第20話私とゼットの苦い思い出2
その後を、何人も召使い達が慌ててついてきている。
「ゼットーーーーー!!」
声が、鋭く空気を裂いた。
結局私達は、隠れている、と言っても隠れられる訳がない。
庭園には沢山の騎士達が配置されているから、結局私達の位置はバレバレだ。
「まさかまた逃げたわけじゃないでしょうね!? あんたって、ほんっっっとにどうしようもない! 客の前で立ち姿ひとつまともにできないとか、何なの!? 王族の名前だけで肩で風切って歩いてるだけの、ただのハリボテ王子じゃない!!」
茂みの向こうから、ばさっと勢いよく葉をかき分けて、怒りのオーラをまとった少女が現れた。
オデッセイ・グランシェリーナ。
桃色の巻き毛を高く結い上げ、ドレスのスカートを無遠慮に掴み上げながら、怒りに燃える橙色の瞳でこちらを睨みつけてくる。
その瞳はまるで猛獣。美しいというより、凶暴で、近づいたら噛みつかれそうなほど鋭い。
「探したわよ!ほんと、国と同じように芝生で寝っ転がってるとか、王子っていうよりただのグータラじゃない。あんた何様のつもり? まさか"王族様だから許される"とか思ってる? 吐き気がするわ」
「……うるせぇよ……こっちはこっちで限界なんだよ」
ゼット様が、低く呻くように返した。
だがオデッセイ様は一歩も引かない。むしろ、その言葉にさらに火が点いたようだった。
「限界? は? 冗談は顔だけにしてよ。こっちは何時間も愛想笑いして、気難しい貴族たちの相手をしながら、あんたのヘマをカバーして回ってたのよ!? さっきの挨拶の時も、私がどれだけ丁寧に紹介したと思ってんの!? 『こちらは王妃の甥、ゼット様でございます』って、こっちは品よく頭下げてんのに、あんたがボソッと『……あ、どうも』って! その瞬間、場が凍りついたの、気づいてた!? ねぇ、あれ、誰が後処理したと思ってんのよ!!」
「……俺のせいかよ」
「当然でしょうが!!」
怒鳴り声が、空気を震わせた。
そして、オデッセイ様の視線が、突然、私に移った。
「っていうかそこの女の子、誰かと思ったら、あら、カレン様じゃない。へぇ、婚約者のパーティーを途中で抜けて、他の男と逢引とは、大したお姫様ですこと」
私の心臓が、きゅっと縮まった。
「い、いえ違います!! そんなつもりじゃ……その、足が痛くなって、少し休もうと……そしたら、偶然ゼット様と会って……」
「はいはいはい、言い訳はもういいから」
オデッセイ様は、手をひらひらと私の方に振って、明らかにバカにした笑みを浮かべた。
「どうせ、大人の真似してヒールなんか履いて、痛いけど笑って誤魔化して踊って、疲れたんでしょ。ばっかじゃないの。てか、それぐらいも我慢できないの!?」
ちらりと私の脚元を見て、吐き捨てる。
「『私は理想的なよくできた婚約者ですぅ』って顔して、誰のために生きてるかも分からないまま操り人形みたいに立ってるだけ。あなた、自分の意思ってあるの? あ、無かったわね。ごめんね、そこまで考えてないわよね」
「……っ」
言葉が、出なかった。
胸の奥を、ぐさりと何かで刺されたような衝撃。
自分の意思。
言われるように、そんな事考えたことない。
何時だってアルファードの為、だもの。
私はそれでも何とか口を開こうとしたけれど、喉が乾いて、震えて、うまく声にならなかった。
「黙ってないで反論くらいしなさいよ! 王族の婚約者なんでしょう!? それとも、頭の中まで飾り物なの!? 着飾るだけで精一杯なら、せめて目障りなところに出てこないで欲しいんだけど!」
オデッセイ様の声は、もう怒鳴り声ではなかった。
それは、嘲笑。見下す者の声。感情の一片もない、氷のような冷たさと毒を孕んだ刃。
「お前もよ、ゼット」
声の矛先が再び、ゼット様に向く。
「もうほんとに呆れる。口開けば『疲れた』、『限界』、でも行動はなーんにも変わらない。『王族だから』って何かしてもらえるの、あと何年持つと思ってんの? せいぜい、今のうちに家の看板背負って媚び売っときなさいよ。あんたが一人で立って生きていける日は、たぶん一生来ないから。私が居ないと役立たずのままよ」
