第10話 王国に「領収書」がない!

「先程は失礼しました。そのせいで、会議の開始が遅くなってしまい申し訳ありません」


 私が謝罪して頭を下げると、ウェルズリー伯が慌てて口を開いた。


「女王陛下。我々は陛下の臣下なのですから、そのようなことを気にする必要はありません」


 私は顔を上げると、ウェルズリー伯を見て苦笑する。


「ウェルズリー伯の言いたいことは分かっています。しかし、今回はどう考えても私に原因があります。必要な時に謝ることができないようでは、女王失格だと思いませんか?」


 私の言葉に、ウェルズリー伯は目を少し見開いて驚くと、丁寧に頭を下げた。


「差し出がましいことを申し上げたようです。女王陛下のおっしゃる通りでございます」


 私は軽くうなずくと、ウェルズリー伯に顔を上げるように伝え、ギルバートに視線を向けた。


「…………」


 私は再び、一瞬で頭が真っ白になる。


 ──どうしよう。私、やっぱり全然ダメだ……。


 先程まで平気だったはずなのに、言葉が出ない。頬がどんどん熱くなっていく。


 私がギルバートの前でモジモジしていると、私の後方に控えていたエリーが前に進み出て、執務室に併設された国王専用の会議室の入口を手で指し示した。


「ウェルズリー伯爵様、ギルバート様。あちらが会議室になります。今からお茶をご用意いたしますので、先に移動してお待ちいただけますか? 女王陛下は準備ができ次第、会議室に移動されます」


 ウェルズリー伯は「あぁ、分かった」とうなずくと、私の様子に気付くことなく、ギルバートと共に会議室に向かった。


 私はエリーに駆け寄ると、飛び付くようにギュッとその身体を抱き締めた。


「エリー、ありがとう! 本当に助かった!」


 エリーは苦笑しながら、抱き付く私の腕に軽く手を添える。


「シルヴィア様、苦しいです」


「色々とエリーに話を聞いてもらったけど、私はやっぱりダメかもしれない……。こんなバカなことで、本当に情けなく思う」


 私がエリーを解放すると、エリーは私を見て優しく微笑ほほえんだ。


「シルヴィア様ならきっと大丈夫です。先程いくらかの気持ちを吐き出したのですから、会議が始まれば、シルヴィア様はいつもの堂々としたシルヴィア様に戻っていくと思います」


 エリーは懸命に私を励ましてくれるが、私の心の片隅かたすみに残る不安はぬぐえない。正直なところ、ギルバート達と普通に会議を実施できる自信が無かった。


 私が「そうかな……」と言いつつ、元気なく視線を落とすと、エリーは笑みを浮かべて私の手を強く握った。


「有効かどうか分かりませんが、私に案があります。ご不安であれば、ちょっと試してみますか?」


 私がその言葉にうなずくと、エリーは私にその案の説明を始めた。


    ◇ ◇ ◇


「それでは、そろそろ本題に入りましょう」


 私はウェルズリー伯・ギルバートと軽く世間話せけんばなしをした後、目の前に並んで座る二人の前に、昨年の王国の財政資料と国王向けの資料を差し出した。


「まず確認です。これらの資料は、財務省が作成したものですか?」


 私は順に、ウェルズリー伯とギルバートに視線を向けた。


 ──エリーの案、結構単純だけど効果あるかも……。


 ギルバートに視線を向けても、私の心臓の鼓動が大きく跳ねることはない。心は少しざわつくが、先程に比べれば、ずっと穏やかなままだ。


 エリーの案はこうだ。


『私自身の経験上、シルヴィア様がギルバート様の前で緊張してしまう状態は、そんなに長く続くものではないと思います。シルヴィア様は、時間がてば、必ず今の状況に慣れてきます。慣れるまでの間、私を定期的に見てください』


 私は最初、エリーの案では緊張状態が解けないと思っていたが、彼女を見るたび、その可愛らしい笑顔に心がなごんだ。エリーは「気をらす」という意味で定期的に自分を見ることを提案したのだと思うが、エリーのぎこちない作り笑顔がとても可愛い。


 ──エリーって本当にいい子。容姿も悪くないし、私が男だったら絶対にれてると思う。


 ギルバートが資料に視線を落としたのに合わせて、私はエリーに笑みを返す。すると、エリーが頬を赤くして、慌てて目をらした。彼女自身が提案した方法だが、本人にとっては恥ずかしい方法だったようだ。


