第二話 未練のページ
今日も今日とて病院に来た。
前回と違って、全授業を終えてから。
あまりサボりすぎると親に連絡がいってしまうから。
だから、これは“寄り道”。
病室の扉を開けると、
小さな電子音と、指でタップする軽いリズムが聞こえた。
昼間より静かで、夕方の光が白いカーテンに溶けている。
ベッドの上では、ゲームの画面が光を弾いていた。
「よ!」
チラッと俺を確認して、すぐに画面へと視線は戻る。
こっちは椅子に座って本を開く。
最初の数分はそれぞれの世界。
特に話すこともない。
「暇」
「そっ」
最初はバトルゲーム、パズルゲーム、癒やしゲームをしていたが、飽きたのだろう。日中ずっとやっていたら飽きるか。
「暇」
「そっ」
「暇」
「、、そっ」
同じやりとりを何度繰り返したかもわからない。
本の文字を追いながらも、視界の端で手が止まるのを感じる。
「それ、面白い?」
「さぁ」
「シリーズ?」
「さぁ」
「興味ないんだ」
「興味はないよ」
クラスメイトからオススメとして貸された本だ。
“泣ける”、“感動する”、“映画化決定”。
あらゆる推薦文が背表紙に詰め込まれている。
たぶん、良い話なんだろう。
でも、心が動く感じがしない。涙も感じない。
——感想、どうしよ。
必ず聞かれる問をどう答えるかに悩んでいた。
そんな中、手元のゲーム機を置いてこっちをじっと見る。
もう読む気が失せて、本を閉じた。
「何する?」
「終わった!」
声が弾んだ。
「一つやりたいことあるんだ〜」
「何」
机の上に肘をつきながら、話し始めた。
「この間ね、鮭ちゃんと映画見たの」
「へー」
「映画で見てやってみたいと思った!」
「へー」
昼の映画。
どうせまた、誰かが泣いて笑って終わる話。
それを見て、また、何か暇つぶしでも見つけたんだろう。
「ねぇ、“未練ノート”って知ってる?」
「知らない」
そう言うと、ベッド脇の棚からメモ帳を取り出した。
表紙に書かれた文字は歪んでいた。
[未れんノート]
「漢字は?」
「ど忘れした」
——検索すればいいのに。
「主人公がこれに“やりたいこと”全部書いて、代わりに男の子が叶えるんだって」
「全部俺がやれと?」
__面倒くさそう
「そんな訳がなかろう」
すぐに否定した。
思っていたよりも早く。
「私がやるの」
「ふーん」
「だって、自分でやんないとつまんないじゃん」
どれからやろうかな〜、と話すのを横目で思う。そう言っているが本人はできないのが多い。心からやりたくても、それに身体がついてこない。それでもやろうと思うのは相当な暇人だとわかる。
ペン先が動き出した。
ノートの白が次々と埋まっていく。
一行ずつ、少し歪な字で。
[遊園地]
[動物園]
[水族館]
[お化け屋敷]
などと定番なことから。
[ケーキ作り]
[かまくら作り]
[一日映画館]
[シュークリーム10個一気食い]
[バンジージャンプ]
[スカイダイビング]
[心霊スポット]
[カラオケ一晩]
無理そうなことも、現実的なことも、混ざっている。
文字が増えるたびに、その顔が少しずつ明るくなる。
「自分でできないのはどうする?」
「誰かに手伝ってもらう」
__相手が大変そうだな。
そんな他人事でいた。
「何個書くつもり」
「100個ぐらい」
「多いな」
ペンが止まり、少し考えている。
やがて、一行だけ目に留まるものがあった。
[恋人関係]
その瞬間、意外だな、と思った。
「へー、意外」
「一度は恋人関係を味わってみたいものよ」
「そう」
声の調子は軽いのに、その目だけは真っすぐだった。
少し意外だった。
恋より冒険を好むと思っていたから。
「誰か暇なやつに頼めば」
「誰よ」
「病院の人」
「みんな、自分のことで手一杯だから無理」
「同級生」
「学校誰がいるのかわかんない」
——人と関わり、少な。
病院でも同じ場所、外には全然行けない。なら、無理な話だな。
「恋人関係になるなら誰でもいい?」
「誰でもいいよ」
にへ、と楽しげに笑った。
眩しいほど軽い。
恋人関係の何が面白いんだろう。
「面白くないと思うけど、」
「自分で体験してみる」
「相手のこと考えられる、」
「自分のことも考えてるから」
「めげるなら早めに、」
「めげないようにしてもらう」
——恋人関係になる会話って、こんなんだっけ。
「というか、犬飼うときみたいな会話」
「似たようなものだろ」
そんな独り言が喉の奥で転がる。
恋人関係だって、大切にするとかそんな言葉は最初だけ。
欲しいから求める。
手に入れば十分。
後は、周りの雰囲気でやるだけ。
冷めれば終わり。
恋なんて、そんなもん。
「はぁ、、いいよ」
「何が?」
「恋人関係」
ただ、それだけだった。
やりたいことの中で、自分一人でできず、俺ができそうな願い。
「にへへへへ」
笑い声が弾んで、病室の空気が少しだけ動いた。
「暇つぶし」
「私も暇つぶしになる」
ただ、自分でやりたい事ができないからの『同情』。日常での告白に断るのに丁度いいから『言い訳』。毎日がつまらないから『退屈』。
そんな気持ちのまま恋人関係になった。
どれでもいい。
たぶん、全部正解だ。
「よろしく〜」
「宜しく」
恋なんてない。
ただ、形だけの関係。
それで十分。
「じゃあ、これ行こ」
ノートを開いて指差す。
そのページには、大きな文字でこう書かれていた。
[コンビニで夜食を買って食べる]
——切り替え早いな。
「まずは、甘い物、塩っぱい物、」
「まだ食えるの」
「まだ食えるよ」
外が、薄い夕焼けに染まっていた。
病室の外の廊下を歩く足音が、
いつもより遠く感じた。
退屈な日々が、少しずつ形を変えていく。
笑い声と、ページをめくる音の間で、
何かが静かにずれ始めていた。
呆れた日々に変わる瞬間は俺が選んでしまったんだろう。
💮[恋人関係]
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます