第4話 つみ

4


 道場からの帰り、俺らは3人で歩いていた。


 明星はいつも剣道教室が終わるとコンビニで酒を買い、歩きながら飲み干した。缶は飲み終えた時点で道に投げる。


 今日もいつもと全く同じ、剣道からの帰り道だった。


 酔っぱらってふらふらしている明星の後ろを俺たち二人がついて歩く。いつもの日常。ありふれた日々。


 「……?」


 前から車が来る。車はものすごく速いスピードで走っており、どう見てもスピード違反だとわかった。


 車が後もう少しで俺らの横を通るとなった、そのときだった。


 平和は、前にいた明星を車道に押した。明星は酔っぱらっていたから足をもつれさせて勢いのまま車道に飛び出す。


 猛スピードの車が明星の体を軽々と吹き飛ばした。明星の体は宙を飛び、そして地面に叩きつけられる。


 俺は、その光景に、足がすくんでいた。


 動けなかった。


 車は、人を轢いたことなどなかったかのように走り去っていく。周りには俺と平和しかいない。


 「へい、」


 弟の方をかろうじて見ると、平和は体を震わせて――笑っていた。


 殺す気だった。きっと、今日剣道に行く前から、殺す気でいたのだ。


 「和雄、スマホ貸して」


 「え?」


 「警察呼ばねぇと。轢かれたんだから」

 

 自分が突き飛ばしたというのに、まるで交通事故を目撃したかのように平和は言った。俺がポケットからスマホを取り出すと、平和は奪うようにしてスマホを取り上げた。そして、笑顔を消して眉を八の字にする。


 「あ、すみません。警察ですか? あの、父が車に轢かれて……あ、車はどっか行ってしまって……あの、父が跳ねられて、頭から血が出てるんです。どうしたらいいですか?」


 何度か相槌を打って、平和は通話を切った。そして、冷めた顔をしてスマホを返してきた。


 「お前、何で」


 「このままだったら本当に孕まされる。それか殺される」


 「は?」


 訳のわからないことを言う弟に、俺は得体の知れない恐怖を感じた。本気で言っている。小学6年生の男子が、本気で孕まされると思っている。そして、本気で殺されると思っている。


 「殺される前に殺すことの何が悪いんだよ」


 「それは……」


 「いいよ、和雄が言いたければ警察に言えばいい。……俺は、明星から開放されたんだ」


 平和の笑顔は無邪気な笑顔だった。幼少の、本当に小さいときに浮かべていた笑顔と同じだった。人を殺したと言うのに、その重圧も何も感じていない――むしろ達成感すら感じている明星平和は、もはや俺にとっては暴力で全てを支配してきた明星航一と同じだった。

 


 それでも結局、俺は平和のことを警察には話せなかった。


 平和を庇おうと思ったわけではない。ただ、俺たちの生活を滅茶苦茶にした明星には当然の報いなのだと思ってしまったのだ。幸いにも、目撃者は俺たちしかおらず、また明星を轢いた男は飲酒運転で記憶も曖昧。おまけにドライブレコーダーもついていないという幸運ばかりだった。

 

 だからと言って、平和のことを理解はできない。

葬儀のときは、平和の無邪気な笑顔を思いだし柄にもなく泣いてしまった。平和はそんな俺を怪訝そうに見ていた。


 葬儀を終えた次の日、俺は母さんと些細なことで喧嘩をした。きっかけは、彼女のことだった。俺が彼女の家に入り浸っているのが気に食わないと言って怒ったのだ。母さんこそ、知らない男の家に入り浸っているというのに。


 「お前だっていつも男の家に転がり込んでるじゃねぇか!! 父さんが生きてるときから浮気しやがって!!」


 「仕方ないじゃない!! 航一さん相手してくれなかったし! しかもあの人もう病気で何言ってるかわからなくて気持ち悪かったし! あんなのと一緒にいれるわけないでしょ!?」


 「そんなのでもテメェがそもそもとっ捕まえてきたんじゃねぇか! テメェなんか飯も用意しなかったくせに偉そうにするんじゃねぇよババァ!!」


 怒鳴り合う大喧嘩の最後、母さんは包丁を持ってきた。その瞬間に、真っ先に車に跳ねられた明星が頭を過った。


 ――殺される。

 

 本気でそう思った俺は、いよいよ我が家を捨てた。靴も履かず、無我夢中で交番まで走った。


 中学3年生にして、ようやく弟の言う「殺されるかもしれない」という気持ちを理解した。皮肉にも、弟が人を殺した瞬間を見たからだが。それで、人の死がこんなにも身近なものだと知ったのだ。


 警察に事情を話せば、すぐに匿ってくれた。はじめからそうしたら良かったと思うほどに呆気なく俺は家族から分離された。


 児童相談所の福祉司に、俺は二度と帰りたくないと話した。今までの親から暴力も、洗いざらい話をした。平和のことも少しだけ話をした。


 「君が明星和雄くんだね」


 「え、あ、はぁ」


 一時保護所に着いてはじめての夜に、警察が訪ねてきた。彼は帆上警察署の相沼と名乗り、警察手帳を見せてきた。面接室に知らない男と二人だけの空間は、何だか落ち着かない。この男は、俺のことを殴りに来たのではないのだろうかと根拠もない不安が頭を過る。

 

 ドクンドクンと心臓がうるさい。母のことを聞かれるのか、義父のことを聞かれるのかわからず、怖い。

 相沼は眼鏡越しに俺を見つめながら、穏やかそうに笑った。安心させるためなのだろうが、俺にはその顔は前の義父である古積の歪んだ笑顔に思えた。裏心のある、汚い笑顔だ。

 

