港湾制御施設圧戦
港湾区画制圧作戦――。
暗いコックピットに、青白いホログラムが浮かんでいた。簡素なブリーフィング表示がアシェルの頬を照らし、影を深く刻む。
機械油の匂いが狭い空間にこもり、緊張で乾いた喉をさらに締めつけた。
【作戦名:アルタリア港湾区画制圧】
【目標:港湾制御施設奪還】
【敵勢力:武装蜂起勢力/ストライダーズランカー:カイル・ヴァルド】
その名を見た瞬間、アシェルの奥歯が鳴った。
――カイル・ヴァルド。
胸裏にこびりついた焦げ跡のような記憶が、唐突に疼きだす。
鋼鉄の街路で共闘した仲間の断末魔。爆煙の中、まるですべてを見通すようにビームライフルの銃口を向けるその佇まい。あの影は、忘れようとしても焼き付いて離れない。
「……行くぞ」
低く吐き捨て、アシェルは栄養ドリンクをあおった。甘苦い液体が喉を焼き、わずかな覚醒をもたらす。
鼓動が速まり、握る操縦桿に汗が滲む。ヘッドアップディスプレイには突入ルートの赤線が脈動し、アステリオンからの戦術リンクが点滅。まるで戦場そのものが一つの巨大な心臓となり、律動を刻んでいるかのようだった。
艦内サイレンが低く鳴動し、カタパルト射出口が開く。
気密隔壁が退き、真空が流れ込む。アシェルの<ブルワーク>は無人クレーンに牽引され、射出姿勢に固定された。
カウントダウンの光が流れ、次の瞬間、巨体はカタパルトの電磁レールに押し出される。
推進器が閃き、漆黒の虚空へ。
アステリオンが遠ざかり、その代わりに銀灰色の曲面――アルタリア・コロニーの外壁が視界を満たしていく。
全長数十キロに及ぶ円筒の外周は無数の爆痕で傷つき、損壊した太陽電池パネルや資材の残骸が漂っていた。
破壊と静寂が支配する光景は、すでにここが戦場であることを雄弁に物語っている。
『接近ルート、クリア。外縁補修エアロックに到達予定まで二分』
リオナの声が骨導スピーカー越しに届く。
アシェルは無言で操縦桿を倒し、姿勢制御スラスターを噴かす。ブルワークの巨体は破片の影を縫い、静かに外壁の一角へと近づいていった。
やがて視界に、損傷した補修用エアロックが現れる。
自動砲座はすでに破壊され、開閉ハッチは外部からのハッキングで封鎖が解除されていく。
『外縁補修エアロックに到達。ハッキング所要時間三十秒』
AIの冷徹な報告が骨導スピーカーを震わせる。しばし待つと外壁ハッチが開き、コロニー内部へと続く扉が姿を現した。
照明は沈黙し、赤い警告灯が周期的に点滅して壁を血のように染めていた。金属のきしみが機体を伝って骨に響き、アシェルは無意識に呼吸を抑える。
ブルワークが姿勢制御スラスターを噴かすたび、コロニー内部に低い残響が広がり、静寂はより重苦しいものに変わっていった。
やがて人工重力の境界を越えた。足裏が港湾区画の床を踏みしめる。焦げたケーブル、潰れたコンテナ、折れたクレーン――そこはすでに、労働の場ではなく、戦場の残骸だった。
その中をアステリオンから射出された偵察用ドローンが先行する。中継ドローンの動きも良好であることを戦域マップで確認ができた。
『接敵まで百二十メートル。識別コードなしのストライダー、四』
リオナの声が無線に乗る。普段の冷徹さを保っているが、その裏にかすかな緊張が混じるのをアシェルは聞き取った。彼女の息遣いが途切れるたび、戦場の空気がさらに濃くなっていくようだった。
戦域マップに赤いマーカーが点滅する。
コンテナの影に潜む敵影が浮かび上がる。アシェルの視界が鋭く細まると同時に、金属音が弾けた。
人型機械が躍り出る。港湾作業用ワーカーフレーム――<ヒビキ>だった。
<ブルワーク>よりも小型のその機体は、黒鉄の装甲板が雑に溶接されている。そして右腕にはレールガンと、左腕には近接武装であるアークカッターが装備されているようだった。
『宇宙で戦ったワーカーフレームと同じ武装。ただし機体は<ヒビキ>で統一されているわ。ワーカーフレームと言えども攻撃力は本物よ』
「了解! これより戦闘行動に移る!」
アシェルは息を整え、右腕のレールガンを半身に構えた。冷却ユニットが低く唸り、銃身がわずかに震える。
一機目がクレーン残骸を飛び越えた。推進剤の尾を引き、油圧シリンダーが唸る。重機が突進してくるかのような慣性が、空気そのものを押し潰していく。
アシェルは呼吸を止め、照準環を絞る。心臓の音すら遠のいた。
――撃て。
閃光。徹甲弾が空気を裂き、敵の脚部シリンダーを正確に撃ち抜いた。火花と油煙が爆ぜ、支えを失った巨体が鉄骨に叩きつけられる。重金属の悲鳴が港湾区画を揺らし、衝撃波が床を這った。
だが、それは始まりにすぎなかった。残る三機が同時に影を躍らせ、左右と正面から襲いかかる。
恐らくは一機目が撃破されるのは想定内。レールガンの次弾装填をする僅かな間の時間稼ぎができれば十分という作戦であることは容易に理解できた。
港湾の空気が一気に圧縮される幻覚……戦場の密度が跳ね上がった。
「来いよ……!」
操縦桿を強く握り直し、アシェルは低く吠える。
次の瞬間、三方向から迫る暴力の奔流が彼を呑み込もうとしていた。
三機が同時に跳躍した。
左側の敵機はコンテナの影を疾走し、右側からは荷役レールの上を滑走する機体が火花を散らし、正面からは撃破された味方を跳ね除けて突進してくる。
AIによる補正ではない、真実の音響が鼓膜だけではなく、骨を直接震わせる。
――三機同時攻撃! やはり戦術AIの影響下にあるか!
アシェルは舌打ちし、即座に戦闘プランを組み立てる。
最初に潰すべきは、正面の突進。視界に迫るのは、レールガンを構えたヒビキの姿。
銃口が光る。弾丸が<ブルワーク>へと向かうが、同時に左肩を前へ押し出す態勢をとる。
分厚い増加装甲が衝撃を受け止め、機体全体がきしみを上げた。操縦桿を通じて衝撃波が胸郭を殴りつけ、肺が一瞬押し潰される。
『被弾! でも抜けてない!』
リオナの声が切り裂くように響く。
被害状況が軽微となれば、問題はない。プラン通りにアシェルはレールガンを突き出すように構える。
「――ッ!」
アシェルは声にならぬ息を吐き、トリガーを引いた。電磁加速された弾体がワーカーフレームへと伸びていく。
閃光が炸裂。徹甲弾が敵胴体を抉り、黒煙と油臭が瞬時に広がる。敵機は痙攣ののち、力なく崩れた。
一機撃破! だが、歓声を上げる余裕は一秒もないことをアシェルは最初から理解している。
右側の一機が荷役レールを疾走し、レールガンを発射する。だが、高速で発射された弾丸はブルワークへと到達することはなかった。
すでにアシェルは脚部スラスターを噴かし、機体を横へ跳ね飛ばしている。直後までいた空間を突き抜けて、背後の貨物群が破壊される。
――姿勢が悪いが、当てる!
次弾が装填されたレールガンを即座に発射。
港湾作業用のワーカーフレームでは到底受け止められない一撃でもって、敵機の膝関節へと叩き込まれた。
ジョイントが爆ぜ飛び、機体は制御を失ってレールから外れる。クレーン支柱へ激突した瞬間、鉄骨が崩れ落ち、轟音と粉塵が港湾を満たした。
『左!』
リオナの警告。
最後の一機が、コンテナの影から飛び出してくる。
アシェルは咄嗟に背面スラスターを噴射。機体をふわりと浮かばせる。重量感のある慣性が機体をわずかに上昇させることで、敵のレールガンの弾道から<ブルワーク>は逃れることができた。
閃光とともに発射された弾丸が空を切ると同時に、アシェルはレールガンを発射した。
徹甲弾が敵機の腰部を撃ち抜き、火花と油煙が爆ぜた。敵パイロットの短い悲鳴がアシェルの精神へと到達するが、すぐに聞こえなくなった。
沈黙……硝煙と焦げた鉄の臭気が港湾区画を覆った。残骸が赤い警告灯に照らされ、鋭利な影を床へ伸ばす。
その光景は、まるで屠殺場の後のように生々しく不気味だった。
敵機の反応――シグナルはすべて消えた……だが、戦いは終わっていなかった。
『……新手よ! 動きが違う、ランカーみたい。気を付けて!』
リオナの声色が変わる。普段の冷徹さを崩さぬまま――だが、そこにかすかな震えが混じっていた。アシェルはその揺らぎを感じ取り、意識を一層研ぎ澄ます。彼女までもが緊張を隠せない相手、それが今現れたということだ。
戦域マップに、新たな敵マーカーが浮かぶ。
急速に接近する機影を<ブルワーク>の光学センサーは確かに捉えた。
敵もこちらを視認し、その場で停止する。
――SS-12<イージス>。
右腕にビームライフル、肩にミサイルユニットと展開式シールドドローンユニットを備えるマルチロールフレームに属する高機動ストライダー。
その装甲は黒と青で染められ、研ぎ澄まされた刃物のような光沢を放っていた。
アシェルの奥歯が軋む。
(カイル・ヴァルド……!)
