第13話 羊の夢 6
いよいよベンチに入り、ウォーミングアップを始める。それはいつもと変わらないルーチンで、全身を温め、肩を動かし、そして反動をつけたストレッチを行う。
僕は軽くキャッチボールを始めると、わざとコントロールが悪いふりをした。ヨシが構えたミットが四方八方動き、僕はその度に謝っていた。
「わざとらしいなぁ」
「森下さんは潔いですね。ちゃんと胸に投げてる」
「まあ三年生だからね。データが有れば既に取られてるよ」
試合前のミーティング。僕が先発を言い渡されると、森下さんは僕の左肩を叩いた。
「頼むぞ、エース」
「エース?」
「実力は僕より上だし、エースでしょ」
僕はギュッと下ろしていた手を握りしめた。そしてグラウンドに出ると、不思議と緊張しなかった。
多分、ここが僕の居るべき場所だから。そう、それは羊としても春一としても、これが非常に清潔な所作であることは明白だった。
円陣を組み、声出しをし気合を入れたあと、ホームベース付近に整列した。
ようやく胸の高鳴りを感じ始めると、僕は一つ大きく息を吸った。
後攻なので早速ボールを受け取りマウンドに上がる。相手からすれば一年生が先発という屈辱を感じているのだろうか?
キャッチャーはヨシではなく、三島さんだった。
「緊張すんなよ」
「してませんよ」
「ハハッ、なら頼もしい」
軽く投げる。大体六、七割だろうか?
それでも回転数の高い質のいいストレートを投げ込んだあと、それからは全てツーシームでボールを動かした。
三振はいらない。打たせて取る。打ち合わせ通りに小刻みにボールを動かす意識で投げた。
プレイボールがコールされ、バッターが右のバッターボックスに立つ。
初球、やや内角寄りの低めにツーシームを投げ込む。若干の沈み込みがあるため、ボール判定を受けると、打者の反応を見た。首を傾げるわけでもなく、たった一球で見切られた感じもない。
もう一度ツーシームを今度は打ち頃な高さに投げると、手を出してきたが、ファールボールとなる。
次は真ん中外寄りにカットボールを投げ込む。速さもさっきのツーシームと同じくらいで、バッターは反応しバットを出してきた。
先っぽに当たった打球は力なく僕の前に転がってきて、僕は落ち着いて捕球し一塁へ送球した。
それからは狙い通りアウトを積み重ね、一回の表を終え、ベンチに帰ると三島さんとヨシと手応えの情報交換をした。
「よし、狙い通りいけてるぞ。恐ろしいくらい構えたところにくるな。羊の球は」
「でしょ?」
「なんでヨシが得意気なんだよ……どうだ羊、手応えは?」
「ええ。三振取るより難しく感じますよ」
「でも球数は節約できてる。このまま最後まで行けたらなぁ」
「そんな、マダックスじゃないんですから」
僕はドリンクを飲んで一息つく。そしてグラブを手にすると、肩を少し慣らす。
スタンドから見てるであろう小雪が、きっと応援してくれている。そう思いながら胸にあるお守りを握りしめる。
「ったく、もう終わりかよ。行くぞ、羊」
「はいっ」
マウンドに駆け足で向かい、ボールを拾う。
投球練習をし、プレイが掛かると結局は同じ作業を続け、少ない球数でアウトを取った。正直な感想は、楽しい。思った通りにアウトを取れている。セカンドに、ショートにサードにゴロを打たせてアウトを取れていた。
心地良さと満足感を満たした、その後の攻撃で点が入ると、僕はそのまま七回まで被安打は二つだけで、余力を残しマウンドを降りた。
「森下さん、あと頼みます」
「任せろ」
僕はベンチで声を出しながら、試合を見守った。
順調に迎えた最終回の守り。抑えれば勝ちという場面で四球を出してしまう。それでも二点リードの場面である。落ち着いてアウトを取ればいいだけのところ、相手も必死に食らいついてくる。
