第14話 帝都狂騒曲①

 夕刻、帝都アイゼンブルクは、黄金色の夕陽に染まっていた。


 作戦は開始された。


 約束の時刻、サンクト・カール城の城門前広場に、セキレイは一人姿を現した。

 騎士の正装ではなく動きやすい旅装。しかし、その凛とした佇まいと隠しきれない気配は、彼女が只者でないことを雄弁に物語っていた。


「あれは⋯⋯」

「セキレイ様だ!」

 噂の英雄の登場に、広場にいた人々はどよめいた。


 セキレイが罪人のように帝都に召喚されたという話は、すでに市井に広まっていた。民衆は、固唾を飲んで彼女を見守る。


 セキレイは、そんな視線を意にも介さず、ゆっくりと城門へと近づいていく。彼女を一目見ようと、広場を取り囲むように、人々はどんどん集まってくる。


 その人垣を割るようにして、1人の男がセキレイの前に進み出た。


「セキレイ殿」


 その声に、セキレイは足を止めた。

 白銀の鎧に、青薔薇の紋章。ユイナフ王国の騎士、エティエンヌ・ド・ヴァロワ――に扮したヴァルだった。彼は、悠然とセキレイに近づいてくる。


「お忘れか。ユイナフ王国騎士団が1人、エティエンヌ・ド・ヴァロワです」


 その声、立ち居振る舞い、そして静かな自信に満ちた瞳。それはまさしく、先日レーゲンスブルクの森で対峙した騎士そのものだった。

「今や、我が王国の情報網は、ここアイゼンブルクの深部にまで張り巡らされている。貴女が本日、帝城に登られると聞き及び、お待ちしていた。間に合ってよかった」


 ユイナフの騎士が、なぜ帝都の真ん中に。しかも、これほど堂々と。

 群衆が、不安と恐怖にざわめく。


「ご安心を。私は1人で参っている」

 偽エティエンヌは、騒ぐ群衆を見渡して声を張り上げ、彼らを一度制した。そして、再びセキレイに向き直り、熱を帯びた声で語りかける。


「セキレイ殿、貴女がご登城なさる経緯は存じている。非常に残念に思います。貴女のその比類なき強さ、そして、常に国全体を見ておられるその広い視座。貴女を正当に評価するのは、ここマール帝国ではなく、我がユイナフであると私は確信している」


 彼は、もう一歩セキレイに歩み寄ると、芝居がかった仕草で手を差し出した。

「そして何より、貴女は美しい」


「セキレイ殿。ぜひ、我が妻となって、私とともにユイナフへは参りませんか」


 その言葉は、広場に爆弾を投下したかのようだった。

 悲鳴、怒号、そして野次が飛び交う。

「ふざけるな! 我らの英雄を渡すものか!」

「引っ込め、ユイナフの犬!」

 城門前広場は、一瞬にして騒然となった。


 その混乱の渦中で、セキレイは内心混乱していた。

(なんだ、これは)

 目の前にいる騎士は、想像を遥かに超えてエティエンヌだった。使う言葉、声のトーン、視線の配り方、間の取り方――演技で再現できるものではなかった。


 筋書きがわかっているはずなのに、背筋にぞわりとした悪寒が走る。セキレイは、思わずこの気味の悪い騎士を完全に無視して、さっさと城門へ向かおうかと本気で迷った。だが、それでは、この後の彼の重要な演説に繋がらない。

 セキレイは、一瞬の逡巡ののち、用意された脚本通りの台詞を、感情を殺して口にした。


「⋯⋯貴殿と剣を交えた結果、私はこの帝城にて弁明をせねばならぬ身の上。失礼する」


 それだけ言い残し、セキレイは偽エティエンヌに背を向け、足早に城門の衛兵のもとへ向かい、来訪を告げた。


 セキレイに袖にされた偽エティエンヌは、しかし、顔色一つ変えなかった。彼は、事の成り行きを遠巻きに見守る群衆に向き直り、朗々と呼びかけた。

「アイゼンブルクの民よ! 聞いていただきたい!」


 その声は、不思議なカリスマを持って広場の隅々にまで響き渡った。

「セキレイ殿は、一領邦の騎士でありながら、このマール帝国全体のことを真に考えておられる! 我がユイナフと国境を接する帝国東部一帯を、その身ひとつで守護しようとなさっているのだ! それがゆえに、レーゲンスブルクにてこの私と剣を交えることにもなった! しかしながら、帝城サンクト・カールは、その忠義の行動を越権行為であると指弾し、あろうことか罪人のように扱い、今日このように彼女を呼び出している!」

 偽エティエンヌは、天を仰いで嘆く。


「政府が憂国の士を邪魔に思うような国に、未来はない! このマール帝国が、これほどの人材を正しく使えぬというのなら、我がユイナフが、敬意をもって貰い受けるまでだ!」


 ヴァルは、打ち合わせになかった言い回しを、アドリブで次々と織り交ぜていく。その熱弁は、民衆の心を鷲掴みにし、彼らの帝国への不信感を煽り、セキレイへの同情と崇敬を増幅させていた。


 群衆の中に紛れてその様子を見守っていたモニカは、舌を巻いていた。

(この前の噂の流布作戦で、演技の才能は十分知っていたつもりだったけど――)

 ヴァルの熱弁は、演技とはまるで別次元の域だった。

(あれは演技力じゃない。ある程度、頭の中まで変身できるのね。だからエティエンヌの在り方自体を自分のものにしている。おそらく台詞も自然に出てきている。やりすぎて珍しくセキレイ様が戸惑ってたじゃないの。とんでもない子ね)


 城門をくぐり、城内に通されたセキレイを、2人の衛兵と、昨日モニカが声をかけたあの若い侍女が待っていた。

「セキレイ様! お待ちしておりました!」

 侍女は、実物のセキレイを間近で見られたことが心から嬉しいといった様子で、頬を上気させている。


 彼女は、セキレイを部屋へと案内する短い道すがら、興奮したように早口で語りかけた。

「先ほどの広場でのこと、見聞きいたしました。帝都には、今や貴女様のファンが大勢いるのですよ! 」


「そうか。ありがとう」

 セキレイは、侍女の純粋な好意に対し、静かに微笑みながら言った。

「私も、アイゼンブルクの女性には一種の憧れを持っている。このような仕事をしているが、やはり、そなたたちのような華やかな都の暮らしにも心惹かれるものがあるのだ」


 その言葉に、侍女はますます感激したようだった。

「まあ⋯⋯! どうか、できるだけ長くご滞在くださいませ。私、精一杯お世話させていただきます」


 数時間後にはこの城を去っているはずのセキレイは、その言葉に、ただ優しく微笑むだけだった。

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