『聖女業務』の属人化、解消します。 〜元コンサル聖女の使命標準化計画〜

すみふじの

第1部:業務改善とチーム結成

第1話:元コンサル聖女、現状を把握し絶望する

──私は二度と、属人化という地獄には戻らない。

前世では、属人化した現場の終わらない改善プロジェクトに押し潰されて死んだ。

だからこそ、この世界で同じ轍を踏む気はない。



……たとえ転生先が“聖女一人で国家インフラを支えている世界”だったとしても。





その日の朝は、いつもの目覚めとは違っていた。

アラームのけたたましい騒音ではなく、柔らかな光が目蓋の裏を優しく撫でる。

頬には固い床の感触はない。不自然な姿勢と溜まった疲れでバキバキになっていたはずの首や肩は、柔らかく清潔な寝具の上に支えられているのだということが、瞳を閉じたままでもわかる。


(……もう朝? おかしいな、昨日も確か終電で、玄関で寝ちゃったと思ったのに……)


ゆっくりと目を開ける。

日常生活のなかでは決して見ることのない、天井まで続く壮麗なステンドグラスが広がっていた。

きらきらと輝くガラスには歴代の聖人たちでも描かれているのだろうか。

その神々しい絵を透かして降り注ぐ厳かな光が、部屋全体を淡く、幻想的な色で満たしている。


一体ここはどこなのだろうか。

昨日もいつものように改善プロジェクトの業務に追われて終電での帰宅となり、そのまま玄関に倒れ込むように寝たはずだ。

ベッドに辿り着けるはずもないし、たとえ辿り着いていたとしても大物洗濯をする暇もなかったのだ。寝具がこれほどまでにふかふかに整えられているはずがない。控えめに室内に漂う香りもまた、買った覚えのないものだった。


(これは、まだ夢の中? 疲れすぎてリゾートに泊まる夢でも見ているのだろうか……いや、もしかして、ひょっとすると……?)


微睡みの中でさまよう思考が、一つの荘厳な声によって現実へと引き戻される。


「おお、聖女様! お目覚めになられましたか!」


聖女様?

その言葉を引き金に、全く異なる二つの人生の記憶が、濁流のように私を飲み込んでいく。


改善コンサルタントとして、非効率な業務やシステムと、それを生み出す旧態依然とした組織に立ち向かい続けた鷹野瑞穂たかのみずほとしての記憶。クライアントの無理難題、終わらない納期、積み重なる疲労に追い立てられる毎日。

その最期はあっけなく、布団の上ですらなく玄関で迎えてしまったようだ。

過労死という、あまりにも現代的で、あまりにも馬鹿馬鹿しい理由で幕を閉じた、この私の人生三十年の記憶。


それと同時に、聖石の王国ハイリゲンシュタインの由緒ある貴族の家に生まれ、次代の聖女候補として幼い頃から敬虔な祈りと共に育てられてきたルツィア・フォン・アイゼンシュタインとしての人生二十二年の記憶が、分かち難く私の中でひとつになっていく。


(……なるほど、そういうこと。)


つまり私は過労死の末、異世界の聖女ルツィアとして転生したらしい。

あまりにも突飛な結論だが、頭の中の記憶がそれ以外の答えを許してくれない。


あらためて、声のした方を見る。

先ほどの荘厳な声の主である老人は、この国の教会を預かる大司教バルドゥイン。

身にまとっているのは、上質な絹で仕立てられた純白の祭服。その襟元や袖口には金糸で緻密な紋様が刺繍されている。胸元で輝く大きなペンダントは、この国の大変貴重な鉱石である“聖石”だ。

そしてその後ろに控えるのは、高位の神官たちと王宮から派遣された騎士たち。

まるで映画のワンシーンだった。この光景の全てが、私の新しい“現実”なのだと、魂が理解していた。


「おお、ルツィア様……いえ、聖女ルツィア様。私です。バルドゥインです。よくぞ……よくぞ、お戻りになられました。貴方様の顕現を、民は皆、待ちわびておりましたぞ」


大司教が、安堵と、どこか畏敬の念を込めた声で語りかける。

「お戻りになられました」──その言葉の響きが、私が何か途方もない試練を乗り越えた後なのだということを物語っていた。

周囲の人々からは、熱に浮かされたような純粋な崇拝の眼差しが注がれている。

前世では、どれだけ成果を出しても「目標は達成して当たり前」「まだ足りない」「もっとやれるだろう」と言われてきた。数字を出しても評価されなかった私にとって、この無条件の賛美は、疲弊しきった心に染み渡るようだった。


私は、理解は二の次として、ひとまずこの状況を受け入れることにした。

貴族の生まれで、“聖女”。それはつまり、この世界における高位の権力者階級ということだ。前世のように、理不尽なクライアントや上長、終わりのないデスマーチのような仕事に追われることもないのだろう。


(いいじゃない……ここでなら、ルツィアとしてなら、今度こそ穏やかで恵まれた暮らしを送れるかもしれない!)


