第五章 八月

第五章 八月 第一話 交わらぬ青を纏わせ

 気が乗らない招待状が届いた。

 宛名は三堂登喜夫。

 大学に入学以降、こういった招待には登喜夫の名代として崇征が出席するのが通例だった。


 目的は次期当主としての顔つなぎのため。

 登喜夫は気難しい当主を演じ、社交的な崇征を引き立てるという役割を見事に演じていた。


 こんな時、それを全てぶち壊した、という申し訳なさで押しつぶされそうになる。

 登喜夫は今、姉の夫の望月を後継者に育てている。


 こんなの行く意味があるか。

 望月が行けばいいのに、と心底思う。


 母の早苗からは無理に行かなくてもいいと、登喜夫もそう言ってると聞いた。

 それを聞いて、ドロリと重い澱のような感情が湧き上がる。

 なぜ、母を通すのだ。なぜ、自分で伝えない。これからは望月に行かせる、と、なぜ公言しない。


 けれど今更、登喜夫の気持ちがわからないと言うほど、崇征も幼くはない。


 崇征は自室のソファに体を投げ出して招待状を高くかざす。

 シンプルな白地に金箔押しの文字で「政経懇話会」と書いてある。


 それで大体パーティの趣旨もわかる。

 そこまで堅苦しくはない。

 崇征は、水咲を連れて行くならアリだと思った。


 水咲を叩いてしまったあの日から、うまく話せない日々が続いていた。

 翌日はなんとか謝罪して、頬は痛くないか、までは聞けた。

 すると予想通りの言葉が返ってきた。


「大丈夫」


 そうやって一言で崇征は拒絶された。


 水咲は元々無口だから、崇征が話せなくなると、ただひたすら沈黙になる。

 やっと少し歩み寄れた気がしてたのに、崇征自身でそれを引き裂いてしまった……


 けれど後悔しても始まらない。

 水咲はそれでもここにいて、キャンバスに向かってくれている。

 なんとかしたいと、気持ちばかり焦る。

 崇征に切れるカードはもう水明の絵しかないのかも知れない。

 でもあれは、諸刃の剣になる危険がある……



「週末の予定は空いてるかな?」


 招待状が来た日、崇征は離れに行って道化のように聞いた。

 軽蔑を露わに水咲が崇征を冷たく見ただけで何も言わない。


 別にそれでも良かった。


 水咲を連れて行こうと決めた崇征は準備に取り掛かる。

 大手百貨店の渉外に若い女性のドレスを頼んだら、大量の荷物とともにすぐにやってきた。


 衣装部屋となった客間に水咲を押し込み、着せ替え人形のように試着させては、リビングで待つ崇征のところまで見せに来させた。


「背丈もスタイルもよくて、色白でいらっしゃるから、どんなデザインも色も映えますわ」

 渉外の言葉がただのお世辞でないことは、崇征にも伝わった。


 崇征も見ていて楽しかった。


 渉外も着せ替えを楽しんでいるのではないかと疑いたくなるくらい、水咲に色んなドレスを着せた。

 崇征はかつてのデートの買い物時でさえ、これほど心は踊らなかった、水咲の次の姿を待ちながらそう考えた。


 大きく背中の開いた黒いドレス。

 胸元の大きく開いたピンクゴールドのドレス。

 フリルがたくさんついたパステルカラーのドレス。


 担当渉外の選択だけあって、露出が多くても決して下品ではなかったが、崇征はどれも却下した。

 水咲もうんざりした顔をしている。

 そろそろ限界かも知れない。


 今見た中で選ぶしかないのか、崇征が悩み始めた頃、担当渉外がいつもの営業スマイルと違う、やや勝ち誇ったような笑顔で現れた。


 それが崇征の心を波立たせる。


 渉外に促されて水咲が崇征の前に立った時、崇征は息を飲んだ。


 ドレスの水色は、彼女の名にふさわしい澄んだ水面を思わせる。

 生地は光を受けるたび、氷の結晶のように淡く輝き、裾は足首のあたりで静かに広がる。

 余計な装飾を避けた分、かえって水咲自身の静かな気配を際立たせている。

 肩は小さなキャップスリーブで覆われ、胸元も詰められているのに、立ち姿はむしろすらりと大人びて見える。


 その姿は、誰かの目を引かずにはおかない美しさを、同時に備えていた。

 無駄な装飾はなく、ただ色と仕立てだけで気品を際立たせるその姿に、崇征は言葉も出なかった。


 同時に、渉外は最初からこれをなぜ着せなかった、と内心苛立ったが、多分、崇征と同じ気持ちだろう。


 色んな水咲を見ていることが楽しかったんだ。

 実際、この時間は崇征にとって無駄じゃなかった。



 担当の渉外は男性物のフォーマルスーツも持ってきていたが、崇征は断った。


「少しお痩せになられたようなので、やはりお体に合った物がいいかと……」


 その言葉が崇征の痛いところに刺さる。

 やはり、見る人が見ればわかるのか。

 けれど、そんなことを微塵も感じさせない笑顔で崇征は渉外をかわした。


 ***


 パーティ当日は抵抗する水咲をなんとか宥めて、車に乗せる。

 メイクまで済ませた水咲は、いよいよ生まれながらの深層の令嬢といった様相になった。


 それを見て、急に崇征はパーティで水咲を衆人の目に晒すことに不安を覚えた。


 車の中、せっかく二人きりで話すチャンスだったのに、そんな余計なことを考えて、ろくに会話もできないまま、会場に着いてしまった。


 車のドアを開けて崇征が水咲に手を差し伸べると、水咲が眉根を寄せて崇征を見上げた。


「ここに手を乗せて」


 崇征は水咲の手をそっと取ると、続けた。


「両足を揃えて、外に出してから、立ち上がって」


 見た目はお嬢様だけれども、そういう作法は知らない水咲がまた、崇征には可愛く思えた。


「ゆっくり、ね」


 ふわり、とドレスが揺れて水咲が車から現れると、居合わせた参加者からの視線が集まる。


『三堂崇征』が連れている誰も知らない令嬢は、一瞬で噂の的になった。


 崇征の不安がまた膨れ上がる。

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