ゼット様は、何も言い返さなかった。
ただ、唇を強く噛みしめて、うつむいていた。
私は見てしまった。
彼の頬を、一筋、涙が伝っていくのを。
それは私の胸にも、じんわりと染み込んできて。
気づけば、私の視界も、ゆらゆらと揺れていた。
「……っ……う……」
こらえきれず、私の目からも涙が溢れた。
涙は、静かに、けれど止まらずに頬をつたい、ドレスの布地にぽつりと落ちた。
言い返せない悔しさ、恐さが、全部が胸をぎゅうっと締めつけて、息すらまともにできなかった。
そして、そんな私たちを見下ろして、オデッセイ様は、ため息をついた。
「……泣いてるの?」
呆れたような、乾いた声が頭上から降ってきた。
「本気で泣いてるんだ。はあ……あんたたち、いくつ?」
顔を上げられなかった。
声が、視線が、鋭すぎて、刺さって、身体がすくんでしまう。
こわい、よぉ。
「ちょっと言われたぐらいで涙ボロボロ流して、かわいそうな私ですって顔して……どこまで滑稽になれば気が済むの?」
オデッセイは一歩、こちらに踏み込んだ。
こわい、よぉ。
そのヒールが芝生にめり込むたびに、心臓が揺れるような音が響く。
「カレン様、あなた王太子の婚約者でしょう? なのに、たかが靴擦れごときで逃げて、他の男と草の上でしゃがみ込んで泣いてる? はっ、呆れるわ。
どうせ靴を選んだのはあなただけじゃない。服も髪型も、全部『誰か』に決めてもらって、それに黙って従ってるだけでしょ?」
喉が震える。
「わ、わたしは……」
「"わたし"は?」
かぶせるように、オデッセイ様が問い詰める。
「"わたし"は何? "言われたからやった"、でしょ。だったらその場で倒れてでも最後まで逃げずに笑顔作ってなさいよ!それができないなら、最初から"婚約者"なんて肩書、剥ぎ取りなさいよ!!」
「……っ、う……うぅ……!」
私の口からくぐもった嗚咽が漏れた。
その涙すら、オデッセイ様は容赦なく踏みにじる。
「あなたが一人で泣いてる時間、アルファード様がどれだけの人間と会話して、挨拶して、孤独の中で立ってると思ってるの? "王族の隣に立つ"っていうのは、そういう責任を抱えることなのよ。
なのに今のあなたは何? ただの足を擦りむいたお人形。見苦しいにも程があるわ!」
次に視線がゼットに移る。
「で、こっちはもっとひどい」
その一言が、まるで切断刀のように空気を裂いた。
ゼットは、肩を小刻みに震わせていた。
「お前、さっき私に何て言ったか覚えてる? "限界なんだよ"?」
オデッセイ様の唇が、冷たく笑った。
「限界? どこが? 踊るのが? 挨拶が? 立ってるのが? あのね、ゼット。あんたのやってることは"我慢"じゃない。"逃げ"よ。周りがすべて整えてくれて、その上にぬくぬく乗っかって、それでも文句だけは一人前。そんなの、王族どころか、ただの甘ったれた飼い犬じゃない」
ゼットの目から、再び涙が溢れる。
それを見て、彼女は吐き捨てるように続けた。
「泣いて解決するなら、王族に教育なんて必要ないわよ!涙で何かが変わる? 誰かが慰めてくれるとでも思ってるの? 残念、ここは絵本の世界じゃないの。"偉い人に生まれた"ってだけで価値があると思ってるなら、今すぐその価値を誰かに譲ってちょうだい。中身の無い箱なんて、王族の恥よ!!」
「っ、くぅ……ひっ、うぅぅぅ……!」
ゼットが膝を抱えて顔を伏せた。
嗚咽が溢れて、震えが止まらない。
言われた事に、何一つ言い返せない。
「ごめん……ごめんね……アルファード……うっ……うっ……えーーーーーんんん!!!」
涙と嗚咽で喉が痛くなるほど、大声で泣きじゃくってしまった。
「……っひぃ……ぐすっ……」
ゼットも、つられるようにしゃくりあげ、鼻をすすりながら声をあげる。
ふたりの泣き声が庭園に響き、静かな夜を乱していた。
そこへ。
「カレン様!?」
「ゼット様!?」
複数の召使いと騎士たちが慌てた様子で駆け寄ってきた。
彼らの視線は泣き腫らした顔や乱れた衣装に注がれ、騒然とする。
「一体何事だ!」
鋭く響く声と共に、お父様が慌ててやってきた。
長身の威厳ある姿で、場の空気が一瞬にして引き締まる。
