第3話 にんしん

3


義父である明星は、俺が小学6年生になった頃には完全におかしくなった。


 明星は俺らの父親になる前から精神を患っていたが、更に悪化したようだった。きっかけは明白で、明星の姉を名乗る女が接触してきたときから、彼の中の何かが完全に壊れたのだ。彼の家族もまたそういう家族だったのだ。


 以前はどれだけがさつでも、苛々しながらでも、髪をかき毟りながら家事をやっていた彼は、もうそれすら殆どできなくなっていた。家事の大半を平和にやらせていた。平和がご飯を用意するのに、平和のご飯は生ゴミの日もあった。少しでも家事に不備があれば裸で外に立たせて反省させた。


 また、剣道教室でも指導だと言って平和には手加減もせず滅多うちに叩きのめしていた。もちろん、他の子どもが帰った後に。何度も何度も笑いながら平和を叩く。平和の体は痣だらけだった。


 それから、明星は友人だという糠部という男に月に数回平和の体を蹂躙させた。糠部と明星は高校の同級生で今でも剣道関係で繋がっているようだった。俺は平和の掠れた声と大人の笑い声を隣の部屋でぼんやりと聞いていた。


 平和は段々と泣かなくなった。まるで全てを諦めたかのように家ではただの人形のようだった。


 俺も、面倒臭いことは弟に押し付けた。平和は俺にすら反抗せずに黙って家事の全てをこなした。大人の夜の玩具になることにも抵抗せず従順だった。


 それでもなお、平和は外では何一つ変わらずに友達と楽しそうに遊んでは笑っていた。家での彼とあまりにもかけ離れた姿に、正直ゾッとした。平和が何を考えているのかわからなかった。



 俺は中学生に上がってからは彼女の家に泊まったりして家にいることをなるべく避けた。その分、更に父さんや母さんの暴力の的は平和に行ったのだろうが、知ったことではない。俺は俺が大切だった。


 「ただいま」

 

 その日は平和の小学校卒業式だった。母さんはどこかに遊びに行ったきり家には2日戻って来ていなかった。父さんも仕事があるからと、誰一人彼の卒業式には行かなかった。俺の中学校の卒業式も昨日あったが、もちろん誰も来ていない。


 夕方に家に帰ると、平和は珍しく自室ではなくリビングにいた。いつもは帰ってきてすぐに子ども部屋に行く弟は、その日に限ってリビングのソファーに寝そべっていた。


 俺に気付くと、平和は瞑っていた目を薄く開けた。顔には大量の汗が垂れており、白い顔はほんのり赤く染まっている。例のごとく腹を抱えている弟は、やっぱり腹が痛いのだろう。昨夜も明星の友人に弄ばれていたはずだ。


 「また孕んじゃった?」


 「ふざけんな」


 俺が冗談を言うと、平和はギロリと俺を睨んだ。


 「今日、剣道だろ。休むのか? 休んだら父さんに怒られるけど」


 「行く」


 平和は口では強がるが、顔は全然元気そうではない。


 平和の左頬は何故か腫れていた。多分、昨日辺りに明星に殴られたのだろう。反抗しなくても結局は奴の気分で殴られるのだ。俺たち子どもには人権などありはしない。


 「腹の中って、洗えねぇのかな……」


 平和が呟くように言う。俺は見かねて弟の額に手を当てると、弟は反射的に体を固くした。


 やはり、少し熱い気がする。


 「腹の中洗えるわけねぇだろ。てか、腹まで何も入ってないって」


 「入ってくる」


 「んなバカな」


 熱でバカになってるんだろ。


 俺は、仕方なしに弟に氷枕を押し付けた。それから俺らの部屋から毛布を取ってきてテキトーに奴の上に被せる。


 「妊婦さんは体大事にしろよ」


 「……」


 平和は俺の冗談に答えなかった。目を閉じて、じっと痛みに耐えている。


 このとき弟が何を考えているかなんて想像もしていなかった。

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