第9話 理性と感情の狭間で

 ──これはかなり想定外なんだけど……。


 私の目の前に、スカイブルートパーズ色のひとみをした銀髪の男性が立っている。私とほぼ同年齢と思われるその男性は、片手を胸に当て、頭を軽く下げて丁寧に敬礼した。


「女王陛下、お初にお目にかかります。ギルバート・ウェルズリーでございます」


 ──声が凄く綺麗……。男性でも、こんなに素敵な声音が出るんだ……。


 私は熱くなっていくほおを隠すように、思わずうつむいた。挨拶を返さなければならないのに、高まる気持ちに喉を圧迫されて声を出すことができない。


 私は上目遣うわめづかいで彼をチラッと見るが、すぐに視線をはずした。


 ──格好いい……。この人がウェルズリー伯の息子だなんて……。


 私の心臓の鼓動が速くなる。私が再びギルバートに目を向けると、彼は優しい笑みを浮かべた。


 ──はぁぁ……。前世も含めて、こんな理想的な人に出会ったことない……。


 私は再び、ギルバートから視線をはずしてうつむいた。


 ──でも、今まで貴族に対してこんな気持ちになったことないのに……。急にどうして……。


 そう考えた瞬間、私の脳裏に「園田詩織」の記憶が蘇った。


 園田詩織は「インターネット」と呼ばれる情報通信基盤を使って、夜な夜なアイドルグループやゲーム、アニメの推しキャラの動画をチェックしていたようだ。記憶の中の彼女は、小声だが一人でキャーキャーと騒いでいる。


