第3話肉まんと夢と秘密

 梅が肉まんを三つ目まで食べ終えたころ、黎翔はとうとう匙を投げた。

「…もうやめぬか。見ているだけで胸焼けがする」

「えっ、これ野菜まんですよ。健康にいいです」

「お前の健康より、わたしの心の平穏が心配だ」


 山を抜けて数日。

 二人は人目を避け、小さな宿に身を寄せていた。

 黎翔は “死んだ” ことになっており、王都では盛大な葬儀が行われているらしい。

 まあ、本人は元気に茶をすすっているのだが。


「殿下、これからどうするんですか?」

「そうだな…しばらく静かに暮らす。名も捨て、誰にも知られぬ地で」

「じゃあ、名前どうします?」

「…うむ」

 少し考えてから、黎翔は言った。

「“黒田ライショウ” だ」

「まるで庶民みたい!」

「庶民になるのだ」

「じゃあ私は?」

「…胃袋梅」

「ひどい!」

 言い合いながらも、奇妙に息は合っていた。


 その夜

 梅は、枕元の月明かりに照らされたピアスを見つめていた。

 小さな金の細工。蓮の花の模様が彫られている。

 それは、生まれたときに一緒に捨てられていた唯一の持ち物だ。

 自分がどこの誰かも知らない。

 でも、幼いころから見る夢の中で“誰か” が囁いていた。

「蓮が二つ咲く日、この国は選ばれる」

「その耳飾りを持つ者は、災いを呼ぶ」

 意味はわからない。

 ただ、不思議なことに、夢の声は決まって黎翔に似た声だった。

 … いや、今の黎翔ほど偏屈ではなかった気もする。

 そして毎回決まって同じ景色、血の海のような色の空。


「うん、考えてもお腹はふくれない」

 そう言って、梅は寝返りを打ち、そのまま三秒で寝落ちした。寝つきが異様に良いのは、生存能力の高さゆえである。


 翌朝。

 黎翔が目を覚ますと、梅は窓辺で虫に話しかけていた。


「おはよう、スズメガちゃん。昨日より風が冷たいねえ」

「誰と話しておる?」

「虫です」

「虫と会話するな」

「話す相手がいなかったんです。そうだ、殿下、聞いてください。」

「あぁ、虫と話しておけ」


 そうこうしていると、宿の外がざわめいた。

「おい、聞いたか?北の国が動いたらしい」

「北の第一王子が軍を…」

 黎翔の手が止まる。

「… やはり、王妃と兄上が仕掛けたか」

「また戦ですか?」

「おそらくな」

 そのとき、梅の胸の奥にざわめきが走った。

 夢で見た “真っ赤な血色に染まった空” が、ふと脳裏をかすめる。


 夜。

 外で水桶を洗いながら、梅は鼻歌を歌っていた。

「なぜそんなに楽しそうなのだ」

「生きてるからです」

「… 単純だな」

「せっかく生まれたんだから楽しく生きないと」

「… そうか」

 梅は笑って、黎翔を見た。


「じゃあ、次は “食べて笑って暮らす計画” です!」

「名が相変わらず俗っぽい」

「じゃあ意味変えないで別の名前作ってみてよ。」


 黎翔は夜空を見上げた。

 遠くに、蓮の花のように重なった雲が浮かんでいる。

 このままこの暮らしをしても、悪くないのかもしれない。


 そして翌朝。

「殿下、朝ごはんどうします?」

「…肉まん以外を希望する」

「わかりました!二種類のおまんじゅうにします!」

「聞いておらん!」

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