第2話 技術局の日常
朝日が窓から差し込んだ。
目を覚ます。見慣れない天井。村の部屋より広く、空気が冷たい。
窓の外には、王都の街並み。白い屋根、青い光、遠くには大魔導塔――昨夜見上げた“神の心臓”が、今も脈打っている。
私は窓辺に立ち、深く息を吸った。
重い。
霊素の濃度が高い。
空気を吸うたび、舌の奥に金属の味。皮膚が微かに痺れる。
魔力の低い私には、この街の濃度がよく分かる。
――これが、王都の空気。
魔法文明の中心。
「今日から、正式に技術局員か……」
小さく呟く。声が、朝の静寂に溶けた。
制服に袖を通す。
生地は厚く、縫製は精密。胸の刺繍――歯車と魔法陣の紋章。
理屈と神秘を無理やり一つにしたような意匠。
鏡に映るのは、十二歳の少女。
だがその目だけは、大人びていた。
「……行こう」
◆
宿舎の廊下は、もう人の気配で満ちていた。
研究員たちがすれ違うたびに挨拶を交わす。
「おはよう、セリアさん」
「あ……おはようございます」
昨日の実演を見た者たちだ。
その視線には、期待と警戒が混じっていた。
石畳の道を歩く。
朝の王都は眩しい。
霊素を含んだ光が、街全体を淡く照らしていた。
商人の声、子どもの笑い声。
それらが魔法の煌めきと混ざり合って、奇妙な調和を作っている。
だが――どこを見ても、魔法。
灯り、車、扉、道。
全てが霊素に依存している。
私の目には、それが“脆さ”に見えた。
やがて、目的の建物が見えた。
王国第一技術局。
白い石の五階建て。
外壁には防御と供給の魔法陣が層を成し、青白い光が脈を打つ。
それ自体が巨大な回路だ。
――魔法に守られた、理屈の牢獄。
深呼吸して、扉を開けた。
◆
内部は静謐で整っていた。
高い天井、磨かれた床、肖像画の列。
歴代局長の名が並ぶ。
彼らが築いたのは、魔法に従う理屈――私は、その逆を行く。
三階の研究室に着いた。
扉には真新しい札。
『セリア・アーデル研究室』。
鍵を差し込み、回す。
扉を開けると、柔らかな光が差し込んだ。
机、工具棚、設計台。すべて新品。
窓際には中庭が見える。そこには――ブラス・ウルフ。
「……おはよう」
思わず声が漏れる。
真鍮色の装甲が朝日に照らされて輝いていた。
村の工房で組み上げた機体。ここでは異物の象徴だ。
机にノートを広げる。
放熱系統、関節潤滑、視界補正――課題は山積みだ。
理屈で積み上げ、理屈で超える。
そう書こうとしたとき――
「すみませんっ!」
勢いよく声が飛び込んできた。
顔を向けると、茶色い髪の少女が立っていた。
年の頃は十六、いや、もう少し若いかもしれない。
制服の袖口は焦げ、指先には油の跡。
研究棟に似合わない、現場の匂いをまとっていた。
「私、ミラ・フォージです!弟子にしてください!」
息を切らしながら、床に膝をついた。
「……弟子?」
私は一瞬、言葉を失った。
机の上には分解途中の制御回路。ハンダの煙がまだ残っている。
このタイミングで誰かが訪ねてくるとは思っていなかった。
「昨日、王都の広場で見ました!あの真鍮色の機体――ブラス・ウルフ!」
彼女の瞳が輝いていた。
「動いた瞬間、思ったんです!魔力なんかなくても、理屈で動くんだって!」
――理屈。
その言葉に、心臓が小さく跳ねた。
「ミラさん、あなたは魔導技術科の……?」
「いえ、違います。どこにも所属してません」
彼女は恥ずかしそうに笑った。
「魔力が、ないんです」
「ない?」
「ゼロなんです!まったく反応しなくて!魔導炉も結界も、私だけ素通りします!」
彼女の声は少し震えていた。
――ゼロ。
リオンの姿が脳裏をよぎった。
「……魔力ゼロの人は、ここじゃ生きられないですね」
数日前、私が馬車の中で言った言葉。
それに、エリス先生は静かに答えていた。
“ごく少数を除いて、見たことがないわ”――と。
まさか、その“ごく少数”とこんなに早く出会うなんて。
私は机から立ち上がった。
