずの安定感は、なぜかこの場では逆に重圧となり、胸郭を押しつぶすようにのしかかっていた。呼吸は浅く、吐き出す空気が妙に粘りつく。

 壁際には演算ユニットが規則正しく並び、青緑のインジケーターが点滅を繰り返す。そのリズムに合わせるように低い唸り声が響き、耳の奥でくぐもった残響となって脈打つ。機械の声とも呪文ともつかぬ音が、じわじわと神経を締め上げていた。

 中央の卓上には宙域マップのホログラムが浮かび上がっている。青白い光線が織り成す小惑星帯、その一点にだけ赤いサークルが明滅していた。

 鼓動のように規則正しく、まるでここに血が集まっていると告げるかのように。


 【 作戦名:エルゴス採掘拠点制圧】

 【任務内容:拠点外縁および港湾区画を占拠した敵勢力の排除】

 【付帯条件:インフラ破壊の最小化】

 【味方勢力:ストライダーズランカー『カイル・ヴァルド』】

 【依頼主:アーク・インダストリアル・アライアンス】

 

 リオナが端末を操作し、依頼主から送られてきた通達を開いた。整然とした冷ややかな文面が淡々と並ぶ。

 だが、その中にひとつだけ、特に目を引く文字列があった。


「……カイル・ヴァルド」


 その名を口にした瞬間、空調の流れが止まったかのように、脳裏に静寂が降りた。

 アシェルは思わず息を呑み、喉までせり上がった言葉を押し戻した。見間違いかと思い再確認しても文字列は変わらず、眉間に刻まれた皺が深まる。

 ――奴と共闘だと? 殺し合いの宣言をしておいてか?

 脳裏には、前回のコロニー遭遇戦が閃光のように蘇る。

 互いに照準を合わせ、引き金を引く寸前で止まったあの瞬間。擦れ合った空気に散った火花は消えず、未だ燻り続けている。

 リオナは隣に立つアシェルの横顔を盗み見て、息を細く吐いた。

 

「因縁のある相手だけど、その実力は確か。敵に回すよりは、ずっとマシ」


 その声音はあくまで淡々としていたが、言葉の奥に潜む緊張は隠せなかった。彼女自身もまた、アシェルとのマインドリンクを通じてカイルと対峙しているのだから。

 アシェルは返事をせず、ただ短く頷いた。

 ――くだらん感傷、か……結果さえ伴えば、それでいい。

 自分を無理やり納得させて、ブリーフィングルームを後にする。

 そして格納区画に移ると、油と鉄の匂いが濃密に漂い、耳に金属音の反響が突き刺さる。

 そこに漆黒のストライダーが鎮座していた。整備用のAIロボットがマニピュレーターを器用に使い、武装や外装を点検している。

 外部に問題がないことを確認し、アシェルはコックピットへ身を滑り込ませた。

 両の手で計器を確認する。指がキーを押すたびにランプが緑色に点灯し、パネル全体が星座のように輝いていく。

 ――システムオールグリーン。準備は万全。

 アシェルは「ふっ」と息を吐き、背筋を伸ばす。

 あと一時間もせずに戦場へ到着するが、それまではコックピットの中で精神を統一する腹積もりだった。

 意識を自身の奥深くへと集中させようとするが、小柄な体格の足音がキャットウォークに響きわたる。

 それがリオナだと認識し、開いたコックピットから外へ視線を向ければ、そこからリオナが覗き込んでいた。

 

「抑制薬。忘れずに」


 透明なアンプルが差し出された。

 それをアシェルは無言で受け取り、ためらいなく首筋に押し当てて注入する。圧力と共に冷たい液体が血管を駆け上がり、頭の奥へと入り込むような感覚を覚える。

 低品位の抑制薬とはいえ、人の意思を遮断するには必要な処置であった。

 敵の心が読むことで戦闘を優位に導くことよりも、精神汚染こそが大敵である。それはストライダーズリンカー――マインドリンカーのストライダー搭乗者――にとっては常識であった。