 園田詩織は、とても面食いイケメン大好きだった。


 私はうつむいて唇を震わせ、こぶしをギュッと握りしめた。


 ──園田詩織。あなた、同僚の前では真面目な顔してたくせに、こういう趣味だったのね……。どこが「氷の女」なのよ……。


 私は心の中で過去世の自分を非難するが、ギルバートに射抜かれた私のハートしずまることはない。


 私は高鳴る心臓の鼓動をなんとか抑えようと、ギュッと目を閉じて前方の視界を遮断してみるが、それも無駄だった。仕方なく、両手を握りしめて、それを胸に押し当てる。


 ──うぅ……。この気持ちを落ち着かせるためにはどうしたらいいの……。湧き上がってくる感情の暴走が止まらない……。


 私が挨拶も返さずに、目を閉じたまま真っ赤な顔で口を引き結んでいると、ウェルズリー伯が口を開いた。


「……女王陛下。もしかして体調が優れないのですか? もしそうでしたら、今日の会議は延期いたしますが……。ギルバート、問題ないだろう?」


 ギルバートはコクリとうなずく。


「はい、父上。私は王宮近くの庁舎におりますし、会議は後日でも問題ありません。なにより、女王陛下のお身体の方が心配です」


 その言葉に、私はハッとして顔を上げた。


「私は元気です! 延期は不要です! 私には時間がないので、今日必ずギルバートから話を聞きます! ……でも、少しだけ私に時間を下さい!!」


 私は真っ赤な顔のまま、壁際に控えるエリーに、にらむような鋭い視線を向けた。その瞬間、エリーが凍り付いたように固まった。


「エリー!! お二人を別室にお連れして休んで頂いて!!」


「はっ……はいっ!! かしこまりました!!」


 私の強い口調を受けて、エリーは慌てて二人のもとに駆け寄ると、二人をかすようにして部屋を出て行った。


 私は腕を組んで、片手をあごに当てながら、落ち着きなく執務室のソファの周りをぐるぐると歩き回る。


 ──落ち着け、私。こんな状況じゃ、ギルバートと話すらできない……。


 私が自分の感情を抑えることができないまま、ずっとソファの周りを歩き回っていると、二人の案内を終えたエリーが戻ってきた。私は早足でエリーのもとに移動する。


「女王陛下。ただ今戻り……きゃぁっ!!」


 私は部屋に入ってきたばかりのエリーの手を引くと、勢いよく扉を閉める。そして、扉に鍵を掛けて、エリーを強引にソファまで引っ張っていった。


「ちょ……ちょっと待ってください!! 腕が痛いです!!」


 私はソファの前にエリーを連れて行き、両肩をグイッと押す。


「きゃっ!」


 エリーは悲鳴を上げながら、ソファに尻もちをつくように座り込んだ。そして、崩れた姿勢を正すと、おびえながら口を開いた。


「……私、何か女王陛下のお気にさわることをいたしましたでしょうか?」


 私はエリーの隣に並ぶように座ると、無言で首を左右に振った。


「あの……、それでは、やはりご気分が優れないのでしょうか?」


 エリーが心配そうに私に視線を向けるが、うつむいた私の髪の毛が枝垂しだれのように垂れて横顔を隠しているため、エリーから私の表情は見えない。


「すぐに医者を呼んでまいります」


 エリーはそう言って立ち上がろうとする。私はすかさずエリーの手をギュッとつかむと、視線を下方に向けたまま、エリーに話し掛けた。


「ねぇ、エリー……」


「はっ……はい!」


「……エリーは恋をしたことってある?」


「えっ? 恋ですか? どうして急に……」


「いいから、教えて」


 エリーは怪訝けげんな表情を浮かべつつも、ソファに座り直しながら、恥ずかし気に口を開いた。


「私は人生経験の浅い未熟者ですが、一度、大きな恋をしたことがあります。でも、もちろん片思いです。職業柄、侍女には男性とお付き合いしている時間はありません。ですから、私の恋が実ることはありませんでした」


 エリーは話を終えると、横に座る私を見た。


「……以上ですが、女王陛下のご質問への回答になっていますでしょうか?」


 答えの妥当性を問うエリーに対し、私は唇を震わせながら真っ赤な顔を向ける。


「ギッ……ギルバートのこと、どう思う? 経験のあるエリーの正直な意見を聞きたい!」


 エリーは目を丸くして驚くと、「あ~、なるほど。そういうことですか」と言って、ニコッと嬉しそうな表情を浮かべた。


「貴族の皆様は容姿が整っていらっしゃるので、私はギルバート様を特別には思いません。むしろ女王陛下の周りは、ギルバード様のような容姿端麗な方々ばかりです。ですが、先程の雰囲気を拝見する限り、ギルバート様は女性受けするタイプだと思います」


 私は隣のエリーの両肩を持って、ゆっさゆっさと揺らした。


「やっぱりそうよね! 私の感覚、間違ってないよね! 格好いいよね!」


「じょ……女王陛下、落ち着いて下さい!」


「でも、この気持ちを誰かと共有したくて! 私にはエリーしかいないし!」


 エリーは興奮した私を必死に止めて、軽く息を吐いた後、恐る恐るといった様子で口を開いた。


「……つまり、女王陛下は、ギルバート様をお好きなのですか?」


 私はエリーの両肩を持ったまま、一瞬だけ固まる。そして、エリーの肩から手を離すと、すぐに視線を外してうつむいた。


「分からない……。今日会ったばかりだから、『好き』とはちょっと違う気がする。……もしかするとあこがれなのかな? でも、こんなに胸がドキドキするのは初めてだから、憧れでもないような……」


 私がつぶやくように答えると、エリーはニコニコとしながら、私に温かい視線を送ってきた。


「女王陛下。それを『恋』と言うんですよ。初めての恋でしたら、初恋ですね」


 エリーの言葉に、私は思わず両手を握って、少女のように顔を真っ赤にした。


「……そっ、そうなの?」


「経験者の私が言うんですから、間違いないです」


 私は過去世でも前世でも恋愛をしたことがない。敢えて言えば、園田詩織には美少年をでる趣味があったが、恋愛対象は画面の向こう側だ。リアルな恋は今回が初めてである。


 私は正面を向いてソファに座り直すと、改めて深くうつむいた。


「……でも、私は女王だから自由に恋愛をする訳にはいかない。恋を叶えることができないのに、この気持ちに踊らされてちゃダメよね……。どうやったら抑えられるのかな……」


 私が気持ちを葛藤させる中で、自然とこぼれる涙を服のそでぬぐうと、エリーが慌ててハンカチを差し出した。


「女王陛下。恋が叶わないと諦めるのは早いと思います。女王陛下はまだ独身ですし、希望はあります」


 私は21歳の王族であるにも関わらず、婚約者のいない独身だった。


 通常、貴族は十代前半で婚約者をあてがわれる。しかし、私は前国王の唯一の嫡女であったため、上級貴族の間で、私の婚約相手を調整できなかった。


 簡単に言えば、王位継承権第一位の私を取り込みたい上級貴族達が、未だに政争の最中さなかにあるということだ。


 もし私に弟が生まれていれば、私はその弟に王位継承権を譲って、他国か上級貴族の誰かと結婚していただろう。しかし、国王夫妻は男児にも第二子にも恵まれず、そのまま事故で他界してしまった。そのため、私には未だに婚約者がいない。


