7

 感謝祭の夜。屋敷の中は、嘘みたいに静まり返っていた。ひとしきり騒いだ後は、みんな酔いつぶれて眠っているのだろう。


 私はそっとドアの取っ手に手をかける。

 音を出さないように慎重に、ゆっくりと押し開けた。

 ひんやりとした空気が頬をかすめて、心臓がどくんと大きく鳴った。

 廊下には灯りがいくつかだけ残されていて、ゆらゆらと影を揺らしている。

 私は音を立てないようにゆっくりと足を運んだ。

   

 玄関ホールの扉が見えたとき。

 もう少しで外に出られる――そう思った、その瞬間。

 背後で、かすかに人の気配がした。


 私は反射的に身をひねり、壁にぴったりと身をくっつけて、じっとしていた。

 心臓の音がうるさい。

 恐怖で胸の奥がぎゅっと締めつけられた。


(どうしよう……みんな寝てると思っていたのに……)


 ふらふらと、おぼつかない足音が近づいてくる。

 低く濁った笑い声。

 次いで、最も憎むべき声が、すぐそばで低くつぶやいた。


「おや、リリア。こんな夜に部屋から出るなんて……まさか……逃げるつもりかい?」


 その声を聞いた瞬間、全身の血の気が引いた。

 レオンだ。酔って足元もおぼつかないくせに、目だけは冷たく光っている。

 その目が、私の心の奥まで見透かしているようで、息が止まりそうだった。

 ただその場で固まっていると、いきなり髪をつかまれ、乱暴に引き寄せられた。


「……痛い目に遭いたくなかったら、おとなしく戻れ。ここから出すには早すぎるんだ。まだ一年しか経ってないだろ?」

「どういう意味ですか?」

「……リリアはそのうち“事故死”することになってる。そのときが、ここから出る時さ。ただ死んでもらうだけじゃ損だろ? 金はいくらあっても困らないからね。だから保険をかけたんだ。その保険は、かけてから一年経たないともらえないんだ。念のために──あと半年は生きていてもらわないと困るのさ」

「それは……私を殺す、ということですか?」

「ふっ。当たり前だろ。生きていてもらっちゃ困るんだ。僕はエレナと結婚したいからね。大好きな両親のもとへ、もうすぐ送ってやるよ」


「このクズッ! させるもんですかッ!」

 ドスの利いた女の声が響いたかと思うと、次の瞬間、レオンの体が横に弾き飛ばされた。


 何が起きたのか分からず目を凝らすと、そこには黒い仮面をつけた影が立っていた。


(ひっ……やはり、こういう日には泥棒も入りやすいのかしら?)


 私が恐怖で固まっていると、聞き慣れた声が私を呼んだ。


「 お嬢様……リリアお嬢様! 私ですよ、専属侍女だったリンです。カイル様と助けに来ましたよ」


  見れば隣には、やはり仮面をした男性がいて、私に優しく囁いた。


「リリア、迎えに来たよ。かわいそうに……こんなに痩せて」


 その穏やかで懐かしい声に、張りつめていたものが一気にほどけた。


 私は子どものように泣きじゃくりながら、彼にしがみついた。

 その声は、紛れもなくカイルだったから……


 次の瞬間、床に倒れていたレオンが、ゆらりと身を起こした。

 リンの体が音もなく動き、拳が一直線にレオンの顔面をとらえる。

 鈍い音が響き、レオンの口から白いものが飛んだ。

 歯だ、と一瞬思う間もなく、彼の体がのけぞる。


「――天誅ッ!」

 低く絞り出すような声とともに、リンの拳がもう一度、みぞおちをえぐった。

 息を詰まらせたレオンが苦悶の声を上げ、そのまま崩れ落ちる。


 そして、私は二人に守られながら、バルネス伯爵家から、やっと逃げ出すことができたのだった。






 

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