第14話邪龍教団
夜の帳が降り、街灯の明かりが石畳を淡く照らしていた。
その道を、勇者リースはひとり歩いていた。酒場での打ち合わせを終え、宿へ戻る途中――ふと裏路地から奇妙な声が聞こえた。
「……あなた、勇者カイル殿を殺したがってますね?」
リースは反射的に剣の柄へ手を伸ばした。
「誰だ!」
闇の中からゆっくりと姿を現したのは、黒いマントを羽織った老人だった。
「お待ちください。私はあなたの敵ではありません」
静かな声にわずかに警戒を緩めると、老人は微笑を浮かべて言葉を続けた。
「もし私の話に興味があるなら、どうぞこちらへ。――きっと、あなたの役に立ちます」
そう言って老人は裏路地の奥へ消える。半信半疑のままリースが後を追うと、そこには古びた扉が一つ、ぽつりと現れていた。さっきまでは確かに何もなかったはずだ。
――これは、魔法か?
訝しみつつ扉を押すと、中には円卓を囲む黒衣の男女がいた。彼らの視線が一斉にリースを捉える。
「おい、じいさん。こいつが例の新人か?」
少女のような声が響く。
「ほっほっほ。新人ではありません。ただの“お客人”ですよ」
老人がそう言って笑った。
「……ここは何だ?」と問いかけるリースに、老人は愉快そうに答える。
「ここは“邪龍教団”の円卓。ようこそ、勇者殿」
耳慣れぬ名に、リースの眉がひそめられる。
「邪龍教団……? あの、神に逆らった九頭の竜を崇める狂信者どもか」
「狂信者などではありませんよ。私たちは“真実の探求者”です」
老人の声には確信があった。
「そんなことはどうでもいい」リースは低く言い放った。
「俺が聞きたいのは一つだ。――勇者カイルを、殺せる方法を知っているか」
リースの問いに、老人はゆっくりと目を細め、まるでそれを待っていたかのように微笑んだ。
「はい。しかし――」
「勇者カイルを殺すには、あなたの実力では、まだ“確実”とは言えません」
「……何だと?」リースの目が鋭く光る。
「俺がカイルを殺せない? あいつはただの回復魔術師だ。俺は剣士だぞ。そんな馬鹿な話があるか!」
「いいえ」老人の声は静かに、しかし冷たく響いた。
「彼は――もう昔の彼ではありません」
リースは眉をひそめた。
「どういう意味だ」
「“モドル王国”で、彼の魔法が覚醒したのです」
リースは思わず息をのんだ。
「……魔法が、覚醒?」
「魔力が増した、という単純な話ではありません」老人はゆっくり手を広げる。
「“魔法の解釈”が拡張されたのです。彼は、もはや回復魔法を“癒し”だけに使ってはいない」
「……何を言ってる」
「あなたの知る『治癒』の範囲を超え、彼の魔法はすでに“世界”に影響を及ぼしている」
「世界に……影響を?」リースの声がわずかに震えた。
「ええ。それは大賢者の領域に踏み込みつつあります。たとえば彼が“癒す”と定義すれば――“死”すらもいずれ回復の対象となるでしょう」
その言葉に、リースは絶句した。握った拳が震えた。
「……そんな化け物を放っておけるわけがない」
老人の唇がゆっくりと吊り上がる。
「ええ。ですから――私たちは、あなたに“協力”を申し出ているのです。勇者リース殿」
「そこで、彼の弱点を見つけました」
「弱点?」思わずリースは尋ねた。
「そうです。彼の“守るべきもの”を突けば、彼は簡単に崩れるでしょう」
――老人がそう言うと、リースは少し笑った。
「はっ。カイルは天涯の孤独者だ。拾ってやったのは俺だ。あいつに守るべきものなんてあるはずがない」
「いいえ、違います。こちらをご覧ください」
老人は巻物を取り出し、そこに描かれた絵を差し出した。白髪の美しい少女が一人、そこに描かれている。
「……なんだ、これは」
「これは、彼の妻です」
「何? あいつ結婚していたのか?」
「はい。この女を連れ去り、人質にすれば、彼は私たちの要求を丸呑みするでしょう。たとえそれが――死を願うことであっても」
円卓の間は緊張に満ちていた。蝋燭の炎が揺れるたび、巻物に映る白髪の少女の顔がちらつく。老人が静かに指示を始めると、周囲の者たちが一斉に身を乗り出した。
「まずは情報の精査です」老人は低く言った。
「カイルの行動パターン、診療所の開閉時間、リゼットの外出スケジュール――我々は既にかなり掴んでいます。ですが、実行のタイミングが勝負です。もし人質作戦がカイルにバレたら、この作戦は失敗です」
円卓の一人が短く頷き、薄い巻物を取り出した。そこには診療所前の地図、裏口の有無、夜間照明の位置、通りの見通しの良し悪しが細かく記されていた。リースは黙ってそれを受け取り、指で通り道をなぞる。
「役割はこうだ」老人は分刻みで割り振った。
・監視班(二名)――診療所周辺の足取りを最終確認、異変があれば即通報。
・誘導班(一名)――カイルを診療所外へ誘い出す。普段の患者を装って声をかける。
・確保班(二名)――誘導が成功した瞬間、カイルの妻を素早く押さえ込み、拘束。
・護送班(二名)――人質を確保した後の搬送と、脱出経路の確保。
老人の言葉は無駄がなく、実行性だけを残していた。リースは地図に指を置き、冷静に確認する。心の奥の怒りは静かに燃料を注がれ、眼差しは鋭くなった。
「人質の引き渡し場所はどこだ?」リースが問うと、老人はある一区画を指した。郊外の古い納屋――夜は人気がなく、抜け道が多い。危険だが回収には都合が良い。
「信号はどうする?」リースが続ける。
「満月の前夜、夜十一時。あなたの合図で誘導班が動き、十時五十分には確保班が所定位置に就く。成功報酬は約束通り」老人は淡々と答えた。
だが、細部はすり合わせが必要だった。リースはメンバーに小声で細かい指示を出す。囁き合う声は、次第に作戦書のような確信を帯びていった。
「万が一のときはどうするんだ?」監視班の一人が呟いた。
「撤退です。人質を失うわけにはいきません。最悪の場合は強行は見送る」老人は背筋を伸ばして答えた。「ですが、今回は成功確率を最大にしてあります。リスクは最小にしました」
リースはその言葉を受け、静かに笑った。笑いにはもう慈しみも含まれていない。代わりに、かつての誇りを取り戻すための冷たい決意があった。
準備は夜通しで進められた。見張りの位置、抜け道の情報――細かな工夫が円卓の者たちの手で用意された。リースはそのすべてを確認し、最後に白髪の少女の絵を胸にしまってから立ち上がる。
「これならやつを殺せる」と確信し、リースは村へ向かった。
カイルは診療所を開いており、なかなか繁盛しているようだ。誘導班の作業は順調に進んでいる。リースはニヤリと笑い、低く呟いた。
「よし、作戦開始だ」
この度は『ただ回』をご愛読いただき、心より感謝申し上げます!
【自撮り少女と風景写真】も公開中です!高校生のカメラについてのお話で楽しめる、美しいと醜いをテーマにした物語です。ぜひ私のユーザーページから、次の物語も覗いていただけると嬉しいです!
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