第2話 杉本未来、デイト相手をすっぽかしたつもりが相手にすっぽかされる

 〈第1話から続く〉



 約束の時間は過ぎていた。ジュードという女はまだ来ない。


 未来が男を自分の代役に立てたのは、健司になりすましたネナベであるから当然のことだが、10歳も年下の男の子を選んだのは、頼み事をし易いということもあったが、29歳の年齢だけは本当のことを告げている未来の軽いシャレのつもりもあった。


 そしてジュードはこの若い男に聞いて愕然とするだろう、自分が同性相手にチャットしていたと知って。


 また女相手にデイトをしようとしていたことを知って。


 青年はまだベンチに腰かけたまま、未来が渡した目印の赤い布袋を所在なさそうに折り畳んだり、広げたりしている。


 約束の時間を10分過ぎて、私がジュードならこのくらいの時間に姿を現すだろうと未来が思っていたまさにその時、1人の女の子がどこかから現れ、その青年に話しかけた。


 手に提げた四角い、お菓子かスイーツの詰め合わせのような化粧小箱を彼に渡そうとしている。


 未来は呆気に取られた。


 30歳というジュードの年齢よりも遙かに若い、女子学生みたいな女の子だったので、一体何が起こっているのか理解出来なかった。


 もしかしたら未来が代役を頼んだこの男の子も元々待ち合わせをしていて、その待ち人が来たのかもしれないと思ったりした。


 その青年と女の子は、揃って駅の方へ向かった。


 未来はその場で、今の成り行きがどういうことなのか、考え続けた。


 駅前のスクランブル交差点は歩行者用の青になり、音楽と共に洪水のように四方から人が集まり、交差して、また四散していた。


 その時、不意に声をかけられた。


 「あのぅ・・・この袋、お返しします」


 声をかけてきたのは、さっき未来が代役を頼んだ青年だった。そばには女の子もいる。


 「えっ?いや、私・・・」


 未来は咄嗟に首を振った。私じゃないわ、というように。


 「いえ、あなたでした。ぼくはずっとあなたの姿を追っていたのですから。1度駅の方へ向かったけれど、またここに舞い戻って来たじゃないですか」


 「いえ。その・・・」

 未来はしどろもどろになった。


 舞い戻って来たと言われたことに、顔が真っ赤になった。


 「あのぅ・・・これ、預かったのですが」


 女の子が未来の方へ、美しい模様の描かれた小箱を差し出した。


 「預かったって、誰に?」


 未来が聞いた。


 「女の人です。約束の時間に行けなくなったから、代わりに行って渡して欲しいって」


 「どこで?」


 未来は女の子の言った言葉の方が気になって、この場から一刻も早く逃げ出したい心境に駆られた。


 もしかしたら未来が青年に代役を頼んだ現場も見られたかもしれないし、ネナベということもバレたかもしれない。


 「東急プラザのスイーツ店の前です」


 女の子は小箱をさらに突きつけてくる。


 「そう。ありがとう。それはあなたに差し上げるわ。ところであなたたち、知り合い?」


 「いえ。今、知り合ったばかりです。ぼくはあなたの身代わりで、彼女はその人の代役で、ちょうどいいからデイトの真似事でもしようって話していたところです。何てったって今日は花金ですからね」


