第3話 最初の課題
朝日が技術局の窓を斜めに照らしていた。
私は五階への階段を上っていた。
今日は週に一度の全体会議――局員全員が集まる日。
足音が規則的に響くたびに、胸の鼓動がわずかに速まる。
五階の廊下は、異様に静かだった。
先に着いている者は誰もいない。
重厚な木の扉が見える。
その向こうに、技術局という“集合知”が待っている。
深呼吸。
冷たい空気が肺に流れ込む。
扉を押すと、油の匂いと紙の音が混じった。
◆
会議室には、朝の光が差し込んでいた。
長い机。光を反射する金の装飾。
三十人ほどの局員が着席している。
一斉にこちらを見る視線が刺さった。
上座に、レオナルド・フォン・エルドリア局長。
銀の髪、青い瞳。整いすぎたその姿には、冷たさがあった。
隣には副局長のアルフレッド・クロムウェル。
穏やかに見えるが、その眼差しは計算の光を宿していた。
「セリア、こっち」
ミラが小声で呼んだ。
私は末席の空いた椅子に腰を下ろした。
磨かれた木の感触が、掌に冷たかった。
「――始めよう」
レオナルドの低い声。
部門報告が次々と進む。
魔導炉、設計、試作。
数字と符号の羅列。
紙をめくる音だけが、規律のように響いた。
「――そして、軍用開発部からの報告を」
若い技術士官が立ち上がった。
「グレイヴナイト三号機、出力安定率九十三%。ただし、他国製の標準的なマギ・ドライブとの性能差、依然として二割以上です」
会議室の空気がわずかに沈む。
レオナルド局長の指が、机上を軽く叩いた。
「改良は続けろ。――我が王国が、“理屈”に頼る前に済むならな」
その言葉が妙に引っかかった。
“理屈に頼る前に”。
私が歩もうとしている道は、まさにそれだった。
報告が終わった頃、静寂。
局長が書類を閉じ、私を見た。
「では――新人の件だ」
全身の神経が一点に集中する。
「セリア・アーデル」
「……はい」
立ち上がった瞬間、空気が硬くなった。
「君には、試験を受けてもらう」
ざわめき。
「試験……ですか?」
「我が局に相応しいかどうか、確かめさせてもらう」
局長の指先が一枚の紙を滑らせる。
「課題は――魔導灯の改良だ」
その単語が落ちた瞬間、空気が止まった。
魔導灯。王都を照らす基幹魔導具。
誰も軽々しく触れようとしない、“完成された技術”。
「これを改良できれば、君の力は証明される」
「……承知しました」
「期限は――一週間」
ざわめきが弾ける。
「一週間!?」「あの構造を!?」
驚愕と同情が混じった声が、部屋を埋めた。
アルフレッドが口を開きかけるが、局長の一瞥で止まる。
「どうする?」
挑むような眼差し。
私は視線を逸らさず、言葉を選んだ。
「……お受けします」
短い沈黙ののち、局長は小さく頷いた。
「よろしい。一週間後、この場で報告を」
彼が席を立つ。
背筋の通った歩き方。
その残り香のような冷気が、部屋に残った。
◆
会議が終わると、ざわめきが戻った。
数人の局員が私に声をかける。
「一週間は無茶だ」「構造を変えたら壊れるぞ」
笑い混じりの忠告。
それでも、私は微笑んだ。
「ありがとうございます。でも、やってみます」
その一言で、空気がわずかに和らいだ。
「セリア」
背後から声。アルフレッド副局長だった。
周囲が自然と道を開ける。
「無理はするな。期限の延長も認められる」
「いえ、大丈夫です」
言葉が自分でも驚くほどはっきり出た。
アルフレッドは一瞬だけ目を細め、微笑を浮かべる。
「そうか。なら、ちょうどいい機会だ」
声を落とし、続けた。
「来週、王都に客人が来る。古代遺跡の研究者――マイケル・ハンセンだ」
「霊素生成理論の……?」
「ああ。彼が君の技術に興味を持っている」
胸が熱くなった。
ハンセン。あの理論。
ガラン師匠の研究を肯定した数少ない学者。
「試験の成果、楽しみにしているよ」
アルフレッドは軽く肩を叩いた。
「はい」
声が、自然に強くなった。
私は一礼し、会議室を後にした。
長い廊下に、まだ朝の光が満ちている。
足元の影が、少しだけ前へ伸びていた。
◆
机の上に、ひとつの古い魔導灯。
初仕事として与えられた課題――「既存灯の改良」。
要件は三つ。
光量を二割向上、消費魔力量を三割低減、安定稼働時間を維持すること。
表向きは“改良”だが、私はそれを「再設計」と捉えた。
構造を理解せずして、回路を触るのは愚かだ。
どんな機械も、動く理由がある。
理屈を知らずに触るのは、神頼みと変わらない。
「これが……魔導灯」
ミラが横で覗き込む。
ガラス球の内部に霊素結晶が封入され、外周には制御回路。
点灯試験を行うと、光は安定していたが、わずかにちらつきがある。
「ねえ師匠、まずどこを直すんですか?」
「まだ触らない。まず“何が悪いのか”を定義する」
私はノートを開き、既存仕様の分析を書き出した。
――出力変動 ±8%。
――消費魔力量、定格より15%高。
――光量安定制御、一次回路のみ。
「無駄が多いわね」
「改造、じゃなくて解析……なんですね」
「ええ。改造は誰にでもできる。でも、“理解”は時間がかかる」
分解を進めながら、私は内部構造をスケッチした。
