第7話 回想「スカウト」2
期待してるぞ「ノラッテくん」!とばしばし背中を叩いた江藤に、深がどれほど応えることができたのか。
初出勤から4年余り経った今でも、その評価を深は知らない。
出来が良かったはずが無い。
何度も棒立ちになったし、泣く子をあやすことも出来なかった。クレームだって来たかも知れない。
けれど、初日の勤務が終わった後、江藤は「ノラッテくん」の頭を無言で撫でてきた。
頭を取り外し、真っ白な胴体を脱ぎ、呆然と立ち尽くしていた深の頭もわしゃわしゃとかき回してくれた。
江藤の手を振り払わず滝の様な汗を拭いもせず、床を凝視する深の表情は凍りついていた。肌は真っ赤に上気していたが、触れた頬は冷たかった。
「飲み物、飲んだ方が良いぞ。ほら。お疲れ様、フカシ」
色の悪い唇にペットボトルを押しつけられてようやく、肩を抱き寄せる江藤を深は見上げた。
強張っていたはずの表情は、いつの間にか、実年齢よりも遥かに幼く崩れていた。
「エトーさん。俺、嫌だ。この仕事、嫌だ。怖えよ。怖え」
常に何かを睨みつけるような、警戒心剥き出しだった青年の瞳が、激しく揺れていた。
冷え切った指先は、江藤のポロシャツに描かれたノラッテくんの絵を握りしめていた。江藤は、予め用意していたタオルで、しがみついて離れない幼い青年の顔や体をがしがしと荒っぽく拭ってやる。
「そうか。何が怖えんだ、フカシは? ん?」
「ガキたちが、何か、知らねえオッサンとかオバサンが、変な。変な目で、俺、を。笑ってんだよ。もう、わけわかんねえ。怖えよ。嫌だ。可愛いって、何だ? スキって何だよ」
中学校に上がる頃に、深は喧嘩を覚えた。
14の頃には、あんなにも恐ろしかったはずの父の拳ですら、まったく脅威で無くなった。躊躇いも慈悲も無く後先を考えない深の拳は、仲間内でも脅威だと言われていた。
恐れる者から恐れられる者へ、深は変わったはずだった。
その深が、写真撮影のため駆り出されたスタジオでは余程恐ろしい思いでもしたようだ。
言葉を選ぶ余裕も無い。混乱しきった深は、零れそうな涙のかわり、震える単語をぼとぼとと唇から溢れさせた。
「おー。やっぱ、目一杯可愛がられてきたか。俺の目に狂いは無かったな」
「辞める。嫌だ、怖え」
「……フカシ。情けねえこと言ってんじゃねえぞ。そりゃ、お前が慣れてねえから『怖い』んだ。いきなり『大好き』をしこたまぶつけられて、びっくりしてんだよ。お前も」
「……」
濡れ髪をかき回していたタオル越し、ぼすりと手刀が打ち込まれた。俯く深にはきっと見えないだろう、顎ひげを蓄えた顔には、子を見る親のような緩みがあった。
幼少期から成長期に至るまでロクなものを食べていなかったのだろう小さな体は、どんなに筋肉の鎧を取りつけていても、今だけは頼りなさが目立った。
「可愛かったろ? ちっちぇえ覗き窓から見えたろ? ガキどもが、お前のことすげえ笑顔で見上げてくるの。ジジイもババアも年甲斐なく、可愛い可愛いってはしゃいでるの、聞こえたろ? たまんねえだろ。みんな可愛いな、ってお前も思っちまったろ」
「…………」
頷くことは出来なかった。
可愛いと思う余裕など微塵も無かった。
ただ、暗い視界の中、ぽっかりと明るい覗き窓から見えた幼い笑顔が脳裏に焼き付いていた。こちらを見上げる甘えた顔、なだらかな腹に頬を寄せた幸せそうな顔が、息が止まるほどの衝撃と共に深の記憶に居座っていた。
「ん~、良い拾いモンしたぞ俺。なあ、フカシ。これからもイベントの時は、お前に『ノラッテくん』を任せたい。……出来るな?」
初めての勤務が果たして及第点だったのか、深は知らない。
それでも結局、あれから4年余り経ち江藤が局を辞めた今でも、深は「ノラッテくん」の中に居る。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます