【羊の奇祭】 2
リユウ達が案内されたのは、屋外にある円卓状の大きなテーブルであった。リユウの他に、先ほどのノナを含む4人の魔札使いが座っている。
対してサースィアの人間は7人。アルノードら6人の他に、最も大きい花飾りを身に着けた老人。合わせて12人が食卓を囲んでいた。なお、椅子は13脚用意されており、羊の装飾が飾られた1席は意味深に空席であった。
面々が集った後、最初に口を開いたのは、花飾りの大きい老人だった。
「渡りの方々、ようこそいらっしゃいました。私はこの羊村の長を務めている者です。こうして皆さまをお迎えし、今年もまた春羊祭を開催できたことを喜ばしく思います……」
老人がしわがれた語りを終えると同時。花畑の向こうから、多数の足音が響いてきた。気の弱い魔札使いたちはざわめくが、サースィアの者たちはそれが当然であるように動じない。程なく音の主たちが姿を現した……それは奇妙な羊の群れであった。
何十頭いるのだろうか。リユウはすぐに数えるのをやめた。大小様々なサイズの羊たちはどこか奇妙な印象を持つ。うち何体かの羊たちは背中になにかを背負っている。やがて円卓から一定の距離を置いて彼らが立ち止まると、サースィアの花男たちが立ち上がり、彼らが背負っていたものを恭しく受け取った。それは料理皿であった。
「信じられない!」
ノナは思わずと言った様子で立ち上がり、叫んだ。料理は一皿どころか、円卓の人数で分け合っても尚余るほどの量が運ばれてきていたのだ。豆のスープにサラダ、パン、ケバブめいた肉料理など、さまざま。
かなりの速度で運ばれてきたにも関わらず、スープは決してこぼれておらず、また砂埃や草などで料理が汚されている様子もなかった。それどころか、料理はまさに今調理されたばかりかと見間違うほどに熱を保っており、円卓に座る者たちの食欲を刺激した。
「ささ、どうぞ。お召し上がりください。年寄りの長話など、馳走を前にするものではないでしょう。これは祭りです。皆さんを歓待する祭りです。大いに楽しんでください」
老人の言葉を皮切りに、宴が始まった。いつの間にか、周りには花冠をした若者たちが集まっており、円卓を囲うように独特なダンスを繰り広げている。魔札使いたちは歓待を楽しみながら、羊が運んできた料理に舌鼓をうった。
「凄いな。これが祭りというものか。俺の世界にこんな催しはなかった」
「情熱的な踊りだ」
ノナもまた例外ではなかった。
「ほら、見てリユウさん。このサラダ、魚卵が使われているでしょう?他の世界でも見たことのある料理だわ。やっぱりサースィアにも魚は生息しているのよ」
「なるほどな」
リユウは興味なさげに頷いた。
「……あら?あなた、意外と小食なの?あまり食べてないように見えるけど」
「そんなことはない」
リユウは適当にノナとの話を切り上げ、円卓の対極に座るアーノルドを睨んだ。アーノルドは申し訳なさそうな仕草をした。
「渡り様。お酒はお得意ですか?」
リユウの背後に花娘が立っており、蜂蜜酒を差し出した。リユウは二つ返事で受け取り、グラスを手に取った。
「リユウさん、お酒はいけるの?」
ノナは興味本位で尋ねた。
「人並みにな」
リユウは一飲みでグラスを呷った。すぐに顔が朱に染まった。
「あらあら……」
そうこうしているうちに、円卓の周りの踊りはいよいよ激しさを増していた。踊りが終わったら酔っぱらったリユウに水でも注文してあげよう、ノナはそう思った。
少女たちの手足がダイナミックに揺れ動き、その情動はまるで炎であった。一度火が揺れるたび、蜂蜜酒のもたらす酩酊と高揚が増していき、より踊りに見入っていく。いつの間にか、ノナ以外の魔札使いたちも料理を食べる手を止め、踊りに釘付けになっていた。
「我らが神、オヴィス=スタロス。おお、慈悲深き御神。我らが神。今春も貴方の加護を冀います」
はじめに長が言った。
「「我らが神、オヴィス=スタロス。羊たちの神。今年も貴方の地にて永久の春を望みます」」
続いて、サースィア人たちが唱和した。踊り子たちもまた、荒れ狂う手足の挙動に負けじと、高らかに唱えた。
この場に確固たる自我を保っていた者はいなかった。集団の自我はなにかへと繋がっていた。強大なるもの。あるいは、彼らが唱えるオヴィス=スタロス。最後は皆一同に唱えた。
「「「「「我らが神、オヴィス=スタロス。羊たちの主、贄の神。我らの全てを供えます。我らの全てを捧げます」」」」」
「「「「「イア・オヴィス。イア・オヴィス=スタロス」」」」」
「「「「「イア・オヴィス。イア・オヴィス=スタロス」」」」」
「「「「「イア・オヴィス。イア・オヴィス=スタロス」」」」」
「「「「「イア・オヴィス。イア・オヴィス=スタロス」」」」」
花園の円卓に、新たに12の空席が生まれた。所せましと置かれていた料理もまた、忽然と姿を消している。唯一、リユウの席の前にだけ、彼が使う予定だった食器群だけが綺麗なまま残されていた。
円卓から消えた者たちの中で、リユウのみが唯一、何一つ呪文を唱えないまま、蜂蜜酒の酔いで一人寝落ちしていた。
◇ ◇ ◇
ノナが目を覚ますと、そこは尋常ならざる空間であった。悪夢そのものが具現化したような。或いは、これが話に聞く銀河なのだろうか?