 私は涙目のまま、エリーを見つめて微笑ほほえんだ。


「エリー、励ましてくれてありがとう……。でも、現実には、ギルバートは王配おうはいになりたいとは思わないだろうし、そもそも上級貴族が、私と中級貴族の婚約を許すわけがない。私には婚約者の選択権は無いから……」


 私の話を聞いて、エリーは寂し気にうつむいた。


「女王陛下というお立場も大変なんですね……」


 私は両膝りょうひざひじをついて前屈まえかがみになると、顔を手で覆って、大きく溜息をいた。


「ホントにバカみたい。こんな何の役にも立たない恋愛感情なんか、私には不要なのに……。凄く自分に腹が立つ。……だけど、このままだとギルバートと普通に会話ができそうにないし、今日の会議はあきらめようかな……」


 すると、エリーは、隣に座る私の背中をなぐさめるように撫でる。そして、優しい声で私に話し掛けた。


「女王陛下。私は、誰かが誰かを好きになることは決して悪いことではないと思います。それに、無礼を承知で申し上げますが、私のような平民の感覚では、女王陛下はもう少しその気持ちを大切にしても良いと思います。陛下は、ご自分の気持ちを押し殺しすぎです」


 私はエリーに背中を優しくでられつつ、寂し気にエリーに答えた。


「でも、私はこの国の女王だから責任が……」


 エリーは私の言葉を聞いて、とても残念そうな様子で、私の背中を撫でる手を止めた。


 私達の間に沈黙が流れる。


 私は自分の気持ちを落ち着かせるのを諦めると、ギルバートとの会議を延期することを決めた。


「エリー。私、今日の会議を延期しようと……」


 私がそう言い掛けた時、エリーが片手で私を身体をグイッと引き寄せてきた。そして、恋人がするように、自分の頭を私の方に少しだけかしげる。


「エッ……エリー?」


「……不愉快でしたら、私を突き放して罰していただいて構いません。でも、私は女王陛下のお役に立ちたいです。もし許して頂けるのなら、このまま私の話をお聞きください」


 私は至近のエリーにわずかに視線を向ける。エリーは前を向いたまま、私に視線を合わせずに話を続けた。


「先程、『職業柄、侍女には男性とお付き合いしている時間はありません』と申し上げたのは婉曲えんきょくな表現です。実際の状況は少々異なります。……少し長くて、大袈裟な内容にお感じになるかもしれませんが、私自身の話をいたします」


 そう言うと、エリーは視線を下げ、寂し気な表情を浮かべた。


「実は、私達侍女のほとんどは、出自が貧民です。……私は十歳の時、お金に困っていた母によって、当時募集があった『王宮奴隷』として売られました。私の値段は、標準的な豚三頭分、たったの十万リセラだったそうです」


 私はそれを聞いて、目を大きく見開いた。王族の私は、前世も含めて、侍女がそんな境遇であることを全く知らなかった。


「私の母は娼婦でした。私の父が誰なのかは不明です。私は幼いながらも、娼婦が何であるかに薄々気付いていましたが、私も将来は母と同じ娼婦になることを受け入れるつもりでした」


 エリーは前を向いたまま、少しだけ視線を上げた。


「ですが、ある日突然、私が『王宮奴隷』になったことを母から告げられました。もしかすると、私が王宮奴隷として売られたのは、母のせめてもの愛情だったのかもしれません。王宮奴隷は高度な教育を受けられますし、食事にも困りませんから」


 エリーは、太腿ふとももの上に置いた左手を開いたまま少しだけ上げると、薬指にはめた指輪を私に見せた。


「……空腹に耐える日々から解放されると同時に、私は自由を奪われました。この指輪は奴隷の証です。奴隷の私には、もう自分の人生はありません。奴隷は将来の夢を持てず、恋愛や結婚も許されません」


 エリーは視線を下げたまま、悔し気にまゆを寄せた。


「そのため、私達侍女の恋は叶わないのです。たとえ叶うとしても、想いを寄せる人の夜伽よとぎの相手をするだけです。……ですが、それも一瞬の幸せで、子をはらめば処分されます。奴隷が、人の子を産むことは許されません」