 続けて手渡されたのは銀色パックの高カロリードリンク。キャップを外し、ひと息に吸い込むと、化学的な甘さが舌に広がる。嫌な味だが、確かに体内に熱が戻っていく。


「この前の任務では敵だったけど……味方なら心強いでしょう?」

 

 その言葉には、ほんのわずかな柔らかさが混じっていた。

 アシェルは苦笑とも皮肉ともつかぬ表情で答える。

 

「……ああ。背中を預けられるなら、それに越したことはない」


 冷静になり考えた結果としては、リオナと同じ結論に至った。しかしその声音には苦味が滲んでいる。

 カイル・ヴァルド。ストライダーズランカーB級一位。

 背中を追いかける立場である自分が、その背中を守ることになるかもしれないという皮肉に、口元が歪む。

 それを察したのか、リオナは最後に短く釘を刺す。

 

「無茶はしないで。任せられるなら任せることも、戦いには必要なはずよ」


 アシェルは頷き、それを見たリオナは格納区画から離脱する。

 コックピットハッチを閉じて、精神統一ために照明を落とした。

 そして幾ばくかの時間が過ぎ、通信越しにリオナの声が<ブルワーク>のコックピットに響いた。


『作戦宙域に到達。発進、いつでもいいわ』


 その声を聞いたアシェルは、計器を操作して核融合エンジンを起動する。

 <ブルワーク>が低く唸りを上げ、格納区画全体が震える。武装はいつもと同じ。宙域戦を意識してシールドを左腕に装着している。

 そして巨大な機体がカタパルトへと運ばれ、ロックが次々に解除される。

 艦内アナウンスが発進シーケンスを告げ、赤い警告灯が回転する。秒針がゼロへ近づくたび、心臓もまた加速する。

 ――三。

 ――二。

 ――一。

 閃光が視界を覆い、轟音と振動が全身を貫いた。

 ストライダーは母艦から漆黒の宙域へと射出される。

 そこには、音なき虚無と、戦火の予兆が広がっていた。



 

 小惑星帯は、沈黙と影に覆われていた。

 大小の岩塊が不規則な軌道を描き、互いに掠め合いながらゆっくりと回転している。その岩肌は星明かりを断続的に反射し、黒と白の縞模様を虚空に投げかける。

 時折、二つの岩塊がかすかに衝突し、音のないはずの宇宙で、轟音が鳴ったと言う幻聴じみた錯覚を感じさせる。

 閉ざされた鼓膜に圧迫感がのしかかり、耳を塞ぎたくなるほどの不穏さが漂っていた。

 アステリオンから射出されたアシェルの<ブルワーク>は、岩の谷間を縫うように進む。

 レーダーには細かなノイズが散乱し、電子の目すら欺かれている。推進炎をわずかでも強くすれば、尾を引く軌跡が敵に居場所を告げてしまう――そんな緊張が、皮膚の裏からじりじりと燃え広がる。

 前方に浮かぶ一機のシルエット。AIが瞬時に識別を告げた。

 ――SS-12<イージス>。カイル・ヴァルド。

 青と黒を基調とした色の装甲に、汎用ビームライフルを携えたストライダー。

 武装はコロニーで戦った時と変わらずに、シールドドローンとマイクロミサイルを肩のハードポイントに装着していた。

 その存在は宙域の陰影に溶け込み、敵とも味方ともつかぬ無言の影のようだった。アシェルの喉がひとりでに鳴り、操縦桿を握る手に力がこもる。

 互いに言葉は交わさない。だが、わずかに機体の姿勢を変え、視線を交差させる。その刹那の交錯こそが、ストライダー乗り同士の挨拶だった。


『データリンク接続完了。IFFはどう?』

『……問題なし。俺に専属オペレーターはいない。君が指示を出してくれ』

『了解したわ。戦術情報レベルを味方に移行、次は――』


 カイルとの交信はリオナが行う。共同戦線を張るとなれば、それは必要なことだった。

 アシェルは無言で二人の会話に耳を傾けるが、カイルは専属のオペレーターを持たずに任務を行っているらしい。

 C級やD級のランカーであるなら、それは不思議なことではないが、B級の強豪ともなれば異質な存在となる。

 