制御陣列の重複、入力抵抗の非対称、出力位相の不整合――
どれも“動くこと”だけを目的に作られた設計だった。
つまり、“動けばいい”思想。
「設計思想がない」
「そんなこと、分かるんですか?」
「見れば分かる。論理が散らかってる」
回路の無駄を削るだけなら簡単だ。
けれどそれは根本的な解決ではない。
私はペンを止め、呟いた。
「要件を満たす構造を、最初から作り直す」
「えっ、作り直すんですか?一から?」
「ええ。“再設計”ってそういう意味よ」
◆
翌朝、資料室。
私は山積みの書籍の中から、魔導灯の原型に関する文献を探していた。
タイトルを指でなぞりながら、製造時期と編纂者を照合する。
――『古代光術機構全書(第三版)』
――『霊素循環理論初期稿』
どれも埃をかぶっていた。
数百年単位で改訂されていない。
現代の技術者が“過去の原理”を無視している証拠だ。
私はノートを開き、古文書の図面を現代式に書き換えた。
光の生成過程。霊素の流入と反射。
古代では、光を“燃焼”ではなく“霊振動”として扱っていた。
「……なるほど」
光を“霊素の共鳴現象”と定義すれば、魔力の消費は副次的になる。
制御回路で抑え込むのではなく、共鳴を“誘導”する構造に変えればいい。
理屈が繋がった瞬間、頭の中で電流が走った。
――制御から誘導へ。
これが、再設計の方向だ。
◆
研究室に戻ると、ミラが待っていた。
「師匠、あの……局長室から視察の連絡が来てます」
「レオナルド局長が?」
「はい。“新人の進捗を見たい”って」
嫌な予感しかしなかった。
私は手早く試作に取りかかった。
霊素流路の再配置、制御式の簡略化、負荷分散の最適化。
魔法陣の線を一本ずつ削り、数学式に置き換える。
「それって……魔法じゃなくなってません?」
「魔法は“現象”。理屈は“説明”。どちらかが欠けても成立しない」
最後の符号を描き終えると、装置が小さく光った。
青白い脈動。だが、まだ不安定だ。
「霊素の流量が足りない……」
私は資料のページをめくった。
“位相遅延による共鳴加速”――古代光術で使われた補助理論。
「これを組み込めば……」
私は小型の共鳴板を追加し、結晶を再装着。
点灯スイッチを押す。
光が広がった。
前よりも明るく、均一で、静か。
霊素の揺らぎがほとんどない。
「成功……?」
ミラが呟く。
「いいえ。まだ“動いた”だけ」
私は光を見つめながら言った。
「動くのは結果。理屈は、これから証明する」
◆
午後、視察が始まった。
アルフレッド副局長と、レオナルド局長。
他の技術者たちがざわめく中、私は改良灯を机に置いた。
「これが、新設計の魔導灯です」
自分でも驚くほど、声は静かだった。
点灯。
柔らかな光が室内を満たす。
光量は規定値の二十五パーセント増。消費魔力量は三割減。安定時間、六時間以上。
アルフレッド副局長が眉を上げる。
「見事だ。理屈は?」
「霊素の流入を制御ではなく、共鳴誘導に変更しました。
回路負荷を低減し、熱暴走を防いでいます」
レオナルド局長が、ゆっくりと歩み寄る。
その目は、相変わらず氷のように冷たかった。
「なるほど。つまり、既存理論を捨てたわけか」
「捨てたというより、“読み直した”だけです」
「読み直す価値があると?」
「ええ。現実が動くなら、それが正しい理屈です」
短い沈黙。
その隙を縫うように、年配の技術局員が口を開いた。
「しかし局長、この設計では――」
彼は設計図を指差した。
「空持ちでも作れてしまいますぞ。それでは、技術の威厳が――」
レオナルドの声が、それを断ち切った。
「非魔導適性者、だ」
その響きは、静かに、しかし鋭く空気を切り裂いた。
「何度言わせる」
局員は息を呑み、言葉を失う。
会議室の温度が、ひときわ下がった気がした。
レオナルドは視線を設計図に戻す。
「技術の威厳は、独占によって保たれるものではない。
正確さと、再現性によって保たれる」
そして、私を見た。
「その意味で――この設計は、正しい」
(……なんで?)
胸の奥で、疑問が湧いた。
(なんで、そこまで正確に呼ぶんだろう)
彼の瞳は冷たいままだった。
けれどその奥に、わずかな熱が見えた気がした。
沈黙を破るように、アルフレッドが微笑む。
「セリア。やったな」
レオナルドは机に手を置き、短く言った。
「性能は本物だ。改良灯の量産を試作段階へ進めろ」
そして踵を返す。
「――君のような者がいる限り、この局もまだ死なない」
その言葉は、称賛にしてはあまりに淡々としていた。
けれど、確かに褒め言葉だった。
私は息を詰め、ただその背中を見送った。
◆
夕方。
研究室に戻ると、ミラが目を輝かせていた。
「すごいです師匠!あの局長が褒めたの初めてですよ!」
「褒めてた?」
「はい……たぶん」
私たちは顔を見合わせて笑った。
窓の外、王都の空は夕焼けに染まっていた。
灯を点ける。
柔らかな青白い光が、部屋を包む。
霊素ではなく、理屈で灯る光。
――この一灯が、きっと次の理屈の始まりになる。
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