第1話 レックレス・ラプソディ(後編)
「なあ成谷。軽音部の件は残念だったけど……いっそロックに
放課後、話しかけてきたのは沢根だった。沢根は相変わらず笑みを浮かべていたが、それは今朝見たような不敵な笑顔ではなく、どちらかというと優しげな印象を受ける微笑みだった。
「どうしてもアナログなロックじゃなきゃ嫌っていうんなら、無理強いはしないけどさ。最近は素人でも作曲や作詞、編曲を一人でやって、ボーカルは電子歌姫に歌わせて、一曲まるごと全部一人で作っちまうようなアーティストも多いんだぜ」
「なんだ、そんな音楽もあるのか?」
お先真っ暗の状況だった奏鳥にとって、“素人でも一人で作ることのできる音楽”というものの存在は興味を引いた。
沢根いわく、ボーカルは合成音声の電子歌姫が歌い、リードギターもベースもドラムも、これまたパソコンで合成された電子の音が鳴り、それら全てを一人の人物が、譜面を書くというより、プログラミングをするように作るのだという。
それは厳密に言うとエレクトロニック・ミュージックというジャンルらしいが、慣れない横文字の名前はたちまち奏鳥の耳をすり抜けていってしまった。奏鳥は初めて文明開化に触れた、明治時代の人の気持ちがわかるような気がした。
しかし、アマチュア作家の電子音楽を聴くにはインターネットが必要だ。成谷家にはインターネットに触れられる環境が殆どない。携帯電話こそ持っているものの、時代遅れのフィーチャーフォンな上に、通話とメール以外の機能は使えないような格安プランに入っているのだ。
すると驚いたことに、沢根は複数台持っているというスマートフォンのうち一台を、流行に
余談だが、逆に令和の高校生がフィーチャーフォンを持っていることに、沢根の方も「生きた化石!」と発言する程度に驚いた様子だった。
彼いわく、貸したスマートフォンは“サブ端末”というものらしく、SIMが入っていないとかどうとか、Wi-Fiというものがなければネットには繋がらない、などの制約があるらしい。
しかし、とにかくアパートの近所のコンビニに行って、フリーWi-Fiとやらを使えばネットは見られるとのことだ。フリーWi-Fiを使うための設定や、実際の使い方も沢根が丁寧に教えてくれた。
気前の良すぎる沢根に対し、奏鳥は逆に不信感を抱きかけた。しかし彼の「こんだけ貸したんだから、いつかメジャーデビューしたら俺の名前を恩人として出してくれよ」という一言で、全て納得がいった。沢根は良くも悪くも正直なやつなのだ。
帰宅後、奏鳥は早速アパート近くのコンビニへ向かった。
沢根が言うには、『コンビニでWi-Fiを使うときは、ガムとかでいいからなんか買うのがルールだぜ』ということらしい。奏鳥は目につく商品の中で一番安価だった、駄菓子のフーセンガムを購入した。
数十円のガムで店内に長時間居座るのは少々気が引けたが、幸いイートインの席には誰もいない。混雑していないのを良いことに、奏鳥は早速一番奥の席へと座り、沢根に教わった通りにスマートフォンを操作した。もちろん、買ったガムも口に入れた。
久々に食べたフーセンガムは、フルーツ味のはずなのに酸味が感じられず、ひたすらに甘かった。一方沢根から教わった音楽アプリとやらは、奏鳥が思っていたよりも簡単に起動した。
勢い余って店内で音楽を鳴らしかけ、奏鳥は慌ててヘッドホンの端子をスマートフォンへと差し込んだ。
沢根が普段から聴いているのだろうか、ヘッドホンを耳に当てると、早くもシャカシャカとした電子の音楽が聴こえてきた。どうやらこれが彼の言っていた、エレク……なんとかというジャンルの音楽らしい。奏鳥は洋ロックバンドのファンにも関わらず、英語には疎かった。
電子音楽と聞いて奏鳥が想像していたのは、昔のゲームが鳴らすようなピコピコという軽快な
空想科学を連想させる電子音は勿論のこと、その上に本物のようなベースやエレキギターの音が加わり、果てにこれはもはや何の音だろうと思うほど凄みのある重低音が響く。
さらにそれらへ重なるように、時折バイオリンやピアノなどの美しい旋律が混ざってくることもあった。まるでオーケストラのような様相だが、それらが全てコンピュータによって合成された音楽だというのだから驚きだ。
思わず「すげえ」と声を上げてしまい、店内で独り言を発してしまった己を慌てて恥じた。幸い、客がおらず暇そうな店員にさえも、奏鳥の
気づけば奏鳥は、電子音楽にすっかり心を奪われていた。電子音楽の世界は、何より多種多様なのが魅力的だったのだ。
