第2話 傲慢の代償と、物陰の聖域
「おい、無能! 荷物持ちはさっさと歩け!」
「はい、ただいま……」
学園の地下に広がる、実習用のダンジョン。
今日は1年生合同の魔物討伐実習だ。当然、戦闘値ゼロの僕は「荷物持ち」という名の雑用係。背中には他の生徒たちの着替えやポーションが詰まった、重い背嚢(はいのう)がのしかかる。
「フン、所詮は実習用。こんな雑魚ばかりでは、俺の【雷槍】の出番もない」
先頭を歩くゼノン・ダレスが、通路の壁に模擬ターゲットが描かれているのを見つけ、つまらなそうにスキルを放つ。B級の雷が走り、ターゲットのど真ん中を焦がした。
「素晴らしいぞ、ゼノン殿!」
「さすがはダレス家!」
取り巻きが騒ぎ、ゼノンは得意げに鼻を鳴らす。
彼の数メートル後ろを、聖女アリア様が涼しい顔で続いている。彼女は実習に参加こそしていれど、その視線は魔物ではなく、驕(おご)るゼノンに向けられていた。
やがて、一行は最下層(といっても10階層)の、最も開けた訓練ホールにたどり着いた。
ホールの最奥には、ひときわ古びた、禍々(まがまが)しい魔力で封印された扉があった。
「——諸君、あれが『封印の間』だ」
引率の教師が、厳かに説明を始めた。
「あれはS級魔物が封じられており、学園の結界で厳重に管理されている。我々の実習は、この手前のホールまで。決してあの封印に近づかないように。では、これより——」
「S級、ですか」
教師の言葉を遮り、アリア様が鋭く扉を睨んだ。
「実習用のダンジョンに、なぜそのような危険物を?」
「そ、それは……このダンジョン自体が、古(いにしえ)の遺跡を流用したものでして……。ですが、封印は完璧です。高位の魔術師が幾重にも結界を張っておりますゆえ」
教師が冷や汗をかきながら説明している、その時だった。
「フン。S級だか何だか知らんが、古臭い封印だな」
ゼノンが、教師の制止も聞かず、封印の扉に近づいていた。
「こら、ゼノン君! 何をする気だ!」
「教師は黙っていろ。どうせ見かけ倒しだろう。俺の【雷槍】が、その『完璧な封印』とやらを破れるか、試してやる」
彼は、自らのスキルがどれほど強力か、アリアに見せつけたくて仕方ないのだ。
その傲慢さが、最悪の事態を引き起こした。
「やめろ、馬鹿!」
アリア様の悲鳴のような制止が飛ぶ。
だが、遅かった。
「喰らえ! 【雷槍】!」
B級の雷が、S級の封印に直撃する。
普通なら、弾かれて終わるはずだった。
——ピシッ。
しかし、封印には、蜘蛛の巣のような小さなヒビが入った。
「な……!?」
ゼノン自身が、まさか効くとは思っていなかったのだろう。顔が引きつっている。
次の瞬間。
ゴゴゴゴゴ……!
ダンジョン全体が凄まじい揺れに襲われ、封印の扉が内側から吹き飛んだ。
溢れ出したのは、これまでとは比較にならないほどの重く、冷たい魔力。
「グルォォォォ!!」
闇の奥から現れたのは、体長5メートルを超える、鋼鉄の鎧を纏ったミノタウロス——いや、S級魔物『封印の執行者(エクスキューショナー)』だった。
「ひぃっ!」
「だ、誰か助け——」
パニックに陥る生徒たち。教師も腰を抜かしている。
「お、俺は……俺は悪くない!」
元凶のゼノンは、真っ青な顔で後ずさるだけだ。
「——【聖裁】!」
ただ一人、アリア・フォン・エルロードだけが、冷静に聖なる光の槍を放った。
S級攻撃魔法。並の魔物なら、この一撃で浄化される。
だが——。
「グガァ!」
執行者は【聖裁】を左腕の盾で受け止め、光の魔力を霧散させた。
「なっ……! 聖属性が効かない!?」
アリアが驚愕の声を上げる。
「まずい! アレは【魔力耐性(レジスト)】持ちだ!」
教師が絶望的な声を上げた。魔術師にとって、天敵とも言えるスキル。
「くっ……!」
アリアは即座に魔法から剣技に切り替える。だが、相手はS級。魔力強化なしでは、パワーもスピードも圧倒的に不利だ。
執行者は、邪魔なアリアを排除しようと、巨大な戦斧(せんぷ)を振り上げた。
「危ない!」
ゼノンは叫ぶだけだ。
聖女アリアが、今、絶体絶命のピンチに陥っていた。
(——まずい、死ぬ)
僕は、物陰に隠れて荷物に擬態しながら、その光景をただ見ていた。
平穏な卒業。
それが僕のすべてだったはずだ。
アリアが死ぬ。
それを認識した瞬間、僕は思考よりも早く、無意識にスキルを発動していた。
(——【魔力障壁(イージス)】)
以前、学園長を【鑑定】してコピーしたS級防御魔法【魔力障壁】。
僕の手元で、それは【絶対防御(イージス)】へと進化していた。
——キィィィン!!