 「実は、君の弟さんのことを聞きたくてね」


 「平和のこと?」


 明星殺しのことだろうか。


 俺が身構えていると、面接室のドアがコンコンと遠慮がちに叩かれた。中に入ってきたのは先程俺と話をしていた福祉司だ。


 福祉司のことも信用したわけではなかったが、それでも何となく不気味な警察官と二人きりにされたくなくて彼の来訪に胸を撫で下ろす。が、それも束の間だった。福祉司はお茶を二人分置くとペコリと頭を下げて退室した。


 「私の息子、相沼優志というんだけどね。実は学校で虐められてるんじゃないかって妻が言うんだ」


 「は?」


 「それで、妻が優志はいつも平和くんとつるんでると言うもんだからね、気になってね。幼稚園から一緒だとはいえ、性格も違うあの二人の仲がいいとも思えないし。何より、平和くんが学校でも喧嘩っ早くて素行も悪いと聞いていたものだから」


 想像していた話ではなく、少し拍子抜けに思った俺に相沼は相変わらず不気味な笑顔を向けた。


 正直、平和が虐めているなんて考えもしなかった。実際、優志は弟になついていたし、弟も決して無下に扱ったりしていない。喧嘩っ早いのは事実だが、優志と喧嘩したなど聞いたこともなかった。何より、本人も「ダチ」と言っている以上、相沼は検討違いのことを話していると思われる。


 でも、そうは思う一方で、平和の攻撃性が本当は自分の思っている範疇を越えているかもしれないことも否定できなかった。周りが見ているほど平和と優志の仲がいいわけではないかもしれない。平和が力で優志をねじ伏せていてもおかしくはないとも思ってしまう。何故なら彼は、6年間も仮にも父親をしてきた男を殺したのだから。そして、その死に様を見て、無邪気に笑える人間なのだから。


 「俺は、よくわからないですケド……。平和とも、別に仲いい訳じゃないですし。まあ、二人が喧嘩しているところは見たことないですケドね」


 「へぇ? でも素行が悪いのは事実かな?」


 「まあ、そりゃ俺の弟ですしね。先生に口答えするとかは全然フツーにやってるだろうし、上級生とも喧嘩してましたよ。殴り合いの」


 相沼はお茶を飲みながら、俺の目から決して目を反らさなかった。俺は、何だか俺が責められているような感覚になり、俯いた。


 「……ねえ、警察さん。お願いがあるんだけど」


 「何かな?」


 相変わらず目を合わせる勇気はなかったが、それでも俺は膝の上で拳を握り、決意した。


 「平和のこと、逮捕してよ」


 「逮捕?」


 「明星……父さんを殺したのはアイツなんだ。……今までは……言えなかったけど。平和が、父さんを車道に押したから、父さんは轢かれて死んだ」


 平和の楽しそうな顔が脳裏を支配する。それが、単に復讐なのだと知っていても、やっぱり怖い。


 別に、父さんを殺したことを責める気はやっぱりなかった。何度考えても自業自得だと思ったし、平和の「殺されるかも」という気持ちも、心のどこかでは理解していた。


 それでも、どうしても俺は誰かに伝えたくなっていた。多分、この先平和が普通に生活していることが怖かったのだと思う。殺人を犯した人間が街を歩いていることへの純粋な恐怖だった。


 相沼は顎に手を当て、少し考えてから首を横に振る。意外な返答に、俺は首を傾げた。


 「彼は小学生だ。刑事的には裁けない」


 「いや、捕まえてっていうのは、その身柄をってこと」


 「それに、その件は既に事故として処理されている。覆すメリットがない」


 「それはそうかもだけど」


 「それよりも、今は君たちの安全確保が一番だ。平和くんのもね」


 「安全確保って……?」


 「それは平和くん次第でどうとでもなるよ」


 言っている意味は全くわからなかったが、相沼自身は一人で納得したようでそのまま「話してくれてありがとう」と形式的な礼を述べて去っていった。



 程なくして、平和も俺の保護された一時保護所に入所した。


 平和は何故か頬を腫らしていて、本人曰く「ダチと喧嘩した」とのことだった。


 警察に行かなかったことを考えれば、恐らく相沼は平和の罪を見逃したということなのだろう。その対価が何だったのかは俺の知るところではない。


 「刑務所じゃなくてよかったな」


 俺が声を掛けると、平和は目を細めて睨んできた。


 「捕まって欲しかったんじゃねぇのかよ」


 「どうでもいい」


 「あっそ」


 本当はどうでもいい訳なかった。俺は、これからまた殺人犯と一緒に過ごすことになるのだから。


 それでも、もう他の大人に言おうとは思わなかった。頼れるはずの警察に言ってもこれなのだ。他の誰に期待したらいいというのだろうか。


 それに、平和への恐怖と一緒に、彼に対する同情の気持ちもどこかにあった。許してあげたいとすら思ったのは、多分俺も平和も同じ気持ちだったからだ。多くを望んだのではない。明星を殺すことで、母子3人でやり直したかった。普通の家族になりたかった。


 でも、そこまでしても自分たち家族は所謂普通の家族にはなれなかった。結局は母も弟も、俺の考える普通の家族とはかけ離れた存在だった。


 平和が保護されてから数日後、俺たちは住み慣れた帆上町を離れることになった。

 罪を償う機会を与えられなかった弟が、これからどんな人生を歩むのか……。俺にはそのとき少しも想像できなかった。

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