記憶が一瞬、血の匂いと共に甦る。炎上する市街。仲間を失った夜。瓦礫の向こうから現れたあの機影。
幾度も刃を交えた宿敵。しかし勝負を決しきれぬまま、幾度もすり抜けていった因縁があった。
その多くが、逃げ帰るしかできなかった強敵であり、一度も優勢を取ることができず、任務にとって不要と見なされて見逃されたことすらあった。
――それが、今、目の前にいる。
胸の奥で熱が込み上げる。それは怒りによる興奮か、それとも恐怖によるものなのか、アシェルには分からなかった。
息をゆっくりと吐き、握る操縦桿に力が宿る。
お互いが視認している中、アシェルは臨戦態勢を取り、どのようにも動けるようにしていた。
だが不可解なことに、カイルは撃ってこない。むしろ射線をわざとずらしているような位置取りだ。
港湾設備や居住区を巻き込まぬために、機体を移動させている? そう推測できなくはない。
だが、その機動はあまりに不自然で、戦場に似つかわしくないその動きが、逆にアシェルの神経を逆撫でした。
――防衛目標を盾にせず、背後にも置かない……依頼者の要望を優先している?
アシェルにとっても、港湾施設奪還という任務の性質上、確かに無分別な攻撃ができかねることは事実であった。
しかし、それはあくまでも敵が格下であることを前提とした配慮にすぎない。強敵が現れた時の無制限戦闘を規制されてはいないのだ。
その事実が頭をよぎった瞬間、アシェルは無意識に奥歯を噛み締め、それは屈辱の味となって口内に滲む。
その時、骨導スピーカーがわずかに震えた。暗号化されていない無線通信が港湾施設内を満たし、抑えた低音が、静かに<ブルワーク>のコックピットに響き渡る。
『……またお前か。まだ生き延びているとは、思いのほかしぶといものだ』
変わらぬ冷静さ。いや、かつてよりもさらに削ぎ落とされた響き。
この声は以前の任務でも聞いたことがある。
敗勢が濃厚となり、必死に機体を制御するアシェルに、カイルはこう言った。
――運が悪かったな。いや、生きているだけ運が良いと思うべきだ。
ただそれだけ。情感を欠いた刃のような声。
それはアシェルのプライドを深く抉った。だが、傲慢さゆえではない。冷徹に事実だけを告げるその在り方こそが、余計に心を折ったのだ。
その時に覚えた敗北感が、いまも心の奥で膿のように燻っている。
「抜かせ! ……今度こそ落とす!」
アシェルは吐き捨てる。
だが声の震えは、怒りか、それとも恐怖か。自分でも判別できなかった。
胸の奥で煮え立つものが、握る操縦桿に熱を流し込む。
『いいだろう……やってみろ』
<イージス>が鋭く動き出す。その姿には一片の迷いもない。
アシェルは即座に理解した。今の奴の射角には守るべきものがない。すべての出力を、ただ自分を撃ち抜くことだけに注げる。
『エネルギー反応、急上昇! 来るわよ!』
リオナの声が鋭く走り、アシェルの耳朶を打つ。
彼女の声は冷徹さを保ちながらも、わずかにかすれ、共にこの重圧を受け止めていることを示していた。
――ここからだ……! 今度こそやってやる!
過去の因縁。宿命の対決が、いま始まろうとしていた。
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