第2話偽りの捕縛と肉まんの匂い

 黎翔は、心の底からうんざりしていた。

 毒を盛られ、監視され、息をしても報告される毎日。

 王妃の息子でありながら、母に愛されることはない。

 この国から、逃げ出したい。

 ただ静かに、遠い地で暮らしたい。

 だが皇子である以上、運命はひとつ。

 王位に就くか、殺されるか。

 せめて辺境に飛ばされる幸運があればよいが。

 あの兄の性格を思えば、情けなど望むべくもない。


「殿下、まさかとは思いますが。」

 老柳が震える声で問う。

「本気で、賊に捕まるおつもりですか?」

「うむ。賊に殺されたことにして、ひっそりと国外へ逃げる」

「自ら捕まる皇子など聞いたことがございません!」

「新しい歴史を作るのだ」

 これがバレたら皇子は減俸とかで済むけど、私たちは殺されるのだが。

 老柳の心の声を無視して、黎翔の言葉には、迷いがなかった。

 準備は完璧。わざと護衛を減らし、山道を選んで進む。

 あとは賊に捕まるだけ。

 …のはずだった。


「殿下!」

 後ろから聞こえた元気な声に、黎翔は眉をひそめた。

 振り返れば、例の空腹な愛妾・梅が全力で走ってくる。

「なぜ来た」

「心配で!」

「本当のことを言え。」

「家に籠ってばかりで外が恋しくって」

「飯が目当てだろう」

「はいっ!」

 即答である。


 その直後、木陰から山賊たちが飛び出した。

「金目のもんを置いてけぇ!」

 黎翔は満足げに微笑んだ。

「来たな…」

 そしてその場に倒れ、完璧な死に演技を披露する。

「ぐふっ…やられた」

 山賊「…… え?」

 梅「殿下!?」

 黎翔「(小声で)良い、演技だ」

 山賊「(ヒソヒソ)なんか自分から倒れたぞ?」

「ま、まあいい。見格好からして金を持ってる、こいつらまとめて連れてけ!」

「殿下、どうします?」

「うむ、捕まる」

「え?」

「心配するな。これが計画だ」

 梅はぽかんとした顔で頷いた。

「計画って、そういう?」

(まあ、いいか。)


 山賊の巣に連れてこられた二人。

 暗い牢屋の中、梅は膝を抱えて座っていた。

「殿下、お腹すいた、のど乾きました」

「我慢しろ。生き延びるためだ」

「餓死したらどうやって生き延びるんですか?」

「理屈で矛盾を指摘するな」


 しばらく沈黙が続いた。

 やがて梅が顔を上げて、さらっと言った。

「殿下、お腹空いてませんか?」

「まあ少しな」

「ここから出たいですか?」

「…一応、出たい」


 バキンッ。


 唐突に、壁が砕けた。

 黎翔は硬直した。

 梅の拳が、石壁を突き破っている。

「出られました!」

「お、お前、何を!」

「殿下、掴まってください!」

 問答無用で、黎翔は脇に抱えられた。

 完全にセカンドバッグ扱いである。

 梅は軽やかに走り、夜の山を駆け抜けた。


「梅!どこへ行く!?」

「肉の匂いがします!」

「いや、町への道を!町に肉まん屋がある匂いです!」

「嗅覚がもはや動物だな!?」


 夜明け前、ようやく山を抜けた。

 梅は汗ひとつかかず、涼しい顔で屋台にまっすぐ突進する。

「肉まんください!」

「…二つだ」

「六つください!」

「はあ。買え」


 湯気の立つ肉まんを頬張る梅を見て、黎翔はふと笑った。

「まさか、こんな形で逃げることになるとはな」

「え?」

「いや、気にするな。助かった」

(後で老柳に死体を 2 体探して工作してもらって、このまま死んだふりでいいか。)

 梅はもぐもぐしながら、嬉しそうに言った。

「よかった。殿下、もっと食べます?」

「お前はまだ食うのか」


 彼は、ふと思う。

 誰かと逃げて笑うなんて、いつ以来だろうか。

 梅は満腹になり、幸せそうに頷いた。

「やっぱり生きてるって、幸せですね!」

 黎翔は苦笑し、静かに頷いた。

「そうだな。……悪くない」


 その朝、誰も知らない場所で。

 “死んだ” はずの皇子と、“胃袋の化け物” が、肉まんを分け合った。

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