第5話 二つの想いとグルメ選手権!?

「制限時間は三十分!用意、スタート!」


 トトスの声が響いた瞬間、会場が沸いた。


 瑠散の向かいに立つのは、白い調理服に蒼のスカーフを纏った女性。

 一本に束ねた髪が光を弾いている。

 その姿は、まるで料理界の女王だった。


「お初にお目にかかります。あなたが炎と対話する少年ね」


 静かに告げる声には、芯のある強さがあった。


「え、ええと……」


「私は五十嵐麗香いがらしれいか。今年こそ、優勝させてもらうわ」


 五十嵐麗香、銀の包丁魔女の異名を持つ、五年連続準優勝の天才料理魔導士。


「よ、よろしくお願いします!」


 瑠散が慌てて頭を下げる。


「礼儀正しいのね。でも、手加減はしないわよ」


 麗香が包丁を取ると、空気がぴんと張りつめた。


「さあ、第一試合は鮭対決!使う食材は、千田界産クリムゾン・サーモン!」


 宙を浮かぶトトスの声が響く。

 実況妖精らしい甲高い声だが、会場はそれに応えるように歓声を上げた。

 空中調理台では、風の精霊が鍋を支え、火の精霊が炎を踊らせ、水の精霊が味見を担当する。

 完全中立の審査システムだ。


 赤く輝く巨大な鮭が台の上に現れた。


「うわ、でかい……」

「この程度で驚いていては困るわ」


 麗香が包丁を構える。


「ローズマリー・フレイム。静の炎よ、宿りなさい」


 包丁が閃き、銀の光が走る。

 一瞬のうちに骨が外れ、肉は花弁のように開いた。


「すごい……」


 千田界で一年に一度だけ開かれる、最も熱く、最も香ばしい祭典だった。

 名を「千田グルメ選手権」という。

 今年の優勝者には「神食の称号」と、千田界のあらゆる食材を一年間使い放題にできる金のレシピ巻物が与えられる。


 観客席から歓声が上がる。


「瑠散くん、頑張って!」


 千田さんが特等席で扇子を振っている。

 横断幕には「うまい、うまい、それ美味うまい!」と金の筆文字が踊っていた。

 観客席には火・水・風の精霊たちがぎゅうぎゅう詰め。


「千田さん……」


 瑠散は深呼吸した。


「火の精霊さん、今日もよろしくお願いします」


 その瞬間、炎がふわりと揺れた。まるで頷くように。


「……炎と対話する、ね」


 麗香が小さく呟いた。

 瑠散は鮭を焼き始めた。

 じゅう、と香ばしい音が響く。


「火加減は……よし」


 荻野さんの言葉が頭をよぎる。

 火は鏡。焦れば暴れ、心が静まれば寄り添う。


「落ち着いて、落ち着いて……」


 だが——


「うわっ、火が!?」


 炎が勢いを増し、鍋の縁まで踊り出した。


「おっとー!?瑠散選手、まさかの炎暴走です!」


 トトスが慌てて実況する。

 観客席がどよめいた。


「瑠散くん!」

「大丈夫よ、深呼吸して!」


 荻野さんと周東さんが叫ぶ。


「深呼吸……」


 瑠散は目を閉じた。

 心を鎮め、炎の声を聴く。

 すると、耳の奥で優しい囁きがした。

 焦らなくていい。焦げても、それも味だよ。


「……そっか」


 瑠散は微笑んだ。


「ありがとう、火の精霊さん。じゃあ一緒に焼こう」


 その瞬間、炎が柔らかく変化した。

 穏やかで温かい火加減。


「おおっ!?炎が安定しました!」


 トトスが興奮する。


 じゅう、と再び香ばしい音。

 甘じょっぱい香りが会場全体に広がった。



「……この香り」


 麗香が手を止めた。

 幼い頃、母が作ってくれた焼き鮭の匂い

 その記憶が胸の奥からよみがえる。


「お母さん……」


 麗香の目が潤んだ。


「麗香ちゃん、どうしたの?」


 観客席から声が飛ぶ。


「いえ、何でも……」


 麗香は首を振った。

 そして、再び包丁を握る。


「私には私の、母を超える料理がある」


 やがて、鐘が鳴った。

 試合終了。


「さあ、料理を見せてください!」


 トトスが二人の前に浮かぶ。

 五十嵐麗香の皿には、芸術的な料理が完成していた。


「鮭の香草ミルフィーユ巻き・溶岩ソースがけ」


 香り、色、形、どれを取っても完璧。


「美しい……」

「まるで絵画みたい……」


 観客たちが息を呑む。

 対して瑠散の皿には——


「木製の弁当箱?」


 トトスが首をかしげる。


 中には素朴な焼き鮭と、ほんのり甘い卵焼き、漬け物が添えられていた。


「地味じゃない?」

「でも、いい匂い……」


 観客たちがざわつく。




「審査、開始!」


 水の精霊が麗香の皿を一口。


「……美しい」


 水の精霊が涙を流す。