 若い男女は顔を見合わせて笑った。


 「そう。結果的にだけれど、いいキューピット役になれて良かったわ」


 未来が言うか言わないうちに2人は手を繋いで去って行った。


 未来は2人が去ったのを確かめてから、慎重過ぎるほど慎重になって、人混みの中に紛れ込んだ。


 以前1度、跡をつけられたことがあったのでより気をつけるようになっていたが、頭の中はさっきの予測も出来ない展開のせいで、まだ真っ白だった。


 「お姉さん」


 その時いきなり背中を叩かれて、未来は体を強ばらせた。


 振り向くと、妹の次子がいた。

 友達らしい3人の年頃の女性もそばにいる。


 「あら次子、びっくりするじゃない」


 未来はまださっきのショックを引きずっていて、ちょっと怒ったような声になった。


 「だって呼んでも知らん振りなんだもの」


 次子は怒られたことに不満げに、唇を尖らせた。


 「こんな所で何をしているの?」


 未来が聞いた。


 「残業だったの。で、今から3人で女子会」


 「女子会って、あんた丸の内なのにわざわざ渋谷で?」


 3歳下の次子は医者を嫌って文系の大学を卒業して、丸の内で商社勤務をしていた。


 「だから丸の内はおじ様族が幅を利かせているんだもの。やっぱり渋谷でなくっちゃね。お姉さんこそこんな所で何をしているのよ。縄張テリトリーを相当外れているわ」


 「うん。学生時代の友達とお茶を飲んだの」


 「そ。今から帰るの?」


 「うん」


 「じゃ、私は遊んでくるわね」


 「早くお帰りなさいよ」


 「お姉さんと違って私は両親の監視付きなのよ」

 バイ、と次子は手を挙げて、2人はその場で別れた。


 未来はそのまま改札口を入り、JR秋葉原に近い岩本町のマンションへ戻った。


 実家は港区なので勤務先からそう遠くはなかったが、病院まで歩いて3分という地の利があり、大学の医局から父親の経営する病院へ移るという条件を飲む代わりに、1人暮らしの権利を勝ち取っていた。


 2年前に父親が用意してくれたマンションなのだが、将来のことも考えて4LDKなので、1人暮らしには贅沢過ぎるほどである。


 未来はそのまま机の所へ行き、パソコンのスイッチを入れて、立ち上がる間にブラウスを脱いだ。


 そしてブラジャーのままメッセンジャーソフトにアクセスした。


 すぐにオフラインメッセージが表示される。ジュードからだった。


 〈ゴメン。行けなかったわ。急にクレーム処理で呼び出されたの。スイーツ、届いた?ちょうど健司への手土産を買ったあと、待ち合わせ場所へ向かっていたとき呼び出されたものだからそばにいた女の子に言付けたのだけれど、届かなかったら、ゴメン。もう会う気、なくなった?だから携帯ラインでチャットしようって言ったのに〉


 〈それはよかった。実はぼくも行けなかったんだ。こっちも緊急な仕事が入ってさ〉


 その文面で未来は1度返信して、ジュードからの返信を待った。


 10分前にメッセージを送ってきたのに、ジュードの方は既読にならない。


 が、だからと言って気は抜けない。


 未来もちょくちょく使う手だが、わざと既読せずに相手の出方を窺うことはよくあることだった。


 確かに携帯で遣り取りすればこんな時には便利だが、どうせジュードの前から姿を消すことがわかっているので、携帯番号の公開は断っていた。


 返信の返信はない。


 ジュードがじっと息を潜めてこのメッセージを眺めているのか、それとも本当にパソコンの前にいないのか、わからない。


 もしかしたらシャワーでも浴びているのかもしれない。


 未来自身も外出のあとはシャワーを浴びてさっぱりしたいくらいだから、女のジュードがそうしていても不思議ではない。


 未来は返信がないので、メッセージを続けた。


 〈会う気、モリモリだよ。近いうちにスケジュールを合わそうよ〉

 未来はそれでジュードとのラインを落とした。


 彼女は手土産を持たせるという洒落たことをするジュードという女性を、益々見たくなった。


 それにジュードという男系の名前を敢えてハンドルネームにする彼女の気質にも、興味を持っていた。


 ともあれ独りで過ごす花金のわびしい夜を、今週はこうした劇的な出来事で埋めていた。


 体内に活力が漲ってくるとまではゆかないにしても、乾いて今にもひび割れ寸前の心にほんの少し、湿り気を与えるくらいの水分補給は出来ていた。


 〈第3話へ続く〉

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る