「どうして私に?」
「あなたなら、わかってくれると思って」
彼女は拳を握った。
「魔法が使えない私にも、何かできるはずなんです。理屈で、誰かを助けられるって――そう思いました」
胸の奥が静かに熱くなった。
無意識に、頷いていた。
「……いいよ。一緒にやりましょう」
「本当ですか!?」
「でも、“弟子”はやめて。ここでは対等。研究仲間として」
ミラの顔がぱっと明るくなった。
次の瞬間、彼女は深々と頭を下げた。
「ありがとうございます、師匠!」
「……聞いてた?」
「はいっ!」
あまりの勢いに、思わず笑ってしまった。
エリス先生が言っていた“ごく少数”。
もしかしたら、私がここに来た意味は、彼女と出会うためだったのかもしれない。
霊素に縛られない体。
魔法の世界で息苦しくない存在。
――彼女は、次の理屈の鍵だ。
◆
ミラの案内で、技術局を回った。
一階――魔導炉研究室。
青白く輝く球体。直径五メートル。
霊素を圧縮し、魔法陣で安定化させる装置。
だが、構造が複雑すぎる。
あれでは誰にも再現できない。
二階――魔法式設計室。
円と三角と螺旋の密集。
どの術式も、複雑に見えて機能は単純だ。
人は装飾で安心する。だが、効率は落ちる。
三階――試作工房。
金属音。火花。熱。
ここだけは、生きている匂いがした。
油と鉄の香り。村の工房と同じ。
私は自然と笑っていた。
「セリアさん、関節の制御どうしてるんです?」
「油圧と魔導流体の並列です」
気づけば議論が始まっていた。
熱く、理屈だけで通じ合う時間。
――こういう場所なら、生きていける。
◆
昼過ぎ。ミラと資料室に入った。
壁一面の本棚。
『古代魔導機装概論』『霊素理論基礎』『機械式駆動装置研究』……
どれも、知識の塊。
私は一冊を手に取って、呟いた。
「これが、積み上げられた理屈の山……」
ミラが笑う。
「師匠、目が輝いてますよ」
◆
試作工房を抜けた先――格納区画。
天井の高い空間に、銀灰の巨体が三機、整然と並んでいた。
胸の霊素炉が脈動し、青白い光が壁に反射している。
「あれは……?」
「グレイヴナイトです。王国軍の主力マギ・ドライブ」
当然、私は動かせませんけど。なんて言いながら、ミラが誇らしげに答えた。
「魔法炉だけで動く、完全魔力駆動式の機体。搭乗者の魔力量に応じて性能が変わるんです」
セリアは無言で見上げた。
動力炉の脈動に“生気”はなかった。
ただ燃える霊素が、器を無理やり動かしている。
「でも――」ミラが少し顔を曇らせる。
「他の国のマギ・ドライブは、これより出力も反応も上なんです。
だから局長たちは焦ってるんです、“理屈で差を埋められないか”って」
セリアはしばらく沈黙したあと、ゆっくり口を開いた。
「差を埋めるんじゃない。――“仕組み”から変える」
その瞳の奥に、確かな光が宿っていた。
二人が去ったあと、格納庫には霊素の脈動だけが残った。
静かで、けれどどこか不安定な光だった。
◆
夕暮れ時。
技術局を後にした私は、宿舎の食堂にいた。
長いテーブルに温かな照明。
食器の金属が、微かに反射して光っている。
向かいには、エリス先生。
パンとスープ、焼き魚。
香ばしい匂いが、油と紙の匂いに慣れた鼻にやさしい。
素朴だが、心が満たされる味だった。
「セリア、初日はどうだった?」
「すごく……刺激的でした」
自然と笑みがこぼれた。
ミラとの出会い。
技術局の構造、魔導炉の理屈。
話すたびに、先生は静かに頷いた。
まるで“報告”というより、“確認”のように。
やがて、先生の瞳が少しだけ真剣になる。
「ねえ、話しておきたいことがあるの」
その声のトーンで、空気が変わった。
私はスプーンを置き、背筋を伸ばす。
エリスはゆっくりと語り始めた。
――王都の歴史。
魔法至上主義がすべてを支配していた時代。
ガランがその中で技術革新を試み、教会の圧力で追放されたこと。
