第五章 八月 第二話 再会が連れてくる影
会場に入ると、その令嬢は誰だと、いよいよ質問攻めにあい始めた。
水咲は崇征に言われた通り、左腕に右手を添えて、傍に立っている。
無表情に黙ったまま。
どこのお嬢様かと水咲のことに探りを入れる会話も、崇征は流れるように受け流していた。
崇征は完璧だった。水咲が戦慄を覚えるほどに。
崇征を表すなら、感情を轢き潰すことに成功した人間、こそ正しいだろう。
崇征に比べたら、ここにいる人間は三流、崇征の引き立て役に過ぎなかった。
崇征を亡くす事は三堂家には大きな損失に違いなかった。感情を持たない崇征には最適の居場所だ。
水咲の限界を感じ始めた崇征が、ソファで休んでくるか聞くと、水咲は何の躊躇いもなく崇征から手を離し、まっすぐソファへ向かった。
軽い喪失感と共にその背中を見送ると、待っていたかのように水咲に近寄る男が見えた。
あれは――
その時、遅れてきた客人に会場が騒ついた。
崇征が見ると、現れたのは石峰親子だった。
一瞬で会場中の人間が綾子に釘付けになるけれど、崇征の心は特に踊らない。
崇征が見ても綾子は相変わらずきれいだ。
そしてそれだけの感想だった。
綾子は真直ぐ崇征の元へ進んで来た。
崇征も気安い友人としてくだけた気持ちで挨拶する。
しかし、その長年の友人はとても厳しい指摘をした。
「どうして彼女があんなところにいるの?」
ちゃんとエスコートしなさいよ、とでも言いたげに崇征を睨む。
視線の先には会場の端のソファに座る水咲がいた。
「彼女が俺の横にいたくないんだって」
自虐的にふざける崇征に、綾子は厳しい視線を向けた。
自分でも愚かだと思う。何のために外へ連れ出したのか――
崇征の目には、ただ座っているだけで、水咲は絵になった。西洋人形のように均衡のとれた美しさだと思った。
「ほっとくと危ないよ」
眉根を寄せて綾子は言う。
崇征も綾子が何を言いたいか、分かっていた。水咲に近づいてきた男は、女性問題で色々有名な男だということも知っている。
「あいつが水咲に相手にされるわけないだろ」
その言葉が終わらないうちに、水咲が男に振り返った。
――何か話している。
その様子を凝視し、珍しく狼狽した崇征を見て、綾子は小さく微笑んだ。
綾子や他の誰にも目を向けず、一点を見つめたまま真っ直ぐ歩き出した崇征の背を、綾子は微笑ましそうに見送った。
そして、崇征に話しかけようと近付いてくる夫妻が見えたので、崇征の邪魔にならないよう、綾子の方から夫妻に近付いた。
崇征は走り出したい衝動を抑えながら、なんとか余裕があるような素振りで水咲に近づく。
早歩きさえできない自分が悔しかった。
***
水咲はようやく崇征から離れて一息つけると思ったのに、隣に男が座って、何か雑音を立てて邪魔をする。
——崇征のそばにいた方がマシだったかもしれない。
その時、遅れてきた招待客に会場が騒ついた。
現れたのは、石峰親子だった。
綾子は、水咲ですら思わず見惚れた程、きれいだった。
落ち着いたラベンダー色のドレスとストール。まとめ上げた髪の下には長く連なった粒ダイヤのピアスが光っていた。
一瞬で会場中の人間が綾子に釘付けになったが、綾子はそんなことお構いなしに真直ぐ崇征の元へ進んだ。
優雅に微笑んで崇征と言葉を交わす。
水咲からは会話の内容までは聞き取れなかったが、綾子は崇征と並ぶと本当に絵になった。
今まで崇征にまとわりついていた人間はもう近寄れない、二人はそんな雰囲気を発していた。
水咲は無表情のまま、その様子をじっと見ていた。
水咲の隣で雑音を発していた男が、不意に水咲にも理解出来る言葉を吐いた。
「あの二人、復縁したって本当みたいだね」
水咲は何も答えなかった。水咲には『関係ない』ことだ。
関係ない、と思っているのに、なぜか耳は次の言葉を聞き取ろうとするし、頭も理解しようとする。それを否定しようと、水咲の態度はさらに頑なだった。
それが男を煽ることになったのか、男はむきになって言葉を続けた。
「しかし、三堂崇征もただの男だったわけだ。あれだけ自分に恥をかかせた女と復縁するなんてな。石峰綾子の美貌に目が眩んだってとこかな」
その言葉を聞いて、水咲は思わず隣の男に振り返って、凝視した。男はその視線の強さに圧倒され、怯んだ。
「な、何だよ」
男は怯みながらも、なお虚勢を張ってみせた。
「何を知ってるの?」
男が張った虚勢など、水咲には通用しなかった。
「何を? ああ、三堂崇征と石峰綾子? ただの噂だよ。噂」
男は辛うじて態勢を立て直し、出所の判らない自信を見せつつ話し出した。
「石峰綾子はイギリスで男を作って三堂崇征を捨てたって、三年くらい前に噂が立ったんだよ」
「それは本当なの?」
無表情で感情が読めないが、水咲の全てを見透かすような視線に射抜かれて、男は圧倒されながらも答えた。
「頼むよ、取り調べじゃないんだからさ。だからただの噂だよ」
水咲はそこまで聞くと、その男がこの世から消えてしまったように興味を失い、視線を外した。男は水咲の態度にむっとして、何やらまくしたて始めたが、水咲は黙殺した。
「無視かよ」
そう言って男は立ち上がった。
水咲より優位に立ちたい。その衝動だけは押さえきれず、男は
「聞けよ」
と凄んだ。
それに反応して水咲の感情のない黒目が男の方に動く。
***
崇征が水咲の元に着いたとき、二人は揉めてるようだった。崇征は内心、ナンパ男が水咲に返り討ちにされたと思って溜飲が下がった。
やはり水咲が相手にするはずがない。そう思うと同時に、崇征の中で疑惑の種に火がつく。
この男があの瞬間、どうやって水咲の気を引いたのか?
男に詰め寄りたい感情をなんとか殺して、精一杯余裕たっぷりに言葉を紡ぐ。
「連れが、何かしましたか?」
男は水咲に凄んだ顔のまま視線を上げ、崇征を見るとそのまま固まった。
崇征は内心で勝利に喜び、思わず口角が上がるのを、仮面の笑顔に紛れさせた。
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