辺りには他に誰もいなかった。ノナ自身の存在もひどく不安定であった。ただ一つ、暗黒の中心とでも言える場所に、
(((人の長よ)))
頭の中に声が響く。未知の言語を勝手に脳内で翻訳させられたような、不快な感覚であった。
(は。大いなるオヴィス=スタロス様。ここに)
しわがれた声が響く。コロニーの長の声であった。ノナ自身も何か発言を挟もうとしたが、まるで声が出なかった。
(((今春の魔札使いどもの供儀。大儀である)))
(は。光栄にございます)
(((Baa……Baa……)))
オヴィス=スタロスと呼ばれた存在の、奇怪な、醜悪な声が響く。供儀。ノナたちはそう呼ばれていた。あの怪物に食べさせる為に私たちは呼ばれたのか?祭りという釣り餌によって。最悪の想像がノナの脳裏を過ぎる。
直後。ノナは不意に唐突な不快感に襲われた。頭の中を貪られているような感覚。オヴィス=スタロスの凝視であった。ただ見られているというだけで、瞳の中の深淵に沈んでいきそうになる。それどころか、あの羊毛の一本一本がノナに突き刺さり、体内で暴れ回っているような感覚であった。
(供儀……私はあの怪物に食べられているの? それともまだ、品定めしているだけ……?)
これを上回る責め苦がまだ待っているかもしれない。そう考えるだけで余計に気が狂いそうになる。せめて死ぬなら楽に死にたいが、この悪魔的存在は果たしてそこまで優しい存在だろうか……?
魔札使いの結界力場も機能しない。如何なる手段で無力化したのか。あまりの苦痛に、まともに思考する余裕さえありはしない。このままノナは、オヴィス=スタロスによって咀嚼されてしまうのだろうか?己の輪郭が曖昧なまま、闇に消えてしまうのだろうか。
「おまえがオヴィス=スタロスか」
その時だ。紫の布着を纏った男の背中がノナの視界に映ったのは。 ヴァン・リユウは、どういう理屈か、この空間内に平然と存り続けていた。それどころか、自らの口で、あの邪悪存在へと問うたのだ。
悪魔の関心がリユウへと向き、ノナは凝視から解放された。今だに身体の感覚はおぼつかないが、少なくともあの不快な感覚が消え去った。
(((貴様は何者だ? 我が領域が貴様の存在を許した覚えはないぞ)))
「おれはヴァン・リユウ。最強になる男だ」
リユウが魔札を構え、言った。
「贄の神よ。おれと決闘しろ」
贄の神。ノナは心の中で反芻した。オヴィス=スタロスとは神なのか。泡沫世界において、古き神々は滅び去ったものと思われている。或いは永き眠りについたとも……あれはそうした古き神の一柱なのだろうか?一介の知的生物が持つにしてはあまりに強大な力。そうと言われても納得できる要員が確かに揃っていた。
(((Baa、Baa、Baa! このオヴィス=スタロスと闘うだと? たかが人間に過ぎない貴様が。魔札使いとて、思い上がるな)))
贄の神の巨腕がもたげ、リユウへと迫った。だが、周囲に張られた結界力場が巨大な掌を退けた。
(((ヌ……)))
「おれはおまえの歓待など受けてはいない」
(貴様! オヴィス=スタロスの贅を凝らした馳走に手を付けなかったいうのか!?)
割って入ったのは長の声であった。リユウは無視し、贄の神へと話を続けた。
「魔札使いを殺せるのは魔札使いだけ。呪いとやらが通じなかった以上、おれを魔札で倒さねば退けることはできんぞ」
(((………………)))
ノナは宴でのリユウの様子を想起した。蜂蜜酒は飲んでいたものの、確かに料理には一口たりとも手はつけていなかったのだ。思うに、蜂蜜酒はこの場所に誘うためのもので、魔札使いを無力化するのは料理の役目だったのか。ノナはそう推測した。
しばし考えていた様子の贄の神は、奇怪な嘲笑と共に飛び上がった。
(((よかろう。そういう嗜好も悪くない。貴様は札遊びで喰らってやろう)))
贄の神が両手を広げると、強大な光が収束し、ぱらぱらと何かが舞った。それはオヴィス=スタロスの全長からすると遥かに小さいが、紛れもない魔札であった。ノナは確信した。この瞬間に、あの神は魔札使いに成ったのだ。常人ではありえない芸当。奇跡。これが神の所業なのだろう。贄の神が笑った。
(((
ノナは、リユウの全身が震えるのを見た。恐怖の震えか、歓喜が故か。両者は5枚の魔札を展開し……同時に叫んだ。
「
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