第9話 敵意と決意

 店内の喧騒の中、男は俺たちに近づき、リアナの前でぴたりと止まった。


「リアナ様。こちらにいらしたのですね」


 彼はリアナにお辞儀をするように頭を下げた。その動作には、どこか計算されたような冷たさが混じっていた。


「ル、ルシアン!どうしてここに……?」


 リアナの声には驚きと戸惑いが入り混じっていた。


「お父上がお探しです。もうすぐハープの稽古の時間とのことで」

「……えっ!も、もうそんな時間なの……?」


 リアナは一瞬落胆したような顔をする。


 ルシアンの視線が、自然と俺の方に流れる。


「……リアナ様、こちらの者は?どこかの屋敷の使用人でしょうか?」


 その目は鋭く、明らかに敵意を帯びていた。俺の身なり、そして大柄な体躯を見て、ルシアンは警戒していた。


「ル、ルシアンっ!使用人だなんて……」


 リアナは慌てて俺を庇うようにして口を開いた。


「こちらはローガン・アースベルト。私の大切な友人ですっ!子どもの頃からよく一緒に遊んでたの。カレンソ村の幼馴染よ」


 その一言で、少し胸が温かくなるのを感じた。

 大切な友人――リアナにそう呼ばれたことが、嬉しかった。


「ローガン、こちらはルシアン・ヴァルデック。普段はお父様の仕事の手伝いをしているの」


 リアナの説明を聞きながら、俺はルシアンと視線を合わせた。

 突き刺さるような敵意が、その目から漏れているのを感じる。


「……これは失礼しました。その、身なりがあまりにも"貧相"でしたので、てっきり使用人の類かと」


 ルシアンは吐き捨てるように言い、俺の服装を一瞥した。


 内心、怒りが湧き上がる。

 だが、リアナの前で余計なトラブルを起こすわけにはいかない。

 深く息を吸い込み、顔には何も出さずに、ゆっくりと答えた。


「……ローガン・アースベルトです。よろしく」


 握手を求める俺の手に、ルシアンは冷たく視線を送ったまま応じない。


「……では、私はこれで。リアナ様、くれぐれも稽古の時間に遅れることがないよう」


 ルシアンはそう言って身を翻すと、静かに店を出ていった。


 その場に残されたリアナは、悲しそうな顔をして呟く。


「ごめんね、ローガン……嫌な思いをさせちゃったよね。あとでルシアンには私から言っておくから」


 リアナは少し肩を落とし、俺に平謝りした。


「……いや、いいさ。俺は気にしてないから」


 表向きそう言ったが、心の奥では穏やかではなかった。

 慣れとは恐ろしいもので、両親が死んでからの村での"扱い"を経て、あれくらいの挑発にはあまり動揺しなくなっていた自分に、少し虚しさを覚えていた。


「あ!そ、そういえば、さっきの武芸大会だけど……」


 リアナが話題を切り替える。


「?」


 俺は首をかしげた。


「ルシアンも出るって言ってたの。彼はエルドリッジでも結構有名な剣術家だから」

「……そうなのか」


 その言葉を聞いて、俺はしばし考えた。


 これは、もしかしたらチャンスなのかもしれない。


 武芸大会で優勝することができれば、王都セリオンに行ける。

 セリオンはこの国で一番大きく豊かな街だ。俺のような貧しい者でも、身を立てる機会を得られる。

 そして、それは、今の鬱屈とした日々から、抜け出せる可能性を秘めている。

 俺は、畑を耕すことしかできないこの状況を変えられるかもしれない。

 そして何より――さっきの傲慢な男、ルシアンを万が一打ち倒すことができれば、胸のつかえも少しは晴れるだろう。


「……俺も出ようかな、リアナ」

「えっ!ほ、ほんと…?」


 突然の俺の言葉に、リアナは驚いているようだった。


「その日ね、本当は学校の授業があるんだけど……ローガンが出るなら、わ、私も見に行こうかな……なんて」


 リアナは、なぜか少し顔を赤らめてボソボソと呟いている。

 彼女はちらちらと上目遣いをしながら俺の顔を見ている。


「ううん。絶対見に行くから!頑張ってね、ローガンっ!」


 リアナの瞳は太陽のように輝いていた。

 その笑顔を見て、俺は心に決めた。

 誰かから期待される、応援されるなんて、いつぶりだろうか。

 絶対に優勝する――俺はどんな手を使ってでも、必ず勝ってみせる。

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