第2話 最初に退職フォームを配る会社ってほんとにあるんですか

月曜の朝。

雨は上がって、ガラスがやっと静かになってた。俺はもう前の会社の入館証じゃなくて、無機質なICタグをタッチして、新しいオフィスに入った。天井が高い。床がカチャカチャいわない。観葉植物がほんとに生きてる。


「おはようございまーす、今日から入社の雨宮さんですね?」


受付の女性がにこっと笑った。

——そう、ここは「会社に来ないで辞めた人」を受け入れてくれる会社だ。まずそこが違う。


奥の会議室に通されたら、若い社長が先にPC開いてた。

金属フレームの眼鏡、ノーネクタイ、だけど机の上は整ってる。


「早乙女です。ようこそ。いやー、前の会社の話、すごかったですね」


「どこまで聞いてるんですか」


「“生きてるから今日付退職できないって言われた”まで」


「そこか……」


「ね?もう小説じゃん。で、うちは逆。最初に“辞め方”出します」


早乙女がスッとA4を出した。

会社ロゴが上にあって、その下にほんとにこう書いてある。


⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

【退職フォーム】

・最終出社日:__

・理由:仕事/家庭/学業/健康/転居/その他( )

・対面での面談:要/不要

・返却物:PC/カードキー/備品

・今後の連絡:メール/不要


⭐︎ ⭐︎ ⭐︎



「……最初に出すんですか、これ」


「最初に出す。“入るけど、いつでも辞められるな”ってなると、採用が増えるんで。あなたもそれで来たんでしょ?」


「まあ……そうです」


「でもね、僕が作ったのはここまで。あなたが昨日送ってきた“来ないで辞める人用”のやつ、あれもっと精度高い。あれをうちの標準にしようと思う」


「え、もう見たんですか」


「速攻で見た。『退職フォーム_v1(来ないで辞める人用)』ってやつ。“親に行かないでください”って明文化してあるやつ。最高だった」


「……あれ書かないと、ほんとに来るんで」


「来るんだよねぇ、あれね。“来たら何でもできる”って人、どこの時代にもいるから。こっちは“来なくても完了する書類”を作っとく」


そこに、ドアがノックもなくガラッと開いた。


「おはようございまーーす!今日から入社する人ですか!」


髪をハーフアップにした子が、カーディガンの肩をずらしながら入ってきた。目がキラキラしてる。


「水瀬紗良です!土曜は基本ムリです!最初に言っときます!」


最初に言った。笑った。


「……言えるんですね、ここ」


「え、言っていいって書いてありますよね?これ」

紗良が手に持ってたのは、さっきの退職フォーム。

“理由:家庭(通院/買い物)”ってもう書いてある。なるほど、これでいつでもこれらの理由でやめますよ、意思表示ができるのだろう。


「はいはい、席ついて。で、この人が例の、“会社に来なくても辞める人の紙”を作った人ね」


「やば。かっこいいじゃん」


紗良が素で言う。“辞められる”をかっこいいって言ってくれる職場、初めて見た。


「おはようございます」


今度は黒髪ポニテで、タブレット持った子が入ってきた。表紙には“簿記1級 6月”。勉強ガチ勢だ。


「東雲ことねです。土曜の午後は学校なのでリモートか休みでお願いします。あと退職フォームの入力項目、日付のフォーマットは固定でよろしくです」


「固定でいいよ」


「変えられると集計死にます」


即、実務の話になった。俺はうなずいた。分かる。


最後にふわふわしたピンクのブラウスの子がひょこっと顔を出す。


「あ、今日からの人? 雨宮さん? SNSに“入社早々、自作の退職フォームを配ってる”って書いていいですか?」


「やめてください」


「え〜バズるのに〜」


天野ゆい。

プロフィールに絶対“土日は彼氏”って書いてるタイプ。


早乙女が手を叩いた。


「はい3人とも聞いて。今日からこの人が“会社の脱出方法をちゃんと書く担当”です。ちょっと特殊な出身で、“会社に来てからやめろ”って会社にいたんで、その逆を作ってもらいます」


「え、来てからやめろって何」


ゆいがぽかんとする。ことねが説明する。


「昭和型の“送別会で終わらせる”やつでしょ。来ないで辞めると“なんで黙って辞めるんですか”って一週間言われる会社。たぶんそれの強化版」


「強化版?」


俺は息を吸って、昨日の夜のことを話した。


「退職代行を使ったら、いちばん出てほしくない人が出ました。“本日付は死亡のみです、ご存命なので翌営業日以降で”って言われました」


3人、同時に「えっ」。


「で、“連絡が途絶えたらご実家におうかがいします。親御さんに行ってきなさいって言ってもらえれば安心して来られますよ”って」


「こっわ」


ゆいが素で言った。

紗良も「それは会社じゃなくない……?」と眉を寄せる。


ことねは冷静だった。


「それ、会社で説明が終わってないと気が済まないタイプですね。“外で完了した話”を会社に戻そうとする人」


「そう。 “会社に来さえすれば何でもできる”って信じてる人」


「え、それ怖っ。家まで行くんですか」


「普通に行きます。親を味方にして戻させます。『お子さんがいないと現場が回らないんです』って」


「やば。善人の顔してる悪魔だ」


ゆいが即ラベリングした。

——やっぱり、ここに来てよかった。


「で、君はそれに対抗して“来ないで辞める人用”を作ったわけだ」


早乙女がにやっとする。


「はい。親のところに行かないでください、取引先を理由にしないでください、を最初に書くようにしました。昨日もう試しました」


「旧会社に送ったの?」


「送りました。そしたら“君はもう他社さんの社員さんだから、守るべきウチの子じゃない。残念だけど、親には行きません😊”って返ってきました」


3人がまた「こわっ」で揃った。


ことねがペンを持った。


「つまりその人の中での線引きは“うちの子かどうか”だけなんですね。人事でも労基でもなく、“うちの子”かどうか」


「そう。そこだけ常識人です。よその会社には行かないそうです」


「え、そこはマナーあるんだ」


紗良が笑う。


「だからこそ、こっちは“外からも完了する”フォーマットを作り上げる。会社が“来てから”って言っても、“行けませんってフォーマットに書いてあるので”って返せるようにする。そうすれば親に行かれない」


早乙女がうなずく。


「よし、じゃあそれをうちの正式テンプレにしよう。“親に行かれたくない人用”って書くと角が立つから、“対面不要のときに使うやつ”って名前にしとくけど」


「はい」


「で、雨宮くん。旧会社の人、また来ると思う?」


「……来ると思います。“あなたが作ったやつで辞めたい”って言う若い子が行ったら、また親に行きますねあの人。“これ作った雨宮くんとお話できませんか?”って」


「やっぱホラーじゃん」


ゆいがもう一回言った。


俺は退出フォーム_v1を開いて、項目を増やした。


⭐︎ ⭐︎ ⭐︎


• 会社外で完結します

• 親族への連絡を希望しません


⭐︎ ⭐︎ ⭐︎


——ここまで書いておけば、

“来てくれさえすれば何でもできる”って人の手が、ちょっとは止まる、はずだろう。

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