7-5. Field of Dreams
闇が闇を払うことはできない。
光だけがそれを成せる。
公民権活動家 キング牧師
四月十二日、メジャーリーグの開幕に合わせて、囚人たちのリーグも始まった。ノトリアス刑務所囚人共和国野球リーグ、通称共和国リーグの誕生である。
「よし! これまでしっかり練習してきたからな、絶対勝てるぞ」
「対戦相手も見てねえのに気が早えなあ。えーっと、メトロポリタンズは……」
グラウンド沿いの壁に貼り付けられた組み合わせ表をケイシーが見上げた。
「あった、第一試合だぜ。相手は、ユニオンズだってさ」
チーム名を見たとてどこの誰だかは分からないのだが。いずれにせよ、共和国リーグの記念すべきグランドオープンを、ケイシーたちが飾るのだ。そう聞いてジョーは、少し気を引き締めた。
ジョーでさえそれだから、彼以外の面々は緊張の色が隠せなかった。九時の試合開始に向けて、グラウンドには続々と囚人たちが集まってくる。わざわざ観客の座るエリアとグラウンドを分ける線まで引いてあるが、それを越えそうなぐらいの人だかりができそうだ。「自由の実験」始まって以来の一大イベントだから、囚人たちの興味を引くのも当然だ。
「いや俺、こんな人前に出るの初めてだよ」
「野次られたらどうしよう」
「おいおい、そんなに不安がるなって。練習では上手にできてただろ」
そんな会話をしているうちに、定刻が近づいてきた。今日の試合に出場する八チームがグラウンドに集められ、即席のバックネットの方を向いた。
「えー、今日は集まってくれてありがとう」
大統領マシューの開会演説だ。
「こんなイベントを実行できるのも、皆の協力のおかげだ」
とか何とか、表面を取り繕った言葉を並べている。こういう美辞麗句は空気中を滑っていって、耳には届いても印象に残ることはない。その次に開会の式辞を述べたオズ所長と比べてしまうと、更に差が際立つ。もっともそのオズ所長も、野球経験はないのか、始球式のボールは奈辺に外れていた。
何にせよ、そんな形式面についてはどうでもよさそうなのが、ケイシーたちの性であった。
「はあ、立ったまま眠っちまうとこだったぜ」
ジョーがだるそうに伸びをした。
「やれやれ、準備運動もやり直しだな」
チームで一番年上のクーニーは、かなり体に堪えたようだ。年が明けて四十六歳になったケイシーの七つ上。無理もないだろう。
観客の囚人たちがグラウンドを囲む中で、メトロポリタンズはキャッチボールを始めた。
「スタメンは大体いつもの感じでいいよな」
そう言いながらファーストの守備位置についたのは、リトル・ジョンだ。この男ほどファーストが似合う体形の持ち主はいないだろう。
「おう、皆好きなポジションでいいよ」
リトル・ジョンの隣、セカンドを守るのは、もちろんジョー・エバースである。しなやかな動きぶりを見ればショートを任せたいところだが、本人たっての希望なので仕方がない。
その割を食ってショートに入れられたのが、ケイシーだ。力自慢のケイシーは、細かい動きは苦手だからとサードを希望したのだが、ジョー曰く「肩強いんだからぴったりじゃん」とのことで、ショートに回った。
特別守備の上手くないクーニーとフリンは、それぞれレフトとライトを守っている。とはいっても、実力的にはジョーとケイシーが飛び抜けているだけで、他はほとんど横一線だ。わざわざポジションを分けての練習はしてこなかった。
こう見ると守備陣にはかなり不安があるが、ジミー・ブレイクがマウンドに上がるのだから心配は要らない。伸びのある速球と、時間が止まったようなチェンジアップ。このコンビネーションは、まさか初見の相手に捕まることはないだろう。
「初めての実戦、緊張しますね……」
とこぼしながらシャドーピッチングをしているジミーの姿を見て、ケイシーは心が痛んだ。一瞬その理由は分からなかったが、マウンド上のジミーがあの時の景色に重なったからだとすぐに思い当たった。ジミーと同じ黒人投手を、スタンドから撃ち抜いたあの時である。その投手のバックを守っていた仲間たちも、きっと彼を信頼し、共に戦っていたのだ。そう思うと、自分がいかに大きく重いものを奪ってしまったのか、感じざるを得なかった。
この晴れ舞台で、そんなことを考えているのはおそらくケイシーだけだった。プレイボールを今か今かと待ちわびる観客たち、緊張の面持ちをたたえる選手たち。どの顔も、ケイシーが初めて野球を観た日のポロ・グラウンズと全く変わらない。ユニフォームが白黒縞模様の囚人服でさえなければ、自分たちが囚人であることを忘れてしまうほどだ。
これでいいのだろうか。死刑囚の自分が、のんきに野球に興じていていいのだろうか。そんな切迫感にも似た疑問は、段々と強くなっていた。
「ケイシーさん、また考え事ですか?」
やっぱり起こしてくれたのは、ジミーの一声だった。
「ああ、悪い悪い」
「しっかり守ってくれないと困りますからね」
「おう。とにかく今は試合に集中だな。サンキュー、ジミー」
ケイシーの感謝に、ジミーは軽く口角を上げた。
「いいんですよ。それにしても……、どなたがキャッチャーをやるんです?」
ジミーの球を難なく捕れるのは、よく一緒に練習していたジョーだけだった。そのジョーは頑なにセカンドをやりたいと言って動かない。だからケイシーは、ある助っ人にキャッチャーを頼んだのだった。
「お、来たぜ。ほら向こう」
ケイシーが指さした先には、よく見慣れた小柄の男がいた。グラウンド上で一人だけ、横縞の囚人服ではなく、縦縞のユニフォームを着ている。
「よしっ。久しぶりですが、頑張りますよ!」
手にはめたグローブを叩いてバッターボックスの後ろにしゃがんだのは、ブライアンである。
「ああ、助っ人というのは、あの所長の助手の方ですか」
「そうそう、野球経験者らしいぜ」
「はーい、一球投げてみてください!」
ブライアンはいつになく活き活きして、マウンド上のジミーに手を振ってきた。
その球を悠々と捕れる姿に安心して、ケイシーは自分の守備位置に戻った。相手の一番バッターが素振りをしつつ、バッターボックスに歩み寄る。
思えば、ケイシーが本式の試合に出るのは初めてだった。いつもベンドのダイヤモンドで、ボロの端材をバット代わりに振り回していたのだ。
空を見上げれば明るい太陽。壁に這う黄緑の蔦が、新緑の四月を象徴する。頬を撫でる風が心地いい。今日は、いや今日も、誰もが認める野球日和である。
「プレイボール!」
審判を務める看守が、高い声でコールした。だがそれも、割れんばかりの歓声と拍手でかき消される。
ああ、この野球というアメリカの夢が、こういう美しさしか持ち合わせていなければよかったのに。
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