 ギルバートは手を伸ばして資料を数枚めくると、視線を上げて、私の問い掛けに答えた。


「……驚きました。女王陛下は、この財政資料を読めるのですか?」


 私はコクリとうなずいた。


「大体の部分は読めます。いくつか分からない用語や表現はありますが、おおよその意味は理解しているつもりです」


 園田詩織の知識は企業に特化したものだが、この世界の王国の財政資料に難解さは全く無く、ほとんどの内容を理解することができた。過去世と前世・現世が共に、物々交換ではなく、貨幣経済中心だったことも幸いした。


 ギルバートだけではなく、隣に座るウェルズリー伯も、私が財政資料を読めることに感心していた。


 私は軽く咳払いをすると、ギルバートに再度問い掛けた。


「それで、これらの資料は財務省が作成したものなのでしょうか?」


 すると、ギルバートは慌てて口を開く。


「女王陛下のご質問に答えておらず、大変失礼しました。ご指摘の通り、これらの資料は私達の部署で作成したものです。ただ、念のため、資料の細かい部分を確認させて頂いてもよろしいですか?」


 私がそれを了承すると、ギルバートは資料を手元に引き寄せて、再び最初からパラパラとめくり始めた。私はその間、二人の背後に立つエリーに視線を送る。エリーはその度に、顔を赤らめて可愛い笑顔を見せた。


 私がエリーを見て顔をほころばせていると、ギルバートが資料から視線を上げる。


「女王陛下。これらの資料は、間違いなく財務省で作成したものです。私の上司の署名があるのも確認しました。……この資料に、何か不備がございましたでしょうか?」


 私は視線をエリーから彼に戻した。


「いいえ、そういう訳ではありません。先程も言いましたが、私は王国の財務を見るのが初めてのため、いくつか分からないところがあるのです。今日は、その部分を教えてください」


 私は資料をめくっていき、王国特有の用語や表現など、園田詩織の知識では読み解けなかった部分を順にギルバートに質問していく。そんな私の質問に、彼は丁寧に分かりやすく答えていった。


 ──やはり革命軍の盟主になるウェルズリー伯の息子だけあって、ギルバートは若いのにすごく優秀。前世で交流のあった上級貴族やその息子達とは雲泥の差ね……。


 私は用語や表現レベルの疑問点を一通り解消すると、一番聞きたかった部分の質問に入った。


 私は資料を最初からめくり直すと、あるページで手を止める。


「もし知っていれば教えて欲しいのですが、この貸借対照表らしきものの資産と負債には大きな差があります。具体的には借方かりかたが少なくて貸方かしかたが多く、左右で数字が一致すべきところが一致していません。財政資料にはその差額を説明するページがないのですが、ギルバートは差額の詳細が分かりますか?」


 すると、ギルバートは呆気あっけに取られたような表情を浮かべる。そして、困った表情で私を見ながら、口を開いた。


「……不勉強のため、申し訳ございません。『借方かりかた』と『貸方かしかた』というのは何でございましょうか?」


 ──え?


 ギルバートの質問に、今度は私が言葉に詰まっていると、ギルバートは話を続けた。


「左側の資産に関しては、私達財務省の役人が、実際の現金と資産を確認した数字です。一方、右側の負債は、各官庁や商人からの書状の数字を合計しただけものです。ですから、そこに差が出るのは当然です」


 私はギルバートの説明が全く理解できなかった。


 貸借対照表は、大雑把に言えば、取引の原因と結果を勘定科目と共に記録するものだ。この世界では現物主義のようだが、基本的な考え方からすると、貸借対照表の借方かりかた貸方かしかたを別々に計算するのはおかしい。取引単位で管理していないということだ。


 私は目を少し見開いたまま、ギルバートに再確認する。


「……今、ギルバートは、『この差額は王国では普通のこと』だと言いましたか?」


「はい。その通りです」


 その答えに、私は絶句した。それまで恋愛感情で浮き沈みしていた私の心が一気に動かなくなる。そして、今度は顔が青くなっていくのが分かった。


「ちょっと待ってください。貸借対照表を左右別々に算出しているのを置いておくとしても、この差額を財務省は毎年放置しているのですか? 前年からの繰り越しは? 前年の負債は? 数件の事業予算に匹敵する金額ですよ? これでは国の健全性が分かりません」


 私がそう言うと、ギルバートは困った笑みを浮かべた。


「私は財務省に入ってから長くありませんが、財務尚書閣下がおっしゃるには、これは昔からのことで、国王陛下の承認を得ているそうです。その差額が国家運営に影響を与えることはないとのことでした」


