第4話~第6話 切り落とされるまでは踊らせて
何度この時間を共に過ごせただろう。何度も連れ出して、救い出してくれている以上、彼から俺に悪くはない感情が向けられている自覚くらいはある。だけど、それが憐れみからくる同情なのか親切心なのかは、よくわからない。俺を連れ出すことに問題がないわけがないだろうに、それでも助けてくれる彼等の真意が。だから、いつも思う。あと何回この時間を共に過ごせるのだろうと。あとどれくらい彼のことを好きでい続けられるのだろうと。
穏やかな時間はいつも緩やかに流れる。それでもいつかは終わりはくるものだ。
どたどたとお世辞にも上品とは言えない足音が響いてくる。先程まで暖かな色を宿していたアルヴィン様の眼差しが不意に温度を無くした。自分に向けられたわけでもないのに、すっと背筋に冷たいものが走る。手に持ったティーカップを握りしめて目線を足元に落とせば、少しの沈黙の後に騒々しく扉が開かれた。
「ここにいたか!帰るぞ!」
鼻息も荒くゲイリー様はそう言って俺の腕を掴んだ。苛立つとこの人はいつも同じ場所を容赦なく掴む。普段の丁重さが嘘のようだ。一応、俺が王への供物だという自覚はあるらしいから。今にも出ていこうとするゲイリー様に歩き出される前に、俺は慌てて逆の腕でティーカップをソーサーの上に戻す。少々音を荒げてしまったけれど、傷は付いていないようだと安心した。
その間にも腕に込めた力は緩めずに、ゲイリー様はずんずんと進んでいく。どうにか身体を捻ってアルヴィン様を振り返って小さく会釈をした。そうすれば、険しい顔をしていた彼はすぐにこちらに気が付いて柔らかい笑顔を浮かべ、少しだけ頭を下げて返してくれた。
「若輩の小僧が……よくも私を馬鹿にしてくれたものだ」
城門を抜け自分の邸宅へと向かう馬車の中で、ゲイリー様は誰に向けるでもなくそう零した。神経質に整えた爪先を噛むのは、彼の苛立ちが頂点に登った時の癖だ。俺に向けられたことは無いが、今この場には彼と俺の二人しかいない。いつもは物へと向かうその矛先が俺に向けられては堪った物ではないので、目線を合わせないように控えめに視線を窓の外へと逃がす。無意識に庇うようにした腕が、ずきりと痛んだような気がした。
「今度ばかりは我慢ならん!かくなる上は……」
ゲイリー様の声に欲に塗れたどろりとした色が混じる。彼が時折傘下の貴族たちを集めて奥まった部屋で何事か話しているのは知っていた。それが褒められるような事でないことも。それがいよいよ、動きだしてしまうのだろうか。
屋敷に戻ってからは、俺は今までの扱いが嘘のように、また乱暴な手つきで部屋まで戻された。最近は登城が頻繁になったせいで繰り返し掴まれた腕は、最近では軽く痣のようになっている。そんなことを言っても、誰も俺に関わろうとしない屋敷では相談する相手もいない。最初こそ着替えも入浴も手伝われそうになったけれど、どうにかそれを断ってからは本当に部屋に一人ぼっちだ。疼く腕も、痛む胃の痛みも、一人で耐えてきた。
でも、それは今までの生活を甘受してきた俺への報いなんだと思ってる。死ぬ気になれば逃げ出せたはずだ。ゲイリーの私兵に追われることも、下手したら命を狙われることも全部覚悟してしまえば。
いや、却って開き直って利用されてしまってもよかったんだ。どっちにしろ今よりは自由になれた。もっと、こんな縛られたような感覚に惑うことも、それすら自業自得だと悩む事も。目が覚めたら違う世界だなんておとぎ話みたいな事を体験したって、所詮自分は主役にもなれずに終わるんだって、とっくのとうに諦めていたことを今更付きつけられて自分に失望する事もなかった。あの人に届かないと、俺じゃ駄目なんだと、諦めることも。
だったらいっそ、どうなってもいいから今この場所から抜け出してしまおうと。
「ゲイリー様、」
身を落とすなら、いっそ最後まで。
一番美しいのは自分だと
(毒リンゴは)
(誰の元に届くのか)
ゲイリー様の好むような笑顔を張り付けて、恭しく集まった貴族たちに頭を下げる。かねてから陛下の為す政治に不満のあった貴族たちは、元からそういった繋がりで密会でも繰り返していたのだろう。ゲイリー様の呼びかけですぐさまこの屋敷に召集された。
国王に心酔しその意向の通りにするものだけでは国は成り立たない。異論を発する者も必要だし暴走したら嗜める者も必要だろう。でも、彼等はそうではない。国を思うから国王に反発するのではない。自らの生活の安定とより多くの富を得たいから、それを阻む国王に反発するのだ。わかりやすくそんな行動を取れば、いつしか国によってその身を滅ぼされるだろうとは考えない辺りがいかにも三流の悪役らしい。