理屈は異端で、機械は罪だった。
それでも、彼は止まらなかった。
そして、停滞の果てに起こった“変化”。
十年前、霊素濃度の低下が確認され、
五年前、戦争で王国は初めて敗北した。
「魔法だけでは、国を守れなかったの」
その言葉が、静かに胸に落ちた。
魔法の時代が、終わりを告げている。
理屈の時代が、ようやく顔を出した。
「アルフレッド副局長は、ガランさんの弟子筋よ」
エリスの声が少し柔らかくなった。
「彼が中心になって、技術研究が再開されたの。今の王都は、二つに分かれているわ」
先生の目に、青白い光が映る。
「技術派と、保守派」
「あなたがいる技術局は、もう“異端”じゃない。今や、技術派が多数派なのよ」
スプーンを握った手に力が入った。
喉が熱くなる。
「じゃあ……師匠の研究は……?」
「ええ。正式に再評価されはじめている。今日、私も聞いたばかり」
エリスは微笑んだ。
「あなたのブラス・ウルフが、それを証明したのよ」
視界が少し滲んだ。
長い時間を経て、ようやく。
師匠の“理屈”が届いたのだ。
「……師匠に伝えたいです」
「手紙を書きましょう。きっと喜ぶわ」
二人の間に、しばし静寂が落ちた。
スープの湯気が揺れ、光がそれを透かす。
「でもね、先生」
私は少し俯いた。
「本当は、兵器を作るのがあまり好きじゃないんです」
「……」
「誰かを壊すより、誰かの生活を支えるものを作りたい」
エリスはゆっくりと頷いた。
「分かるわ。でも今は、国が生き残るための戦いの時よ」
その声に、情ではなく理屈があった。
「戦争が終われば、あなたの技術は民の役に立つ。
道路を造り、荷を運び、家を建てる――その全てが、ブラス・ウルフの延長線上にあるの」
私は息を吐いた。
「……無駄じゃない、ですね」
「ええ。どんな形であれ、“作る”という行為は未来を残すものよ」
その言葉が、心にすっと染みた。
熱ではなく、静かな説得力だった。
「それなら、頑張れそうです」
自然と、口元が緩んだ。
「そういえば」
ふと思い出して、私は言った。
「技術局で、“マイケル・ハンセン”という名前を聞きました」
エリスの目が少しだけ細くなる。
「ああ、懐かしいわ。雷系統の魔法技術者ね。古代文明が霊素を人工的に生み出していた可能性を追っていた人」
「ブラス・ウルフの装甲材――オルカニウムが鍵になるって、聞きました」
「そう。彼は“結晶構造が霊素を引き寄せる”と考えていた。まだ仮説だけれど、もしそれが本当なら……」
「霊素枯渇の問題が、解決できるかもしれない」
二人の声が、ほとんど同時に重なった。
沈黙。
灯りの下で、湯気がゆっくりと揺れる。
「セリア」
エリスの声が静かだった。
「あなたの技術は、この国の未来を変えるかもしれない」
「……そんな大きなことを言われると、少し怖いです」
「焦らなくていい。結果で示しましょう」
彼女は杯を傾けた。
「あなたが作るものが本物なら、誰も否定できない。レオナルド局長でさえ」
その名前を聞いた瞬間、私は少し笑ってしまった。
「はい。いつか、納得させてみせます」
二人は再びスープを口に運んだ。
温かな香りが漂い、夜の静けさがゆっくりと戻ってくる。
窓の外では、王都の灯が青白く瞬いていた。
――理屈の時代は、もう始まっている。
◆
夜。部屋に戻り、ノートを開いた。
ミラの笑顔、工房の音、エリスの言葉。
全部を書き留める。
『短期目標:国防技術の確立』
『長期目標:生活インフラの改善』
『最終目的:魔法に頼らない文明の再構築』
ペンが止まる。
窓の外には大魔導塔。
青白い光が、静かに揺れていた。
あの光は永遠ではない。
霊素の枯渇。五十年後、この塔は沈黙するだろう。
「だったら、私が次を作る」
呟いた声が夜に溶けた。
「理屈で、神秘を超えるために」
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