 私は過去世のような緻密な財務資料を期待してはいないが、それでもこのいい加減さはひどすぎる。そして、財務尚書の呑気のんきな説明とは異なり、六年後、この赤字の積み重ねが国を滅亡させてしまうのだ。


 私は思わずこめかみを押さえながら、眉間みけんしわを寄せた。疑問点はまだ他にもある。私は、まずそれらを確認することにした。


 私はページをめくって業務費用計算書を指差した。業務費用計算書は、企業でいう損益計算書の費用に相当する部分だ。


「では、次の質問です。この『領地整備等調整金』という項目は何でしょうか? 金額が最も大きく、王国の財政を圧迫しているように見えます」


 ギルバートは資料の項目に視線を向けつつ、私の質問に答えた。


「『領地整備等調整金』は、各貴族領に対する王国からの補助金です。領地の大小によって租税収入が異なりますので、それを是正するためのものです」


 すると、隣に座るウェルズリー伯が口を開いた。


「なんだそれは? 私は聞いたことが無いぞ」


 ギルバートは驚いた表情で、隣のウェルズリー伯を見た。


「父上。そんなはずはありません。私が知る限り、財務省からは毎年補助金を出しています。領地の行政府が、現物や現金で受け取っているはずです」


 ギルバートは資料をパラパラとめくる。そして、「領地別交付金明細書」のページを開いた。


「こちらです。ウェルズリー伯爵領には、他の補助金や現物と合わせて、二十億リセラ相当が交付されています」


 その言葉に、ウェルズリー伯が目を丸くして驚いた。


「二十億リセラだと!? そんなはずはない。そんな金があったら、我が領地はもっと裕福なはずだ」


「……おかしいですね。まぁ、私も、交付金が手渡されているところを直接見ているわけではないので、何とも言えませんが……」


 ギルバートはウェルズリー伯の言葉を受けて考え込む。私はその会話に割り込んだ。


「ギルバート。財務省は各領地に交付金を渡す際に、領主から『領収書』を受け取っていないのですか? それを見れば、金銭や物品の授受があったことが分かるでしょう?」


 私の問いに、ギルバートは首をかしげた。


「……申し訳ございません。『リョウシュウショ』とは何でございましょうか?」


 その言葉で、私は過去世の園田詩織の知識で話していることに気付いた。加えて、「領収書」が王国に存在していない事実に衝撃を受ける。


 私は驚きのあまり、すぐに声を出せず、しばらく間を置いてからギルバートに再度質問をした。


「では、言い換えます。財務省はどうやって、各領地が交付金を受け取ったことを証明するのですか?」


 すると、ギルバートは何でもないことのように、交付金の配布方法を答えた。


「財務省が交付金輸送の命令書を発行した時点で、各領地が交付金を受け取ったという扱いになります。命令書に従うのは役人の義務ですから、命令が執行されないことを想定していません」


 その説明を聞いて、私は絶句した。


 ──そんなの、絶対に途中でネコババされるに決まってる……。王国の財政資料は領地には公開されないし、命令書と実際の配布額に差異があっても分からない。それに、ウェルズリー伯の話だと、そもそも各領地に向けて輸送されていない可能性も……。


 私は両手で頭を抱えた。


 この国の財政管理は根本的に間違っている。しかし、園田詩織の過去世と違って、取引をデータで厳密に管理する仕組みがないため、こういう状況になるのは仕方がないのかもしれない。


 私が今後どう変革していくかを考えていると、財政資料にある「資産」が本当に存在するのか、急に大きな不安に駆られた。


「……ギルバート。ちなみに、王国の金銭はどうやって管理されているのか、知っていますか?」


 ギルバートは少し考えた後、私の質問に答えた。


「新人研修の時に、王宮の宝物庫を見学しました。その一部に金庫があり、金貨と銀貨が厳重に保管されているのを見た気がします。国王直轄の近衛兵団が金庫を管理していたと思います」


「そうですか。分かりました。明日、私はその金庫を視察しに行きます」


 私がそう言うと、ウェルズリー伯とギルバートの二人が目を丸くした。


「女王陛下が自ら金庫を視察にいかれるのですか!? しかも、明日ですか!?」


 私は二人の様子に首を傾げて答えた。


「そんなに驚くことですか? 自分の家の金庫を見に行くのは普通でしょう? ギルバート、財務尚書は今不在でしょうから、その代理の名前を教えてくれますか?」


 私はギルバートから財務尚書代理の名を聞くと、エリーに白紙とペンを持ってくるように依頼する。


 私がウェルズリー伯とギルバートの目の前でサラサラと命令書を書いていると、二人は感嘆の溜息を漏らす。エリーと同様に、箱入りお嬢様だと思っていた女王が綺麗に書面を作成しているのを見て驚いているに違いない。


