第8話 駄目出し
イベント2日目も、先に控室入りしていたのは林だった。
「おはようございます」
「はよ」
林の機嫌が、目に見えて麗しくない。
パイプ椅子に座り足を組んだまま、深の顔からつま先までを視線で撫で切った。日頃どれほど厳しい言葉を吐きかけようとも、深を迎える時は必ず椅子から立ち上がり挨拶をしていた律儀な男が、珍しい事もあるものだ。荷物を置くより前に、調子のおかしい相棒へと深は歩み寄る。
「ンだよ」
深ひとりでは、「ノラッテくん」は成り立たない。
眼となり通訳となり、異形との接し方を来場者にレクチャーし、着ぐるみや周囲の子どもたちを守る「補助」の存在が無ければ、まともな仕事は望めない。
林の不調は「ノラッテくん」の不調だ。どうかしたのかと問えば、林はじろりと先輩を仰ぎ見た。
「昨日も言いましたけど。安部さん。今日こそはちゃんと、お客様に愛想振りまいてくださいね」
聞き覚えのある注文は、昨日よりもずっと厳しく険を含んでいた。深を見上げる目に、隠すつもりも無いのだろう、苛立ちが燻っている。
「あ?」
ノラッテくんに興味を持った来場者を中心に深は、可能な限り何らかのアクションを取っていた。仕事に手を抜いているつもりも無い。
林の指摘は、深の顔を歪ませるに充分だった。
それでも、来場者の反応を視界の悪い「中身」より正確に把握している林からすると、改善点があるのかもしれない。ぜひ教えろと睨み下ろせば、その愁眉だけで女性を喜ばせそうなきらきらしい憂い顔が、短くため息を吐いた。
「安部さんのあれ。『お愛想』じゃないですよ」
「あァ?」
「『ノラッテくん』って、目の前に来た人たちを本気で愛しちゃってるじゃないですか」
「当たり前だろ」
林の指摘を、深は鼻で笑う。
意味が分からない。「ノラッテくん」が、「好きなフリ」をするはずがない。首を傾げれば、まるで挑発するように顎が上がった。
「は?」
深の即答に、林が眼を見開いた。
深が到着するより前に、スタッフジャンパーに袖を通し着ぐるみを袋から出し準備を終わらせているしっかり者が、随分と間の抜けた顔を晒していた。
その瞳に沈んだ感情を深が読み取るより先、瞼を降ろした林が大仰に肩をすくめる。
「当たり前、って。何言ってるんですか、安部さん。これ、仕事ですよ? ただのイベントです。…………本気の愛情を真に受けて、変な虫がついたらどうするんですか」
「つくかバカ」
「つきます」
「つかねえよ」
ここに永野が居たならば、着ぐるみに懸想するような「変な虫」はお前くらいだ、と林の背を叩いたかもしれない。
「……去年も、2日連続で『ノラッテくん』に会いに来た子がいました」
「何が『変な虫』だ。『可愛いお友達』じゃねえか」
最初でこそひどく戸惑った可愛い執着や嫉妬にも、4年経てばそれなりに慣れた。
連れて帰りたい、明日も明後日も会いに来るんだと泣きわめく子の頭を撫で、「ノラッテくん」からの侘びと感謝と愛情を込めて抱き締め、お別れだと手を振ることくらいは深も出来るようになった。
あるのかすらわからなかった深の心を、甘く引っかき傷を付け「お別れ」をした子どもたちを思い出したのか、深の唸りが低くなる。
「子どもなら、そうですね。でも、大人だったら? 今の時代、色んな人がいます。変態性欲持て余した輩なんて、ごまんといます。俺は着ぐるみ補助ですけど、守るにも限界があります。安部さん。局のためにもあなた自身の為にも。愛想振りまいてみせることを覚えたらどうですか」
林も負けていない。
聞き分けのない子に言い含めるような喋りは、正論らしく聞こえる分、深の不快感を刺激する。
今が、「ノラッテくん」出演時間の少し前でなければ。相手が、相棒である林でなければ。すっきりと整った造作に叩き込んでいただろう拳は、握るだけにとどめる。
「バカの始末くらいテメェでつける。リンジ、お前と俺は違えんだよ」
林の顔が、瞬きをするほどの時間だけ、不快に歪んだ。
相棒となって1年が経つというのに、出会った頃から変わらない「リンジ」呼ばわりを、林は酷く嫌っていた。
そのことを知っているのかいないのか。踵を返した深は、今日も「ノラッテくん」になるべく黒のジャケットを机の上に脱ぎ捨てた。
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