「まるで芸術の波紋……!技術が、完璧すぎる…!」


 観客席から拍手が起こる。


「やった!」

「さすが麗香さん!」


 続いて、風の精霊が瑠散の弁当を一口。


「……」


 沈黙。


 数秒の静寂のあと——


「う、うまい……っ!」


 風の精霊がふるふると震えた。


「まるで、懐かしい記憶を食べてるみたいだぁぁぁ!!」

「えっ!?」


 観客席がどよめく。


 火の精霊も一口食べて——


「これは……家の味……!誰かが待っててくれる、あの味……!」


 喜びの炎を噴き上げた。

 千田さんも扇子を振り回して叫ぶ。


「やんちきどっこいしょ、それ感動〜!」

「やんちきどっこいしょって何!?」


 瑠散がツッコむ。


「八木節よ!」

「関係ない!」



 麗香は静かに瑠散の弁当を見つめていた。


「……食べてもいい?」

「え?ああ、どうぞ」


 麗香が箸を取り、一口。


「……」


 その瞬間、涙が溢れた。


「お母さんの味……」


 麗香は泣きながら笑った。


「私、完璧を求めすぎて……大事なものを忘れていたのかもしれない」

「五十嵐さん……」

「あなた、ただ焼いただけなのに、どうしてこんな味が出せるの?」


 瑠散は少し考えて答えた。


「たぶん……誰かを想って焼いたから、だと思います」

「誰かを想って……」


 麗香は目を閉じた。


「そうね。母も、きっとそうだった」



 三体の審判精霊が同時に叫んだ。


「「「結果発表!」」」


 トトスが金色のボードを掲げる。


「味の深み:引き分け!」

「火加減:麗香優勢!」

「心の響き:瑠散、圧勝!」

「技術:麗香優勢!」

「感情の余韻:瑠散、圧勝!」


「そして、最後の特別項目——」


 トトスが一呼吸置いた。


「千田さんボーナス:瑠散、+1点!」

「千田さんボーナスって何!?」


 瑠散が叫ぶ。


「私が作った大会だから、私が決めるの」


 千田さんが堂々と言う。


「理由になってない!」

「総合結果——」


 トトスが大きく宣言した。


「同点優勝〜〜!!」


 観客席から歓声が弾けた。


「やったー!」

「二人とも素晴らしい!」


 麗香は目を見開いたまま、ゆっくりと瑠散に歩み寄った。


「同点優勝……ね」

「五十嵐さん、すごかったです。僕、本当に焦りました」

「私もよ。あなたの料理、本当に美味しかった」


 麗香は静かに笑った。

 それは、五年間見せたことのない穏やかな笑みだった。

 千田さんが表彰台に現れ、金のレシピ巻物を二つ手渡す。

 巻物には「がんばったで賞」のシールが貼られていた。


「おめでとう、二人とも〜!」

「ありがとうございます!」

「副賞は八木節レッスン一年分よ〜!」

「えっ、それはいら……」


 麗香が苦笑する。


「一緒に踊りましょう、五十嵐さん」


 瑠散が笑顔で言う。


「ふふ、悪くないわね」


 麗香も笑った。



 拍手の渦の中、瑠散は金の巻物を胸に抱いた。


「これが、千田グルメ選手権か……」

「楽しかった?」


 千田さんが尋ねる。


「はい!すごく!」

「良かった。これね、一年に一度だけ開かれる祭典なの」


「そうなんですか?」


「ええ。中央広場に風で浮かぶ調理台を並べて、火・水・風の精霊たちに審査してもらうの」


 千田さんが嬉しそうに話す。


「優勝者には神食の称号と、千田界のあらゆる食材を一年間使い放題にできる金のレシピ巻物が与えられるのよ」


「すごい……」


「でも一番大事なのは——」


 千田さんが微笑む。


「——みんなで美味しいものを食べて、笑うことなの」


「千田さん……」


 瑠散は頷いた。


「そうですね。それが一番大事です」



 そして千田さんは、すでに次の大会の構想を練っていた。


「来年はお味噌汁グランプリにしようかしら〜」

「味噌汁!?」

「ええ。出汁の取り方から教えてあげる」

「楽しみです!」


 瑠散が笑う。


 麗香も隣で頷いた。


「私も参加させてもらうわ」

「おお、麗香ちゃんも!」


 千田さんが喜ぶ。


「今年は三人で八木節ね〜!」

「えっ、今から!?」

「それ、やんちきどっこいしょ〜!」

 千田さんが踊り出した。

 瑠散と麗香は顔を見合わせて——


「……踊りますか」

「仕方ないわね」


 二人も一緒に踊り出した。

 千田界の夜は、笑い声と八木節で包まれていた。

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