7-4. パンとサーカス

 闇が闇を払うことはできない。

 光だけがそれを成せる。

 公民権活動家 キング牧師



 四月に入って、マシューは色々と懐柔策を打ち出してきた。「評価制度」は基準が緩くなり、暖房のように必要な物品は一人当たり月に一つまで支給されるようになった。ケイシーたちの講座にも公式の許可が下りた。


 囚人たちの溜飲を下げた一番の策は、野球を有用な娯楽として認め、その拡大を図ったことだった。野球を放置して囚人たちに団結されたり、禁止して反発を買ったりするよりは、自分の掌中で管理するのが次善であるとマシューは踏んだのである。

「パンとサーカスとは上手く言ったものだね。やっぱり、無知蒙昧な大衆を上手く支配するには、適当に遊ばせるに限る」

 塵ほども反省の色を見せないマシューの言は的を射ていて、囚人たちは少し前までの気炎を忘れたようだった。

「マシューの奴、どうしたことかと思ったら、こんな立派な用具までくれたぞ」

 なんとマシューは、希望した囚人たち全員にグローブを一つずつ支給するという大盤振る舞いを見せた。さらに、マシューら共和国運営陣に届け出をして、チームと所属選手を登録すれば、バットとボールまでもらえるらしい。

「あー、それで今日は広場がこんなに混んでるのか」

「少しは見直したな、あの大統領も」

 そんな声が仲間たちからちらほら聞こえてくるものだから、ケイシーは黙りこくってしまった。目先に餌をぶら下げられているに過ぎないこの状況は、未だ怒り心頭のケイシーにとっては看過できないことなのだ。


 とはいえ、以前より活き活きと楽しそうに野球をしている仲間たちを見ると、これでいいんじゃないか、という気持ちも湧いてくる。何も、ケイシーとマシューの個人的な因縁に、他の囚人たちを巻き込む必要はない。広場を見回せば、幾つものグループが打ったり投げたり、さらには試合形式で声援を送り合っている者もある。幼いケイシーが夢に見たような、自由と可能性に満ちたアメリカが、野球を通して現前したようだった。

(でもな……、何か引っかかる)

 そう疑ってしまうのは、ケイシー自身の悪い癖ゆえだろうか。



「おい、リーグに登録しに行こうよ!」

 背後から聞こえたのは、ジョーの声だ。あまりにもウキウキを隠せない声だったから、小躍りしているジョーの姿を想像して振り向いたが、小躍りどころではなかった。両手を大きく広げて飛び跳ねていたのだ。

「どうしたそんなに飛び跳ねて。リーグの登録ってなんだ?」

「落ち着いていられねんだよ。向こうのチームの奴に聞いたんだけどさ、所内のチーム同士でリーグができるらしいんだ。チーム登録して、参加の申し込みをするだけでいいみたいだぜ」

「おお、そりゃあ面白そうだな」

「ケイシー、早く登録しに行こうぜ」

 クーニーとフリンや、他の仲間たちもわらわらと急かした。

「そうか、皆やりてえなら行ってみるか」

 ケイシーは案外すんなり頷いた。行くか、ではなく行ってみるか、としたのは、マシューに対する一抹の不安があったためだ。ケイシーのチームだけ難癖をつけられて、登録を認めないなんてことも有り得る。


 だが、その不安は杞憂だった。事務室では何の口論もなく、所定の手続き用紙をもらえたのだ。

「なー、チーム名どうする?」

 ジョーは徐々に覚えつつあったアルファベットを用紙に書き込みながら、膝を曲げ伸ばししていた。

「そうだな、メトロポリタンズでいいんじゃないか?」

 特に悩むこともなく、ケイシーが答えた。何かと縁のあったメトロポリタンズの名前を借用するというだけだ。仲間たちも外にいた頃に見聞きしたことがあったようで、皆賛成してくれた。

(なんか、肩透かしだぜ)

 ケイシーはここに至っても、釈然としない気持ちだった。

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