『終わったわ、これで友軍ね』


 カイルの<イージス>が承認され、戦域マップのアイコンが友軍に変わる。

 リオナは淡々とした言葉。その友軍というフレーズにアシェルは眉をしかめた。

 納得したこととはいえ、やはり違和感が強い。だが――割り切るしかなかった。

 そうして巡行速度で戦域マップをルート通りに進行すると、目的となる小惑星採掘の拠点基地が視界に映る。


『あれがエルゴス……小規模基地という話だったけど、思いのほか大きいわね』


 リオナの声に感嘆が宿っているようにアシェルには聞こえた。

 そしてアシェルもまた、その認識に同意をする。

 ――思った以上の規模がある。中規模基地に近い大きさだ。


『そろそろ接敵してもおかしくないわ。索敵に反応は――あった! 解析するわ』

 

 リオナの声がコックピットに響く。

 数秒の解析後、ホログラムに赤いマーカーが次々と浮かび上がった。

 

『敵部隊発見。エルゴス外縁部で哨戒中……C級とD級のランカーの混成のようね。数は五、他の敵機は確認できない』

「C級主体とはいえランカーを用意するとはな。敵はただの武装勢力ではないのか?」

『敵機は全てがメリディアン・ロジスティクス製ね。となるとノヴァリンク・コーポレート・ネットワークが背後にいるのかもしれない』

「この任務の依頼主はアーク・インダストリアル・アライアンスだろう? となると企業群同士の勢力争いというわけか」


 敵は武装勢力という話だが、それを企業群が支援しているということは常態化していると言っても良かった。

 表立っての抗争をする場合もあるが、わざわざ独立した組織を一枚嚙ましている。

 それは内実として企業群同士の争いであるにせよ、事を大きくはしたくないということだとアシェルは想像する。

 

『こちらカイル・ヴァルド。敵はランカーとはいえ機体は旧式機や、またはワーカーフレーム改造機が主体となっている。特別な連携は必要ないだろう』

「それぞれで好きにやる。そういうことだな?」


 アシェルの問いに、カイルは肯定を示す。


『ああ。ただし味方撃ちを気にするなら、接近戦は悪手となる。それだけは気を付けろ』

「マルチロールフレームに乗っているお前が、アサルトフレームに乗っている俺に言うことか? 作戦評価を下げたくなければ、せいぜい落ち穂拾いに勤しむんだな」

『……ビームで味方撃ちをするとでも思うのか? 俺もいざとなれば接近する。レールガンを持っているお前こそ、気を付けるべきことだ』


 アシェルとカイルの言い合いが続くが、それを見かねたリオナが通信を入れた。


『アシェル! 止めなさい!』


 鋭い叱責にアシェルは黙り込む。

 歳下の女ではあるが専属のオペレーターである。アステリオンの高性能センサー群によって、リオナは広い視野を持つ。

 基本的な作戦指示はリオナが行うという役割分担。それ故にリオナの指示に従うというのが、事前の取り決めであった。


『カイル・ヴァルド……あなたが後方からビームで牽制と援護をして、アシェルが接近してかき乱す。これが最適解のはず――あなたのB級一位という実力、期待しているわ』

『……共同作戦となれば、オペレーターである君に従うほかはないな。了解した』

「ちっ……」


 アシェルは舌打ちをしながら、操縦桿を握り直す。

 陰湿な口論のやり取りではあったが、方針は定まった。

 アシェルが前衛、カイルが後衛。

 そのフォーメーションがどう機能するか、戦いを始めてみれば分かることであった。

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