アリアの目の前、斧が振り下ろされる直前に、半透明の青い障壁が出現した。
「グルォ!?」
執行者の渾身の一撃が、障壁に激突する。
凄まじい衝撃音。ダンジョン全体が揺れる。
だが、障壁は。
「な……」
アリアが息を呑んだ。
教師も、ゼノンも、目を疑っていた。
障壁は、傷一つついていなかった。
それどころか、執行者の斧の方が、接点からヒビ割れている。
「な、なんなの、今の……?」
アリアが、防御魔法が展開された方向——物陰で背嚢に隠れている僕の方向——を、疑わしげに見つめる。
(しまった……!!)
僕は全身の血の気が引くのを感じた。
「グルォォォォォ!!!」
自身の攻撃を防がれ、プライドを傷つけられた執行者が、今度は僕とアリアの両方を標的に定め、真っ赤な目で咆哮を上げた。
(最悪だ……! 平穏どころか、学園最強の聖女様と一緒に狙われる羽目になった!)
執行者が、障壁ごと僕たちを叩き潰そうと、再び斧を振りかぶる。
アリアはまだ動けない。
(どうする!? このままじゃ、僕の力がバレる……!)
パニックになる頭で、僕は必死に出口を探す。
視界の端に、恐怖で震えるゼノンと、彼が放った【雷槍】でヒビが入った天井が映った。
(——これだ!)
僕は、ゼノンの無駄な一撃が天井にもたらした、あの「ヒビ」を見逃さなかった。
僕は、背嚢に隠れたまま、右手の指先を、執行者ではなく、ダンジョンの「天井」に向ける。
スキルは、ゼノンからコピーした【雷槍】。
僕のスキル欄では、それは【天雷(てんらい)】というS級魔法に進化していた。
(頼む、バレないでくれ……!)
僕は心の底から叫んだ。
「うわあああ! ゼノン様の魔法で天井が!!」
僕が叫ぶと同時に、指先からS級魔術を、魔力を限界まで抑え込んで放つ。
——【天雷】(出力1%)。
僕のスキルは、天井の一点……先ほどゼノンの【雷槍】がかすめた場所に着弾した。
ピシッ。
天井の岩盤に、小さな亀裂が入る。
そして、
——ゴゴゴゴゴゴゴ!!
まるで連鎖反応のように、その一点からダンジョン全体が崩落を始めた。
いや、「僕がそう仕向けた」。
「なっ!?」
「崩落だ! 逃げろ!」
生徒たちがパニックになる中、執行者だけが頭上の異変に気づき、空を見上げた。
「グルォォォ……!?」
次の瞬間、数トンはあろうかという岩盤が、執行者の頭上に正確に降り注いだ。
ズゥゥゥゥゥン……!!!
凄まじい地響きと粉塵。
それが収まった時、そこには、巨大な岩の下敷きになり、完全に沈黙した執行者の姿があった。
「……」
「……」
アリアも、教師も、何が起きたか理解できず、呆然と立ち尽くしている。
「ふ、フン……! 見たか、アリア様」
ゼノンが、真っ青な顔で、必死に虚勢を張っている。
「俺の【雷槍】が、封印を破っただけでなく、天井の脆い部分をも破壊し、崩落を誘発したようだ。計算通り……いや、少し威力が強すぎたか」
(よっっっし!!)
僕は心の中でガッツポーズをした。
これ以上ない完璧な幕引きだ。
【天雷】の痕跡は崩落で完全に消え、手柄はすべてゼノンが持っていく。僕は「無能な荷物持ち」のままだ。
「……そう。すごいわね、ゼノン」
アリア様が、感情のない声でそう言った。
「カイト」
「は、はいっ!」
突然、アリア様に声をかけられ、心臓が飛び跳ねる。
彼女は、粉塵で汚れた僕の顔を、じっと見つめていた。
氷のように冷たかったはずのその瞳に、今は、燃えるような「疑念」の色が宿っていた。
「あなた。……本当に、ただの荷物持ちなの?」
僕の平穏な学園生活は、まだ、始まったばかりだというのに。
最大の脅威が、魔物ではなく、目の前の聖女様になろうとは、この時の僕は知る由もなかった。
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