じゃあ、自分の欲の為にそんな三流に取り入る俺は何流なのかと、被った猫の内側でそっと笑った。
「あの小僧が来てからだ。あの小僧が来てから一層陛下は可笑しなことばかり口走る様になられた」
少しは怒りも落ち着いたのか、陛下への形ばかりの敬意は繕えるようになったらしい。その代わり、シンデレラと呼ばれる彼に対しては余計に辛辣になったようだけれど。 けれどそんなゲイリー様に触発されたのか周りの貴族たちも口々に彼への誹謗中傷を重ねていく。
最初は勢いで国王暗殺でもしでかすのかと思ったのだけれど、そこまで馬鹿でもないらしい。というより、自分たちが貴族という家名を必要以上に誇るのと同様に、国王に流れる王族としての血だけは正当な者として扱っているらしい。つまり行く行くは自分たちの娘や息子を王妃ないしは側室にして世継ぎを生ませるつもりだったのに、それが件のシンデレラの出現で陛下が側室は必要ないと言い放ったことが気に食わない、ということらしかった。
ここまで考えて今更ながらにこの国は同性婚が認められているのだと再認識する。シンデレラはそれを受け入れているようだけど、俺にはよくわからない。たしかに俺はアルヴィン様の事が好きだという自覚はあるけれど、付き合えるか結婚できるかといわれると、わからない。そもそも、国王が同性婚の場合子供はどうするのかとか、この世界の常識も俺は知らない。
ゲイリー様は読書はさせてくれるけれど、その内容はほとんどが文学的なものだった。しかも、この世界にとってもファンタジーと言えるような内容のものがほとんどで、元々この世界自体がファンタジーである俺にとってどこからがフィクションなのかの判別もつかない。そのどれが虚実でどれが真実なのかの判断基準がない俺には結局ただの時間つぶしとしてしか本は機能しなかった。つまり、この屋敷に来てから俺は一切知識らしい知識を手に入れられていない。この世界の、王やそれに関わる人間の常識なんてわからない俺には、ただ自分の好きだという感情を持て余すことしかできなかった。
「民衆共はシンデレラなどと囃し立てているが、あんなただ黒を持っただけの売女に何の価値があるというのか」
売女とは酷い言われようだ。最も貴族連中は当然だとでも言うような顔をしてその言葉に頷きあっていたけれど。どうしたらこうも自分至上主義になれるのかと不思議になるが、蛙の子は蛙。こういう風になる様に育てられたのだろう。だから、貴族は変われない。それに終止符を打つために国は新たな政策を出しているのだ。
「お前の黒の方が、余程高貴で美しい。そうだろうアキト」
不意に俺に話を振るゲイリー様の言葉を肯定するように、俺は笑みを一層深くする。つられるように俺の方に視線を向ける貴族たちは、揃って似たような下卑た笑みで俺を上から下まで眺め倒した。正直気持ち悪いけれど、それは表に出さずにその視線に気が付いていないように笑顔を振りまき続ける。それにしても、ゲイリー様にしても彼等にしても、部屋の照明が仄暗いからだろうか。瞳が濁ったような色をしていて一層気味が悪かった。
「ねえ、ゲイリー様。俺、ゲイリー様に恩返しがしたいんです」
下から覗き込むように、甘えるように。俺には後ろ盾も保護者もなければ守るものも失うものもない。精々がこの身一つだけ。それなら、もうどうなろうが知った事じゃない。俺は、ただ俺の望むように動くだけだ。形振り構う必要もないだろう。
「ゲイリー様の言うとおり、あのシンデレラじゃなくて、俺の方が陛下に相応しいと思うんです」
だから、あのシンデレラを蹴落とす時は、俺も連れて行ってくださいね。
ゲイリー様の持つグラスにワインを注ぎ直しながらそう囁く。そうすれば、俺の態度に気を良くしたのか一気にそれを飲み干すと、ゲイリー様はそれはそれは上機嫌にまたシンデレラへの非難と俺への、延いては自分への賛辞を語り始めた。
この世界も、国も、人々も、あるいは特定の誰かも。恨んでいる訳ではないし、復讐とか嫉妬なんてものもない。それでも、愛してもいなければ愛着もないのも確かで。そもそも、この世界で俺が知っている場所といえば俺を拾ってくれた老夫婦の家とこの屋敷、そして城しかないのだ。愛するというほどこの世界を知らないし、恩を感じるほどこの世界に救われたわけでもない。だから。
ごめんね、シンデレラ。俺は俺の望むように動くよ。
偽物の愛を誓いましょう
(闇夜にだけ人間に戻る美しい白鳥と)
(そっくりな姿になった振りをして)
何時だったか、日記が書きたいと強請って手に入れたノートに名前を記す。最後に書くのは、自分の名前。