第一の人生は随分と早く、みじめに終わってしまったけれど、神様も捨てたものじゃない。

この第二の人生は悠々自適なスローライフを用意してくれていたなんて。

──そんな甘い夢を、この時の私はまだ描くことができていた。



◇◆◇



しかし、その甘い夢が現実という名の鉄槌によって粉々に打ち砕かれるのに、そう時間はかからなかった。

場所は、私のために用意されたという豪奢な執務室。

目覚めてから半日も経たないうちに、大司教バルドゥインによる聖女の“お務め”に関する最初のオリエンテーションが始まっていた。


「──では、ルツィア様。まずは聖女様にお願い申し上げる主なお務めについてご説明いたします」

(ふむふむ、業務説明ね。もっとファンタジックなものかと思ったけど、意外としっかり引き継ぎされるんだ。)


私は鷹野瑞穂としての記憶を呼び覚ましながら、内心で頷く。

聖女というのはてっきり名誉職かと思っていたが、説明の場を設けられるくらいの業務量があるらしいのは少々計算違いだった。

でもまあいい。前世に比べたらきっと安楽な暮らしが待っているに違いない。


「王国の歴史や法律の根幹に関わる古代文書の解読。高位の神官でも治癒できぬ重篤な病への治療。魔物討伐への随伴に、ポーションの製造も聖女様の御手にて行っていただきます。」



(──待て、待て待て! 専門外にも程があるでしょう!)

(なぜインフラ管理担当が、古文書の解読や高度医療、軍事アドバイザーに製薬開発まで兼任する必要があるの!?)

(そもそも聖女って、宗教指導者じゃなかったでしたっけ!?)


私の脳内で警報がけたたましく鳴り響く。

目の前の穏やかな大司教が提示しているのは、一人の人間に許容される業務範囲スコープをあまりにも逸脱した無茶苦茶な要求だ。

私の思考は、瑞穂としての平穏な自分からエンジン音を立ててコンサルタントモードへと完全に切り替わっていく。

そして極めつけが最後の項目だった。


「その他にも王侯貴族の定期検診に、戦場への慰問と負傷者の治療。日照りにおける雨乞いや長雨における晴天祈願……その他、有事の際のあらゆる事象へのご対応を、聖女様の御手にて直ちに行っていただいております。」


(……その他、有事の際の、あらゆる事象へのご対応を、即時……だと?)


私は、内心で悲鳴を上げた。


何なんだ、この多岐にわたり、かつ膨大な業務量は!

定例業務と、突発的に発生するインシデント対応に加えて広報、製造、インフラまであるじゃないか!タスクの優先順位も不明瞭だし割り込みも多そうだし、そもそも一体、一日何時間労働を想定した仕事量なの!

そして、何よりも致命的なのは……。


「……あの、大司教様。一つ、確認してもよろしいでしょうか?」


私は恐る恐る声を上げた。

お行儀の良い生徒のように手も上がっていたかもしれない。


「はい、聖女様。何なりと。」


「これらの業務を全て、私一人で……?」


私の絞り出したような問いに、大司教は、何を当たり前のことをとでも言いたげな、慈愛に満ちた笑みを浮かべた。


「もちろんでございます。聖女の御業は、聖女様にしか成し得ない、唯一無二の奇跡。他の誰も代わることなどできませぬ。」


──属人化。


さっと血の気が引く。

甘い夢はがらがらと崩れ落ち、前世で聞き飽きたその忌まわしい単語が脳裏で警鐘を鳴らす。


担当者が一人倒れたら全ての業務が停止する。

前世では散々見てきた、最も危険で、最も回避すべき愚かな人員構成。


だが、ここでの“担当者”は職員ではなく──国家の医療・治安・祈祷儀式すべてを担う聖女だ。


私が倒れたら重病人の治療は止まり、魔物討伐への随伴もできず、王侯貴族への診察も、雨乞いや晴天祈願といった政治儀式も滞る。

つまり、この国の重要インフラが丸ごと一人に紐づいているということになる。


前世の職場より遥かに危険だ。

倒れたら“代わりがいない”どころではない──国が止まる。


こんな構造、いつか必ず崩れる。

その引き金を自分が担う未来など、想像しただけで吐き気がした。


冗談じゃない、話が違う。何が名誉職だ。

この状況は私が夢見たスローライフなどでは断じてない。

これは、前世で私が最も憎み、そして根絶するために戦い続けた、終わりのない、引き継ぎ不可能な、究極の属人化案件そのものではないか!


前世と同じ轍は、二度と踏むものか。やるべきことは、決まった。


(隠居する──可及的速やかに。)


そのためには。

この属人化し、ブラックボックス化された聖女の業務を、私の全ての経験を使って解体する。

可視化し、定量化し、標準化し──誰でも引き継げる『仕組み』を構築する。

そして、さっさと後任に押し付けて、私は絶対に穏やかな隠居生活を手に入れてやるのだ。


もう二度と、自分の人生を“業務”に奪わせない。


私の第二の人生における、最初の──そして最大の改善プロジェクトが、今この瞬間に静かにキックオフを迎えた。




──しかし。


この時の私は、まさか当日のうちに“最初の壁”とぶつかることになるとは、予想だにしていなかった。

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