その眼差しはまず私とゼット様を確認し、次にオデッセイ様へと移った。
「オデッセイ嬢……これは?」
低く問う父上の声には、静かな怒りと疑念が混じっていた。
この状況と、オデッセイ様の性格は誰もが周知している。
つまりは、私達が虐められている、という構図になっている。
だが、オデッセイ様は一歩も引かなかった。
まるで舞台の中央に立つ主役のように背筋を伸ばし、1歩前に立ち、腰に手を添えて、ゆるやかに顎を上げる。
その仕草は女王が臣下を見下ろすそれだった。
「ご安心くださいませ」
ゆったりとした声で、しかし全員の鼓膜に届くほどはっきりと声を出した。
「この二人が、婚約者の誕生祝いという大切な場を抜け出して、暗がりでこそこそ泣いていたのです。王族やそれに準ずる者として、これほど情けない姿を見過ごすわけには参りませんでした」
召使いたちは目を丸くし、騎士たちは言葉を失った。
誰もが呆気にとられ、ただその場に立ち尽くす。
「ゼット様」
オデッセイは冷ややかな笑みを浮かべ、泣き顔の彼を指先で示す。
「王妃の甥という立場を、ただの飾りと勘違いしていませんか? 背筋ひとつ伸ばせず、言葉もろくに出せないなど、家畜と変わりませんわ」
ゼットがびくりと震え、顔を覆った指の隙間から新しい涙が零れ落ちる。
そして、私に視線を向けた。
「カレン様、あなたも同じです。『足が痛くなった』? 笑わせないで。王族の伴侶になる者が、靴擦れ程度で任務を放棄? そんな意志の弱さで、何を支えるつもりですの?」
私は言葉が出ず、ただ肩を震わせ泣くだけだった。
「泣けば許されると思っているなら、大間違い。むしろ涙は、己の未熟さをさらけ出す証。お二人とも、恥を知りなさい!」
その場の空気は、まるで氷のように冷たくなった。
オデッセイの視線が突き刺さるたび、胸が締め付けられ、涙が止まらなくなる。
父上も口を開きかけては閉じ、ただ黙って私たちを見ていた。
オデッセイは一歩前に出て、結論を告げるように言い放った。
「つまりは、お二人のためを思い、心を鬼にして叱責いたしました」
そう言い放ったオデッセイ様は、まるで「よくやったでしょう?」とでも言いたげな顔をしていた。
顎を高く上げ、鼻高々に、周囲をゆっくりと見回す。
その堂々たる態度に、父上も含め、誰もすぐには言葉を返せなかった。
煌びやかな庭園のランタンの光が、彼女の桃色の巻き髪と宝石の髪飾りをきらりと反射させる。
夜風がドレスの裾を揺らすたび、その存在感はますます増し、彼女は今にも高笑いをしそうなほど得意げだった。
しかし、そこに漂うのは妙な沈黙と緊張感。
耐えかねたように、父上が掠れた声で私たちに問いかける。
「……カレン、ゼット殿下、事情を聞きましょう」
私は、涙で視界を滲ませながら正直に答えた。
「……オデッセイ様の言う通り……です……」
ゼット様も、同じく顔をくしゃくしゃにしながら、しゃくり上げて答える。
「……オデッセイの……言う通りだ……」
その瞬間、場の空気は決定的に固まった。
結果、この件は「子供同士の問題」として扱われることになった。
だが、その後が問題だった。
ゼット様は、何の躊躇もなくオデッセイ様に頭を思いきり叩かれ、腕をがっちり掴まれて無理やり引きずられていった。
私はというと、号泣のせいで化粧はすっかり落ち、顔は涙と腫れでパンパン。
泣き疲れて瞼は重く、もうパーティーに戻すのは無理だと判断され、そのまま退場を命じられた。
その時、私は誓った。
「もう二度と、オデッセイ様には近づかない」
……はずだったのに。
なぜかそれ以来、ゼット様は私にやたらと付きまとうようになった。
まるで古くからの友人のように、声をかけてくる。
そして、オデッセイ様から逃げようとしても、ゼット様が常に一緒にいるせいで、彼女から逃げることは叶わなかった。
やがて私は、彼女によって「からくり人形令嬢」という、なんとも妙ちくりんなあだ名をつけられ、いじられるようになった。
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