第五話 悪意のアレス

男の名はアレス。

人々は彼を「悪意のアレス」と呼んでいた。

悪意、という言葉が彼にはよく似合っていた。

冷たい目、無駄のない動き、そして、何よりも、沈黙の重さ。

この王国にはその者の強さを測る階級制度があった。

階級は1~10のレベルで決まり、8~9であれば「王都級」

10であれば「神級」とよばれていた。神級の者は皆、魔術を使えた。

彼は、王国に九人しかいない神級の一人だった。

神級。つまり、神に近い存在。人間ではない。そう思えば、少しだけ安心できた。



俺はアレスに、ある街に連れてこられた。この街の名は「ネスト」。

およそ30mほどの建築が隙間なく、密集して建てられている。

建物同士は無秩序に増築され、

通路や階段が複雑に絡み合い、

まるで立体迷路のような構造を形成している。

ここはとてつもなく巨大で、数十万人が暮らしている。

なんとなく、どこに何があるかわかっているが、

全体的な地図を頭にもっているという人は、ほとんどいないだろう。


「お前には魔力がある」


そう言われた。俺は、にわかに信じられなかった。

「魔術」を使える者は、王都に百人ほど。

国中を探しても、千人もいないという。

魔術を使うには、魔力が要る。

魔力は、生まれつきのもので、もって生まれるのは数十万人に一人の確率だそうだ。魔力など、感じたこともなかった。

生きてきた中で、そんなものに触れた記憶はない。

だが、彼は真顔だった。冗談ではなかった。

ネストいわく、魔力とは、心臓を中心に体全体を巡るエネルギーのようなものらしい。生物なら誰しもが持っている。だが、魔術を起こすことができる者は、常人とは比べものにならないほどの膨大な魔力を持っているという。

俺は、その説明を聞きながら、ふと自分の心臓を意識した。

何も感じなかった。ただ鼓動があるだけだった。

アレスは、続けて言った。


「お前は魔術を扱えるほどの魔力を持っている。だが、今まで魔力を扱う練習をしていなかった。今のお前の魔術は乱れ、ひどく不安定な状態だ」


魔力というものは、どうやら日々鍛錬を積んでいる者にしか、

まともに扱えないらしい。鍛錬など、したことがない。

普通に生きることにすら、俺は不器用だった。

そんな俺の体内に、魔力があるというのだ。

おそらく、俺の中にある魔力は、ひどく荒れていて、不安定で、そして、暗い。

誰にも触れられず、誰にも理解されず、ただ、心臓の奥で渦を巻いている。

それは、俺自身のようだった。


「俺がお前を強くしてやるから、お前は、俺の手伝いをしろ」


俺は、黙って聞いていた。特に何かをいう気力も起きなかった。

彼の言葉は、命令ではなかった。

だが今の俺にとっては、命令とは別の、重たい何かだった。

俺は、彼の言葉に従うことにした。

それは、信頼ではなく、俺が今の現状に対して感じている諦めだった。


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