もうすぐ終わりかもしれない。死にたくなんてないし、そうならないように足掻いてきたけど、ヒーローにも悲劇のヒロインにも、ましてやシンデレラにもなれない俺に、そう簡単に物語の続きが訪れるとは思えなかった。この立場で、居場所で、どうやっても未来が見えないのもある。見えないから、不安だから、どうしても終わりを考えてしまう。
流されるのはやめた。俺の望むように、それに近付けるように動いた。それでもどうにもならなかったなら、そこまでの話だ。後悔は無い。途中からでも自分の意思で歩いてきた道だから。だけど、納得してはいてもどうしても何か残したくて。俺がいた証を。俺のいた意味を残したかったから。
「それがこのノート一冊だなんて、少し情けないけど……」
インクが乾いたのを確かめてからノートを閉じる。この国で使用されている文字が元の世界と同じなのは、本を読んだ時から確認済みだ。人名や街並みはヨーロッパみたいな雰囲気なのに、文字だけが同じだなんて都合が良すぎて、本当にゲームの世界みたいだと思うけどむしろ俺にとっては好都合なので文句はない。それでも文明はいまいち進歩していないのか、あるいは元の世界とは別方向への進歩を遂げているからなのか筆記具は羽ペンだったのには少し手間取ったけど。
ペンを置いて、ずっと同じ姿勢だったせいで凝り固まった背中と肩をほぐす。ゆっくりと首を回せば、頬にかかる髪が揺れた。その髪を指で掬い上げながら、この世界に来てから随分と伸びたものだと考える。ゲイリー様に指示される通りに手入れを欠かさなかった髪は、昔よりも大分手触りが良くなった。だけど、いくら見た目に磨きをかけても、俺の元へは誰も来ない。
本当は、誰よりもシンデレラの事を馬鹿にしていたのだ。そんなおとぎ話のようなこと、しかも男なのに、お姫様のように扱われるなんて、と。馬鹿らしい、有り得ない、そう思っていた。だからそんな存在に踊らされる貴族たちも、被った猫の下で間抜けだと嘲っていた。
王に娶られるようにと言われ続けて、ゲイリー様の趣味なのか、女性的な、良くて中性的な服を与えられ、そんな扱いをされ続けて。そのうちに俺の中の何かが崩れていったのか、いつの間にか俺自身がシンデレラの存在を一番意識していた。――違う、そうじゃない。きっと、最初からそうだったんだ。だから一層否定した。でも本当は、いつだって羨ましかった。俺はいつも誰かに助けて、守ってほしかった。自分で動くしかないのに、誰かが手を差し出して連れ出してくれるのを待ってたんだ。
元の世界ならそれでもよかった。いくらそう思っていようと、結局は学校を出て就職をして結婚して、当たり前だと思っていた道筋があった。誰かに教えられなくても、それなりの人生を進んでいく道が見えていた。満点じゃなくても少なくとも間違いではない道が。守られなくても、誰かが引っ張ってくれなくても、その道を行けばよかった。でも、ここはそうじゃない。どうしていいのかわからなくて、どうするのが正解なのかわからなくて、だから流された。本当は、本当は――。
初めての登城、誰もが冷たい視線を向けてくる中で、痛みと緊張で動けなくなった中で。ただ一人手を伸ばしてくれた、あの空間から連れ出してくれたあの人に。歩けなくなった俺に肩を貸してくれたあの人の温もりに、眼差しに。俺を救い出してくれる王子様なんじゃないかと期待した。一度だけでも守ってもらえたら、これからも守ってもらえるのものだと安心した。
でも、あの人は宰相で、俺は何の立場もない。それは変えられないしこれからも変わらないのだろう。どうしようもない流れのようなものはどこにでも存在していて、その中心、言うなれば主役は、あのシンデレラと国王陛下だ。俺じゃない。
俺が一番、シンデレラに憧れてた。王子様を、ヒーローを、ずっと待ってたのは、俺だ。現実はそうはいかない。何度考えても何をしても俺は主役にもヒロインにもなれない。それどころか、今なんて三流の悪役の手下だ。それが現実で、現状だ。だから、もういい。王子様は来ないんだとわかったら、むしろ身体に圧し掛かっていた重圧が少しは軽くなった気すらする。
俺は、人を騙すことも、自分を偽ることも、平気で出来るような肝の据わった人間じゃない。だけどもう開き直れたから。何時だって怯えている自分も、自由を夢見る自分も、ヒロインみたいに助けてもらいたかった自分も、それを馬鹿にしていた自分も、全部を受け入れられたから。締め付けられるような胸の痛みも、きっと俺の脚を動かす動力に変えられる。長くは走り続けられなくても、せめて、俺が望む最後まで。
切り落とされるまでは踊らせて
(その足が止まったら、)
(きっと俺は動けなくなってしまうから)
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