ぽへぽへるりるり

@poheruri

第1話 タクミ×ミア兄妹


三つ歳下の妹ミアとは、物心ついた頃から大の仲良しだった。家の中では常に二人一緒で、小学生の頃までは一緒の布団で寝ていたほどだ。タクミも彼女のことが可愛くて仕方がなかった。自分を慕ってくれる小さな存在がいることが、誇りだった。


しかし、その関係は中学、そして高校へと進むにつれて、ゆっくりと、しかし確実に変化していった。今では、家に居ても目も合わせず、会話も必要最低限しか交わさない。ミアはあからさまにタクミを避け、その態度は拒絶の色を帯びていた。


タクミが大学生になってからも、ミアは高校生。タクミが卒業した後にミアが同じ高校に入学したため、二人が校舎を共にした日々はない。にもかかわらず、ミアの兄に対する態度は冷え切っていた。


(ウザイ、か……)


タクミは時折、ミアの部屋から漏れ聞こえる友達との電話での会話を耳にする。「兄貴なんてマジダルい」「もう絶対、話しかけてくんなって感じ」。直接自分に言われたわけではないが、その言葉は確実にタクミの胸を抉った。それでも、兄として、彼女のことが心配で仕方がなかった。


---


それから二年。タクミは大学を卒業し、都内の企業に就職していた。仕事は順調で、慣れないスーツ姿にもようやく板についてきた頃だった。一方、ミアは無事に大学に進学し、春休みに実家を離れて一人暮らしを始めたばかりだ。


ある週末、タクミが実家に戻ると、リビングにいた母親が、困惑した表情で言った。


「タクミ、ミアが帰ってきてるんだけど……ちょっと見てやってくれない?」


「ミア? 何かあったの?」


「う、うん。何というか……見ての通り、ね」


リビングに入ったタクミは、目を疑った。そこにいたのは、自分が見慣れた妹の姿ではなかった。


髪はブリーチして、明るい茶色から薄いピンク色に染められている。目の周りは濃くメイクされ、ファッションも、これまでの地味で堅実なものから一変していた。ミニスカートに厚底ブーツ。ピアスが耳元で揺れている。


「…………ミア?」


タクミが思わず口にした問いかけに、妹は「何よ」とでも言いたげに、顎を少し上げ、挑戦的な目で兄を見た。その表情は、高校時代に時折見せていたツンケンした態度とはまた違う、どこか吹っ切れた、新しい「ギャル」の表情だった。


タクミは、ミアの前に立ち、言葉を選ぶ。会話は無いが、兄として、彼女の変貌について聞かないわけにはいかなかった。


「その、髪……それに、服装も。どうしたんだ」


ミアは、タクミを上から下まで値踏みするように見ると、フンと鼻を鳴らした。


「見たまんまでしょ。大学デビュー。友達と遊ぶのに、こういうのが楽しいんだよ。タクミ兄には関係ない」


「関係なくないだろ。母さんも心配してる。そんな格好して、変な男に騙されないか、とか……」


「**だから、関係ないってば!**」ミアは、明らかに語気を強めた。「私の人生に、口出ししないで。心配なんて、ウザイだけ。もういい、部屋行く」


ミアは、タクミを無視するかのように立ち上がり、そのまま階上へと駆け上がっていった。社会人になったタクミには、彼女の行動原理も、自分への激しい拒絶の理由も、全く理解できなかった。ただ、彼女がトラブルに巻き込まれないか、その一点だけが心配だった。


---


季節は梅雨に入り、湿気の多い日が続いていた。


その日、タクミは会社を定時で上がり、自宅へ向かっていた。最寄りの駅で降りると、空は鉛色に重く垂れ下がり、今にも土砂降りになりそうな気配だった。


ふと、タクミは思い出した。


(そういえば、ミアは今日、大学の友達と会うとかで、傘を持たずに家を出たはずだ)


まだ少し雨粒が残る中、タクミは自宅の玄関へ戻り、自分の傘ともう一本の折り畳み傘を持って、ミアが帰ってくると言っていた方向へ歩き出した。心配していることを悟られるのは嫌だったが、びしょ濡れで帰ってきて風邪でも引かれては困る。それが、タクミが兄としてできる、最低限の行動だった。


駅前のショッピングモール付近で、タクミはミアの姿を見つけた。彼女は案の定、折り畳み傘も持たず、スマホの画面を見ながら、少し困ったように空を見上げていた。


「ミア!」


タクミが声をかけると、ミアは少し驚いた顔で振り向いた。その顔には、一瞬、困惑と、なぜここにいるのかという不満が浮かんだが、すぐに無表情に変わった。


「タクミ兄……」


「ほら、これ使えよ」


タクミは、折り畳み傘をミアに手渡した。


ミアは、一瞬ためらったが、空から落ちてくる雨粒の勢いが強くなったのを見て、無言で傘を受け取った。どこかバツが悪そうな、複雑な表情だ。タクミは、自分の傘を開き、彼女の隣に並んだ。


「帰るぞ」


「……」


ミアは返事をしなかった。しかし、タクミの隣を歩くことを拒絶もしなかった。子供の頃のように、肩が触れ合うほどの距離で。タクミの傘とミアの傘が、少しだけ触れ合う。久しぶりに、二人きりで、同じ方向へ歩いている。会話は無いが、二人の間にあった見えない壁が、この雨と傘のせいで、少しだけ薄くなったような気がした。


駅前の喧騒が遠ざかり、静かな住宅街へと差し掛かった時、雨脚が急に強くなった。


「うわ、急にすごい雨」


ミアが、驚いて空を見上げたその瞬間だった。


辺りの景色が、急激に歪み始めた。地面が揺れ、家々が水彩画のように溶け、全てが色を失っていく。タクミとミアの視界は、白く塗りつぶされた。


「な、何だこれ……!?」


タクミが思わず声を上げると、ミアも恐怖に震えているのが分かった。


二人が再び視界を取り戻した時、そこはもう、見慣れた日本の住宅街ではなかった。


足元の地面は、見たこともない滑らかな石畳。周りは、緑色の苔に覆われた古代遺跡のような石柱が立ち並んでいる。そして、目の前には、巨大な石造りのアーチがそびえ立っていた。アーチの上部には、読めない文字が刻まれている。


アーチの向こう側には、霧に霞んで、中世ヨーロッパのような尖塔を持つ街並みが見える。そこからは、聞いたことのない、奇妙なざわめきが聞こえてくる。


「タクミ兄……ここ、どこ……?」


ミアの震える声が、静寂を破った。彼女の目には、恐怖と混乱が入り混じっていた。


タクミもまた、この異常な状況に息を呑んだ。持っていた傘は、いつの間にか手から滑り落ちていた。


「わ、わからない……」


タクミとミアは、呆然と立ち尽くす。

目の前のアーチ。その先に見える異世界の街。

二人の、そして世界を巻き込んだ、新たな物語が、今、始まったばかりだった。

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