テンポの早いポップな曲もあれば、しっとりとしたバラードも存在する。かと思えば激しいメタルのような曲も聴こえてきて、その多様性は奏鳥の興味をますます惹いていった。
奏鳥はアプリにおすすめと書かれている様々な音楽を、手当たり次第に再生した。
時折、明らかに人では発せないだろうと思うほど高低差のある声や、または逆に感情を消したように平坦な歌が聴こえてくる。どうやら沢根の言っていた電子歌姫というのは、この機械的な歌声のことらしい。
その電子の歌声からは、感情的なこぶしやスクリーム、息遣いといったものは聞こえてこない。それだけが少々残念だった。
しかし代わりに彼女たちは、人間ではおおよそ不可能であろう息継ぎのない歌や、何を歌っているのかわからないほどの早口なフレーズも、
おすすめ、おすすめのおすすめ、そのまたおすすめ……と音楽から音楽を渡り歩くうちに、奏鳥は一段と興味を惹く一曲へたどり着いた。
その曲はイントロこそポップに始まり、近未来的な音を奏で、電子歌姫が歌い始める……というありがちなものだった。しかしイントロが終わった途端に、急に違う曲に変わったかのような転調をする、不思議な曲だった。
拍子はめちゃくちゃになり、電子音達は乱れはじめ、さらには車のエンジン音や路中の
これはもう音楽というより、ただの
その小さなピアノの旋律を聴きたくて、奏鳥は思わずスマートフォンの音量を上げた。クラシックだろうか、聞き覚えのあるメロディーだった。
しかしそのメロディーもやがて激しく乱れていき、ピアノの奏でる音は滅茶苦茶なものになっていく。もはやピアノを弾くというよりは、打楽器を叩くかのような勢いだ。
そのうちあれだけ邪魔をしていた雑音は、大暴れをするピアノに恐れをなしたのか、うっすらと遠ざかっていく。そして太鼓のように暴れていたピアノは独り取り残され、その後はついに弾き方を忘れられてしまったかのように、弱々しい不協和音を奏で始めた。
奏鳥はその曲を聴いて、まるで音楽が壊れていくかのような衝撃を受けた。とてもじゃないが、前衛的すぎて曲としての完成度が高いとは言い難い。
だが、その“崩壊していく音楽”には奏鳥の興味を引く何かがあった。その興味の正体が何なのかは、今の奏鳥にはまだわからなかった。
奏鳥は曲名を見た。『
自らの内からまるで泉のように湧いてくる興味の正体を知りたくて、奏鳥は永訣という題が付けられているその曲を、もう一度聞き返した。
ありがちなポップスのイントロが始まる。電子歌姫は何かを繰り返し歌っている。何度も再生するうちに、『私がいつか“トソツノテンノジキ”となり……』という部分がかろうじて聞き取れた。その言葉の意味はよくわからない。
その後はやはりあの雑音がやってきて、急に取り乱したように音楽は滅茶苦茶になる。まるで突如、都会の交差点のど真ん中へと放り出されてしまったかのようだ。
大勢の雑踏に揉まれながら、電子歌姫は歌うのをやめてしまう。だが、その雑音の奥ではピアノがひっそりと小さく鳴っている。
奏鳥にはそのピアノが、まるで『聴いてくれ』と話しているかのように聞こえていた。だから奏鳥は音量を上げたのだ。多勢の雑踏の中で、わずかに主張し続ける旋律を聴きたくて。
理由はわからないが、奏鳥にとってその小さな旋律は、何故か胸を締め付けるような切なさを
しかしピアノの奏でる旋律は、だんだん過剰に激しいものへと変化していく。奏鳥ははじめ、このピアノは狂ってしまったのだと思った。
だが繰り返し聴くうちに、打楽器のように叩かれるピアノの音は、狂った叫びというより苦しむ悲鳴のように聴こえてきた。
ピアノは苦しんでいる。まるで何かの病にあえいでいるかのように。それが一体何の病なのかは、やはり奏鳥にはまだわからない。そして雑踏は引いていく。これもきっと、悲鳴をあげるピアノなんかに恐れをなしたわけではない、と奏鳥は思った。大衆は、うまく奏でられないピアノに興味をなくして引いていったのだろう。
引いていく雑踏を惜しむかのように、ピアノはもう一度メロディーを奏でようとする。しかし、病魔に
そして最後に独りぼっちになってしまったピアノは、ついに弾くことをやめてしまった。奏鳥は、『ピアノが死んでしまった』と思った。
この曲は、きっと何かのメッセージなのだ。意味を完全に理解したわけではないが、この曲には何かを伝えたいという熱がこもっている。その熱さだけは、奏鳥にしっかりと伝わっていた。
