4-6. 天啓

この世界で最も素晴らしいことは、

自立の方法を知ることである。

哲学者 ミシェル・ド・モンテーニュ



 結局、ケイシーの刑が執行されることはなかった。無期限延期状態に戻ったのである。ブラウンの意図が分かったのは、それから一か月後のことだった。


 八月のある日、ケイシーらが所内の整地作業を終えると、ノトリアス所の囚人約千五百人全員が、野外の広場に集められた。千五百人を収めてなお余りある広さである。普段は資材置き場代わりに使われている場所だ。


 十人程度で一つの列になり、鎖と足枷で繋がれて、俯き加減で整列する。これが移動の際の作法であった。囚人たちはなぜ自分たちが集められたのか、察しがついていた。所長が交代するのである。この広場に集められるのは、新所長の就任挨拶の時くらいなのだ。


 所長が交代するというのは、必ずしも良いことではないが、頻繁に起こることだった。州行政の管轄に置かれている刑務所だから、政治の都合で頭が挿げ替えられることはざらだったし、前職の所長はほんの数か月で退任させられた。


 そのため、看守たちをはじめ職員も、囚人たちも、特別な出来事だとは思ってもみなかった。まさか、今ここにやってきた新所長を、生涯の恩人として記憶することになろうとは。


 ところどころヒビが入り、蔦が覆う独房棟を背にして、男が演壇に登った。背広がよく似合う、威厳に満ちた口ひげを携えた、少々小柄な男だ。助手の男が直後に続く。ニューヨーク州北部の、夏でも暑過ぎはしない爽やかな晴天が、これから囚人たちを待ち受ける未来を予見していた。


「君たちに、自由を与えよう」


 新所長がそう高らかに宣言すると、俯いていた千五百人が一斉に顔を上げた。そしてすぐに、ざわめきが巻き起こる。誰一人として、彼の意図を理解する者はいない。それは、囚人たちを囲って目を光らせている看守たちも、そして新所長のすぐ隣に立つ助手さえも同じだった。それだけ突飛なことを言い出したのである。


「君たちは自分の境遇に不満がある。なぜ自分がこんな惨めな思いをしなくてはならないのか、と。別に罪を犯したかったわけじゃない、仕方がなかったんだ、と。そうだろう?」


 仕方がない、という言葉を聞いて、鎖に繋がれたケイシーの手がピクリと動いた。新所長の言葉は続く。


「自分にだって多少の自由があれば、こうはならなかったはずだ、やりたいことができたのに。そう思うのなら、証明してみたまえ。私が君たちに自由を与えよう。そこで実現するんだ。この自由の国アメリカに抱いた、君たちの夢を」


 いつしかざわめきは静まり、皆息を飲んで彼の言葉に聞き入る。


「外の世界に居場所がないなら、作ればいい。君たち自身の共和国を作りなさい。『私たちに命を与えた神は、同時に自由も与えたはずだ』」


 建国の父祖トマス・ジェファソンの文句を引用して壇を降りた名も知らぬ男を、囚人たちは拍手の代わりに歓声を上げて称えた。もっとも、彼らのほとんどは、ジェファソンの引用だとは分からなかったけれど。


 ケイシーだけは、新所長の男を目にして、合点がいった顔をした。それもそのはず、その男は、他でもないブラウンだったからである。



 歓呼を背にして壇を降りた新所長に、困惑した助手が詰め寄った。


「オージー所長!」


「ん? ああ、そうだ、そういえば名前を言い忘れてしまったな」


「そんなことどうでもいいです! 一体どういうことです、彼らを自由にするとは。所から出すと言うのですか」


「まさか、そんな権利、私にはないよ、ブライアン君」


「ではどういうことなんです」


 小柄なオージーよりも更に一回り小さいブライアンは、まるで子供のように答えを急き立てる。


「いいかね、ブライアン君。これは実験だ」


 人差し指を立てて言うオージーには父親のような威厳があるから、なおさらその差が際立つ。


「実験……」


「そう、『自由だけが人を自由に適応させる』。英国の政治家グラットストン卿の言葉だ。アメリカが掲げる『自由』ほど、名ばかりのものはない。だから、我々が彼らに自由を与えなければならない」


 言葉の意味がよく分からない、という表情を浮かべるブライアンに、オージーは訳知り顔で口角を上げた。


「この広場、こんな式典にしか使わないのはもったいないだろう? これを小さなフロンティアに見立てれば、壁の中は小さなアメリカだ。歪んだアメリカを恨む彼らがどんな国を作るのか、興味深いではないか」


 その目線の先では、何が何だか分からないが、何かが変わるのだ、とだけ理解した囚人たちが雄叫びを上げていた。鎖に繋がれながらも放たれるそのエネルギーに、看守たちも身をすくめる思いがした。

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