第4話 炎の塔とタピオカの女神!?

 炎の塔、最上階。


 そこは、静かな緋色の広間だった。

 赤い壁、赤い床、赤い天井。

 目に映るものすべてが「燃えているように赤い」。

 中央では、真紅の炎が静かに揺らめいている。

 空気は熱いのに、不思議と息苦しさはない。

 壁には巻物が飾られていた。

 タイトルは「火の心得」だが、よく見ると墨書きでこう追記されている。


  『八木節の心の炎は消えることはない! by 千田』




「……千田さん、絶対書き足したな、これ」


 俺——鳥内瑠散は苦笑した。

 炎の塔の最上階にいるのに、緊張感が全くない。

 だが、ここには本来、伝説の火の守護者『ゾクヤケシャ様』がいるはずだった。

 認められなければ、「焼き鮭の真髄」は得られないそう聞かされていたのだが。


「……で、どこにいるんだろう、ゾクヤケシャ様」


 そのときだった。

 中央の炎が「パァン!」と花火のように弾け、爆音とともに人影が現れた。


「お待たせしましたぁ〜っ! お疲れさまでしたー!」


 元気な声が響く。

 現れたのは……タピオカドリンクを片手にした、モデルのような女性だった。


 ゆるく巻いた髪に、フリル付きブラウス。ワイドパンツを颯爽と履きこなし、片耳で炎のピアスがキラリと揺れる。

 まるで表参道のカフェからワープしてきたかのようだ。


「はじめましてっ! 荻野香凜おぎのかりんです!

 ゾクヤケシャ様の代理でーす! 

 本日のテーマは『燃える恋と焼き魚』!

 よろしくね!」


「……代理!?」


「うん。ゾクヤケシャ様ね、今、温泉行ってるの。火山のやつ。

 『最近の召喚者は個性が強すぎてワシには無理じゃ』って言いながら旅立ったわ」


「守護者、逃げたのかよ!」


「ま、燃え尽き症候群らしいよ。火だけに」


 ノリ軽っ!


 荻野さんは涼しい顔でタピオカを吸うと、指をパチンと鳴らした。

 瞬間、空間がぐにゃりと歪み、俺の足元に巨大な溶岩プレートが出現した。


「さぁっ、ここからが本番!

 完全なる鮭焼き試練を始めまーす!