 エリーは頭を元の位置に戻すと、横に座る私を困った表情で見た。


「でも、それが分かっていても、主人や貴族の方を相手に、侍女は恋に落ちてしまうことがしばしばあるんです。破滅してもいいって思うそうです。……人間って、本当にバカですよね……」


 そう言いながら自嘲するエリーの表情は、きっと先程の、恋愛を馬鹿にした私の表情と同じだったに違いない。


 エリーは再び前を向いてうつむいた。


「そんな欲望を抑圧されている侍女達には、仲間同士で助け合う仕組みが存在します」


 エリーは少し間を置いてから、私に顔を向けると、話を続けた。


「少々強引に思われるかもしれませんが、過ちを犯しそうになっている侍女を休憩室に連れて行き、数人の仲間で気持ちを全て吐き出させます。怒りもねたみも悲しみも全部です。お相手の女性貴族が分かれば、その悪口をたくさん言います」


 すると、エリーは眉尻を下げて、苦笑いした。


「……実は私も、先輩侍女に休憩室に連れて行かれて、気持ちを吐き出したことがあります。最初は先輩達の干渉が本当に迷惑だったんですけど、実際に気持ちを吐き出してみると、高ぶっていた気持ちが徐々に落ち着いていきました。……その時の私は、一線を越えて破滅する直前でしたが、なんとか足を踏み外さずに済みました」


 エリーは私をじっと見つめると、何度か唇を震わせながら、意を決した表情で口を開いた。


「前置きが長くなりましたが、私が言いたいのは、『女王陛下は奴隷である私と同じだ』ということです」


「エリー……」


「私には、女王陛下が昔の私に見えます。『恋愛感情なんて』とおっしゃいますが、恋愛は本能です。本能を抑制したら、陛下の心はいずれ壊れてしまいます。……私が同じように心が壊れそうになったから分かるんです」


 エリーは私の両手を持つ。


「もし女王陛下が、恋する気持ちを本気で諦めたいとお考えの場合は、思ったこと、感じたこと、我慢していることを、全て私に話して下さいませんか? もちろん、悲しい気持ちや、怒りでも構いません。……私は自分が苦しかったので、女王陛下のお気持ちを少しでも軽くして差し上げたいです」


 エリーの優しさに、今度は別の意味で涙が出てきた。前世で誰からももらえなかった思いやりを、エリーからもらった気がした。


「ごめんね、エリー。情けない女王で……」


「女王陛下。謝らなくても大丈夫です。私は女王陛下のために存在する専属侍女です。それに、昨夜、ウェルズリー様から『安易に格下に謝罪してはいけない』と言われたばかりですよ?」


 エリーが笑顔で言う冗談に、私は思わず吹き出すように笑った。


「エリー、ありがとう。私にはエリーがいるんだって思ったら、なんだか気持ちが徐々に落ち着いてきた」


 私は両手を上げて伸びをする。そして、その腕をストンと落とした。


「……自分の気持ちのままに話して、泣いたり笑ったりするのって、本当に効果がありそうね。エリーは強くて凄いなぁ」


 私がそう言うと、エリーは嬉しそうに頬を赤らめて、私の身体を引き寄せた。そして、不格好な姿勢で私に抱き付く。


「こうして、身体をギュッとするのも効果があるんですよ。ストレスの三分の一が軽減されると聞きました。人の感情って本当に不思議ですよね」


 私は抱き付くエリーの頭に、今度は自分の頭をこつんと当てた。


「本当に不思議。凄く落ち着くね」


 私は抱き付くエリーの頭を優しく撫でる。


「やっぱりエリーとは仲良くなれそうな気がする。これから二人でいる時は、『女王陛下』じゃなくて、『シルヴィア』って呼んでくれないかな? ……私には名前で呼んでくれる友達がいないから」


 すると、エリーが私の身体を抱き締める力が少し強くなった。


「はい、シルヴィア様」


 しばらくして、エリーは私の身体を放すと、至近距離の私の瞳を見て微笑ほほえんだ。


「私も心が落ち着きました。シルヴィア様と抱き合えるなんて、私は王国一の幸せ者です。……残念ながら、こんな話が皆に知れたら私は罰を受けそうなので、誰にも自慢できませんけれども」


 エリーは苦笑いしながら、私を見る。


 エリーを専属侍女にしてからまだ二日足らずだが、昔から知る侍女のように、私達は心を通わせることができるようになった気がした。

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