奏鳥は作曲者の名前を調べることにした。この曲が、というよりは、この曲を作ったアーティストが──つまり、このメッセージを発信している人が──どんな人物なのかを知りたくなったのだ。
アーティスト名には“
沢根が貸してくれたスマートフォンの音楽アプリでは、“いいね”の数の多い順に曲が表示されるらしい。
いいねとは、沢根いわく、気に入ったものへ贈るスタンプ機能のことだ。つまりは大衆からの賞賛的な意味を持つ、
しかし、そのいいねの数の多い一覧の中に、先程の『永訣』の字はなかった。やはりあの曲は前衛的すぎて、あまり人気はないのだろう。
奏鳥はものは試しにと、六尺Pの人気のある楽曲を上から順番に聴いてみた。
しかし他に永訣のような尖った曲はなく、あの曲中でいうイントロのような、わかりやすいポップスのメロディが続くばかりだった。それらは良く言えば王道で完成度の高い楽曲だったが、奏鳥にとっては永訣のような熱は感じられないもののように聴こえた。
ふと、奏鳥はあることに気がついた。ピアノだ。あの印象的なピアノは、六尺Pの他の曲には使われていないようだった。
大衆的に人気を集めているポップスの中で、あれだけ尖っているにも関わらずひっそりと埋もれている永訣は、まさしくあの曲中のピアノに似ていた。
そして他の曲を聴いたことで、奏鳥はもう一つ気がついた。打ち込まれている電子音楽の中で、永訣のピアノだけが、恐らく生演奏の音源だったのだ。あんな打楽器のような無茶な弾き方は、例え令和の時代の技術力をもってしても、合成音声なんかでは表現できないだろう。
しかし、もしあの演奏が六尺P本人のものなら。あんなにピアノを弾くことができる人物が、なぜわざわざピアノを隠し、電子音楽というジャンルに
奏鳥の中にふと疑問が浮かんでくる。それはまるで心の中に、飲み込んだ魚の小骨が残るような感覚だった。
そしてその小さな骨の引っかかりは、その後一晩を過ごしても取れそうにはなかった。
翌日、奏鳥は沢根にスマートフォンを返しながら感想を伝えた。彼から借りたアプリで得た、多種多様な未知の音楽との出会いは、思わず夕方から日が暮れるまでコンビニに居座ってしまうほど有意義なものだった。とはいえ、サブ端末いえど人のものを借り続けるのは流石に忍びない。
奏鳥はあのアプリを気に入ったからこそ、自分のスマートフォンを買いたいと考えていた。せっかく高校生になったのだ。アルバイトを始めて、自分の稼いだ金銭で音楽の視野を広げたい。そう伝えると、沢根は「良いバイト先を知ってるぜ」と嬉しそうに応えた。
夏休みの時期に、毎年短期間で高収入の泊まり込みアルバイトを募集している観光地の店があるらしい。沢根曰く、収入がいいぶん死ぬほど忙しいらしいが、奏鳥にとっては忙しさなど大した問題には感じられなかった。
それより奏鳥は、昨晩からずっと喉奥に引っ掛かり続けていた、小骨のほうが気がかりだった。
沢根に六尺Pというアーティストを知っているか尋ねると、彼は「あぁ、あの!」といかにも
沢根が言うには、六尺Pは有名というほどではないが、知る人ぞ知る電子歌姫アーティストらしい。噂によると、なんと彼は現役当時中学生で、作曲と作詞、編曲と調声を全てこなしていたのだという。
あの曲を作った人物が、当時自分よりも年下だったことに奏鳥は驚いた。しかし永訣という曲について尋ねると、それ以上に驚く事実が返ってきた。
「あれが気に入ったなんて珍しいな、成谷。あの曲は六尺Pの最後の曲だぜ」
「最後の曲って?」
「言葉の通りだよ。あの曲を最後に、六尺Pは活動停止を宣言してる。一昨年だったかな、もうSNSすらアカウントを放置して、何にも更新されてないんだぜ」
驚くと同時に、奏鳥はむしろ納得した。永訣に感じた、あの『ピアノが死んでしまった』という感覚は、きっと正しかったのだ。
ピアノが死んでしまったように、六尺Pという人物は活動を辞めてしまった。その理由が、恐らくあの曲のメッセージに込められているのだろう。
しかし奏鳥は、未だにそのメッセージが読み解けないままだった。ぐらついた小骨はむしろ深々と奏鳥の喉元へ刺さっていく。
中学生があんなに天才的な作曲の力を持ちながら、何故音楽を辞めてしまったのだろうか。あんなにピアノが上手いのに、最後の一曲までピアノを隠していた理由は何故だろうか。深まる謎は、むしろ奏鳥を生い茂る未開の地へ誘い込むかのようだった。
まさしく、真相は
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