明らかに打ち取る球が無くなったフルカウント。低めの落ちる球を見送られ、またも四球でランナーが二塁一塁に変わる。
ホームランでひっくり返されてしまう場面、そう思ったのが悲劇の引き金になった。
聞いてるだけなら気持ちの良いカキンと金属音が鳴る。白球はあっという間にスタンドイン。肩を落とした森下さんを、僕はただ呆然と見つめていた。夏の日差しが照りつけるグラウンドに、涙を流しそうになった森下さんはベンチの僕を見た。
僕はどうすればいいのか分からず、茶化してみるか、それとも同じように悲痛な気持ちを表情に表すべきか悩んだ。
「ドンマイ!」
取り敢えずそう叫んでみた。それが救いになるとは、到底思っていないが、僕はその気にするなという言葉を、まるで自分に向かって言っているようだった。
太陽が陰ると、スリーアウトチェンジを迎え、ベンチに戻ってきたメンバーは全員が暗くなっていた。
「さあ、最後サヨナラで終わりましょう!」
「羊……」
声を出した僕を、森下さんが見つめた。
「何落ち込んでるんです。僕らの前評判知ってますか? 弱小ですよ、弱小。まあ、相手もそうですけど」
「だけど……」
「僕には来年があります。でも、森下さん達三年生は今年で最後でしょ? もうひと足掻きしましょうよ。一点取ったら延長なんですから」
励ましになっているかは別として、僕はこの現状を打破したいだけだった。情けなく下を向いたまま負けるよりは、やれるだけやって負けたほうがいい。
だが、そんな思いも虚しく、僕らは下馬評通りの初戦敗退となった。
ロッカールームはまさにお通夜だった。泣く三年生達に、流石に僕は声を掛けられなかった。
「羊。いいの?」
ロッカールームを出た僕を見つけた小雪は、心配そうにロッカールームの中に視線を送りながら声を掛けた。
僕は視線を一度足元に落として、そして小雪に向け直した。
「今は……そっとしておこう」
「……私は悔しいよ。まだチャンスが有るって分かってても」
「僕だって悔しい。けど……」
僕は言いかけた言葉をぐっと堪えた。
――これは、フィクションの世界だ。
自分の中でそう発した言葉は、現実とフィクションの境目を乱す。これは本当に物語なのだろうか。フィクションであっているのか。僕はただ不安になる。
帰りのバス。重苦しい空気が流れる中、僕は小雪の隣でじっと彼女の横顔越しに車窓を眺めていた。
通り過ぎるファミリーカー。暑さを忘れられそうな大型バイク。子供を乗せた電動アシスト自転車。そんな景色は現実味があり、僕を惑わせる。
思えばまだ春一のままで、きっと桜ノ宮もそうだろう。読書家の彼女は、比較的登場人物に感情移入しやすいのだろうか。この物語に入り込んでからキャラクターに馴染むまでが早い気がする。
何かこの現象を言い表せないかと考えていると、僕の視線に気付いた彼女は車窓から僕へ視線を移した。
「何か考え事?」
「ああ……まあそうだな」
「……帰ったら、秋季大会に向けての練習が始まるね」
「桜ノ宮……さん?」
僕は試すようにその名を呼んだ。しかし、彼女は首を傾げて僕を見つめたままだった。
「栞……」
「……は、はあ!」
「な、なんだよ!」
「いきなり名前呼びは……恥ずかしい!」
無反応かと思ったが、彼女は桜ノ宮栞としての認識はまだあるらしい。僕は微笑を浮かべて、彼女の手を取った。
それに対しても彼女は驚き、慌てて手を引っ込める。
「な、なによ!」
その声に周りが反応する。ヨシは僕を白い目で見ていたが、バス内では失笑を買っており後ろを振り返るとの森下さんはようやく笑みを浮かべてくれていた。
学校へ到着すると、荷降ろしをし片付けを行った後にミーティングが開かれた。
次のキャプテンの指名、そして三年生の挨拶が行われると、僕らは解散となった。
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