 私は女王の署名を書き終えると、片手で命令書をギルバートに差し出した。


「ギルバート。申し訳ありませんが、この命令書をあなたの上司に渡していただけますか?」


 ギルバートは、椅子に座った状態で敬礼して頭を下げる。


「承知いたしました」


 ギルバートは、私が持つ命令書を丁寧に受け取ろうと、その左右に両手を近付けた。すると、即席の命令書の紙がそれほど大きくなかったため、彼が伸ばした指先が私の手に触れた。


 ──やばい……。


 私の頬が一気に朱色に染まっていく。


 私が泣きそうな顔でエリーに視線を送ると、彼女は全てを察したように、慌ててテーブルに駆け寄ってきた。そして、私の椅子の背もたれに手を掛ける。


「女王陛下、失礼いたします。そろそろ会議を終えませんと、次のご予定に間に合わなくなってしまいます。いかがなさいますか?」


 正直なところ、侍女が女王の会議に口を挟むのはありえない。しかし、私はエリーの気転に感謝し、慌てて答えた。


「あっ! そういえば、そうでしたね! 今日はこの辺で終わりにいたしましょう!」


 私はエリーが椅子を引くのに合わせて立ち上がる。それを見たウェルズリー伯達も、慌てて立ち上がった。


 ──挨拶をしないと……。


 しかし、挨拶をしなくてはいけないのに声が出ない。私が口をパクパクさせていると、椅子を引いていたエリーが小さな声で「シルヴィア様。申し訳ありません」と言うのが聞こえた。


「いたっ!!」


 エリーは、ウェルズリー伯達から見えないように、思いっきり私のお尻をつねった。


 私があまりの痛みに、お尻を押さえて涙目のままエリーを振り返ると、エリーがウェルズリー伯達に聞こえるように私に優しく話し掛ける。


「女王陛下。まだ足のお怪我の調子が良くないのではございませんか? 私が陛下の代わりに、お二人を部屋の出口までご案内してもよろしいですか?」


 エリーの話を聞いていたウェルズリー伯は、「それはいけない。私達は自分で退出いたしますから、どうか女王陛下はお休みください」と言い、敬礼をした後、エリーの案内で部屋を出て行った。


 ──エリーのお陰で助かった……。お尻はかなり痛いけど……。


 しばらくして、エリーが会議室に戻ってきた。そして、すぐに床に頭を当てて土下座する。


「シルヴィア様! 申し訳ございません! 少し力をいれすぎました!」


 私はお尻を押さえながら、土下座するエリーに近付いた。


「エリー、土下座はもういいから立って」


 私の不機嫌な言い方に、エリーは顔を青くしてその場に立ち上がる。そして、怯えた様子で私を見た。私もエリーの目をじっと見る。


「……私のこと、誰だと思ってるの?」


 私がそう問うと、エリーは唇を引き結んで、とても残念そうにうつむいた。


 もしかすると、昨日今日、私が親しみやすい雰囲気だったのは王族の気まぐれで、先程の出来事をきっかけに、私が以前の気難しい性格に戻ったと思ったのかもしれない。


 私はうつむいたままのエリーに歩み寄る。


「エリー」


「はい……」


「…………」


「…………」


「私はね、エリーのことが大好きな女王様なんだよ!」


 私はそう言うと、ガバっとエリーの身体を抱き締めた。


「シッ……シルヴィア様!?」


「あははっ。エリー、だまされた~! 私はエリーに感謝しかないんだから、責めるわけないよ。でも、今回はお尻を強めにつねられて痛かったから、ちょっと意地悪しちゃった。ごめんね」


 私がエリーを抱き締めながら笑うと、エリーは一恥ずかしそうに顔を赤くした。そして、とても安堵した表情を浮かべると、少し涙目になって微笑ほほえんだ。


 私はエリーから離れると、その両手をギュッと掴んだ。


「さぁ、エリー。お茶の準備をしてくれる? 女王様はお尻が痛いので、とびきり美味しいお菓子を所望しょもうします。そして、エリーへの罰として、私と一緒に楽しくお茶をしてもらいます。いい?」


 エリーは満面の笑みで答える。


「はい! 今すぐご用意いたします!」


 私はそんなエリーの可愛らしい様子を見て、思わず再度抱き締めてしまった。

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