 インスタ映えも意識してね!」

「インスタ!? この世界にもあるの!?」

「心の中にアップすればいいの♪」


 いや、わけがわからない。


 周囲には火の精霊たちが円を描くように集まり、ゆらゆらと踊り始めた。

 よく見ると、みんな帽子を被ってる。ベレー帽とか、シェフ帽とか。


「……精霊までおしゃれしてる……」

「今日のドレスコードは燃えるキュートだからね♪」


 荻野さんがくるりとターンすると、彼女の背後で炎がリボンのように舞った。

 完全に火属性の女神だ。

 俺は思わず姿勢を正す。


「ではまず、こちらをどうぞ!」


 彼女が差し出したのは、鮮やかに輝く赤身の魚、

 見たこともないほど脂ののった、神々しい鮭の切り身だった。


「千田界特産の《クリムゾン・サーモン》。

 脂が多いから、ちょっと油断するとすぐ焦げる。

 でも上手に焼けたら……その香ばしさ、人生変わるレベル!」


「じ、人生変わる……?」


「そう。つまり、焼きが甘いと人生も甘い! 焦げたら恋も焦げる!」

「なんか怖くなってきた」


 荻野さんはタピオカを飲み干すと、さらっと言った。


「じゃあ、焼いてみようか。火を使うんじゃなくて火にお願いして」


「……お願い?」


「そう。火さん、今日もお疲れさまですって挨拶してみて。

 それから美味しい鮭を作りたいです、手伝ってくださいってお願いするの」


「火に挨拶!? そんなRPGみたいな……」


「礼儀だよ♪ 火ってね、気分屋なの。ちゃんと向き合えば応えてくれるの」


 荻野さんの言葉に、なぜか説得力があった。

 周囲の精霊たちは、こっちを見ながら「挨拶は?」とでも言いたげにゆらめいている。


 俺は小さく息を吸い込み、火に向かって頭を下げた。


「火さん、お疲れさまです。美味しい鮭を作りたいので、手伝ってください」


 すると、炎がふわりと柔らかく揺れた。

 精霊たちが一斉に笑ったように見える。温度が、ほんの少し上がった。


「いい感じ! 火の精霊たち、ちゃんと反応してる!」

「……すごい、なんか伝わってる気がする」


「でしょ? ここからが本番。

 焦りとか、迷いとか、恥ずかしさ、全部に火に預けて。

 あとは、誰のために焼くのかを思い浮かべてみて」


「誰のために……」


 俺は静かに目を閉じた。


 脳裏に浮かぶのは、妹の美散みちるの顔。

 いつも俺の料理に文句を言うくせに、焦げた鮭でも笑って食べてくれたっけ。


『焦げるのが怖い』

『失敗したら笑われる』

『でも、本当は——誰かに美味しいって言われたい』




 心の奥底にあった想いを、炎に投げるように手を伸ばした。

 その瞬間、火の精霊たちが一斉に舞い上がり、鮭の上で踊り始めた。


 ジュウ……!


 香ばしい音が響く。脂がじゅわっと弾け、甘く濃い香りが広間を包む。

 焦げない。

 けれど、しっかり焼けていく。

 まるで火たちが俺の気持ちに答えるように、優しく鮭を包んでいた。


「……できた」


 目を開けると、そこには完璧な焼き鮭があった。

 表面はカリッと、身はふっくら。まるで高級旅館の朝食のような仕上がり。


「おお〜っ! 完璧! 見てこの焼き目、インスタ映えすぎ!」


 荻野さんがスマホ(どこから出した)を取り出し、なぜか写真を撮っている。


「タグは『#火の試練』『#焦げる恋も悪くない』でいこう!」

「いや投稿できないでしょ!? 電波ないし!」

「心のWi-Fiがあれば繋がるの♡」

「宗教かな!?」


 しかしその笑顔には、不思議と憎めない光があった。

 彼女の背から、ふわりと炎の翼が広がる。

 美しく、幻想的な炎の羽が広間を照らした。


「おめでとーっ! 今日からあなたは——」


 彼女はポーズを取りながら宣言した。


火と和サーモンハ解した者ーモナイザー!」

「な、なんか語感がすごい!」

「かっこいいでしょ!? 略して“ハモサモ”でもOK!」

「余計にダサいよ!」


 荻野さんは満足げに頷いた。

 火の精霊たちがくるくると回りながら、「おめでとう」とでも言いたげに輝いている。


「これで君も立派な火の友達! でも調子に乗らないようにね。火はツンデレだから」

「気をつけます……ツンデレなんだ火って……」

「うん。あと、試練合格の証としてこれ、持っていって」


 荻野さんが渡してきたのは、炎の模様が刻まれた小さなスプーンだった。

 手に取るとほんのり温かい。

 まるで、火の精霊が眠っているみたいに。


「それ、心が冷えたときに使うといいよ。温かい気持ちを思い出せるから」


「……ありがとう」


 俺は頭を下げた。


「じゃ、これにて試練終了〜! お疲れさまでした!」


 荻野さんが指を鳴らすと、景色が一瞬で変わった。

 気がつけば、俺は最上階の緋色の広間に戻っていた。


「荻野さん、また会えるんですか?」


「もちろん! 暇なときに呼んでね! あと、ファッションショーやるから。テーマは炎と料理のマリアージュ!」


「……なんか危険な予感しかしない」

「千田さんも出るよ。八木節衣装で!」

「やっぱり!」


 荻野さんはにっこり笑い、炎の中へと消えていった。

 最後に、ほんのり甘いタピオカの香りだけが残る。


 こうして、俺の「炎の塔」の試練は終わった。

 新たな称号を得て、火の精霊たちとも心を通わせた。

 もう焼き鮭を焦がすことはないだろう。


 たぶん。


 ただ、帰り際にふと聞こえた荻野さんの声が、妙に気になった。


 火の塔の炎が、俺の背中を照らした。

 次の試練が、もう始まっているのかもしれない——。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る