第四話 信頼

最初、俺は、何が起こっているのかよくわからなかった。


目を覚ました時には、手を縛られ、囲まれていた。

誰かが俺を引っ張り、誰かが罵声を浴びせ、誰かが黙って睨んでいた。

俺は、王子のもとへ連れていかれることになったらしい。

街を歩く。人々の視線が、俺に突き刺さる。

軽蔑、憎悪、嘲笑、あるいは、哀れみ。

だが、そんなものはどうでもよかった。

俺は、そういう目で見られることに慣れていた。

生まれた時からそうだった。


俺は、誰かの期待にも、誰かの正義にも、決して応えられない存在だった。


それよりも、俺の心を締めつけていたのは、「彼」のことだった。

視界の端に、彼がいた。彼は、褒め称えられていた。

笑顔を向けられ、英雄のように扱われていた。

俺は、それを理解できなかった。

なぜ、あの彼が、あの場所に立っているのか。

さっきまで、俺の隣にいたはずの彼が。

俺は、彼の顔を見ようとした。何度も、見ようとした。だが、体が動かなかった。

首が、重かった。目が、彼を捉えなかった。

まるで何かを見てはいけないと、身体の奥で誰かが囁いているようだった。


そして俺は、王子の前に引き出された。

そこには王子の側近、騎士、街の地主たちが、俺の罰について話し合っていた。

だが、話し合いなど不要だという空気が場を支配していた。

彼らの視線は、すでに結論を出していた。

俺は、、今から死ぬんだ。

それを理解した瞬間、ようやく正気を取り戻した。

怖かった。恐ろしかった。

だが、それと同時に、奇妙な高揚感があった。

この世から離れられる。

ずっと頭の中を巡っていた「彼」のことからも、ようやく解放される。

死とは、終わりではなく、逃避なのかもしれない。俺は、そう思った。

その時、ある男が声をあげた。


「王子、このガキは俺が貰う」


その男はフードを被っていて顔はよく見えなかった。

だが顔は見えなくとも、彼の立ち姿や独特な雰囲気から、

異質な人間であることはすぐに分かった。

王子は、数秒の沈黙の後、「いいだろう」と言った。

それだけだった。

命が、言葉ひとつで動いた。ざわつきが起こった。

だが、すぐに一人の男が声を張り上げた。あの宝を受け取った大地主だった。


「待ってください王子! この者は王子の大事な宝を盗んだ! 王子の事を侮辱したんですよ!」


その瞬間、騎士の一人が剣を抜いた。

俺の目では捉えられない速度だった。

刃は男の首に届いていない。

だが、男は喉を裂かれたように尻もちをついた。

騎士たちは、冷たい目で男を見ていた。

「いつ王子に意見してもいいと言った?」 そう言っているようだった。

そして俺は、その男に連れて行かれることになった。

俺にとって彼は、天使だったのか、悪魔だったのか、今でもわからない。

そうして、逃避しようとしていた俺の心は、

彼によって再び現実に連れ戻された。


彼に連れられて王子の前を離れる寸前、

最後に「彼」のことが気になった。

まだ、彼の状況をうまく理解できていなかった。

いや、理解しようとしても、心が拒んでいた。

だが、それでも、もう会えなくなることだけは、はっきりとわかった。



そして、俺は、彼の顔を見た。

軽蔑も、憎悪も、嘲笑も、哀れみも、そこにはなかった。

ただ、いつも通りの顔だった。いつも通りのエネルだった。

いつも俺に、街の人々に、誰にでも向ける、あの信頼できる男の顔だった。

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