第35話 メリアン、宣戦布告
プロイデンベルク軍
「追撃がなくて助かりました。一息付けます」
ナイディンガーの安堵の声を聞きながら、エルウィンは複雑な表情を作る。
「煌敦まで戻るとして、補給が滞っている現状がある以上どこまで食い止められるか」
「各部隊撤退中ですので、帰還したら残存兵力を確認したいと思います」
「ああ、頼んだよ」
酒湖を振り返ったエルウィンは長嘆息し呟く。
「翔陽の事を完全に侮った。私のミスだ!」
「師団長すらこなしたことが無い暗記力だけある女性が司令官……翔陽によくいるタイプ……そう思っていたのだが、まさかこのような結果になるとは……」
エルウィンの乗る指揮車に伝令のFMWの魔動2輪が横にピッタリついて並走する。
「ん、どうした?」
エルウィンはその存在に気が付くと窓を開け、身体を乗り出す。
「司令、大変です!」
伝令の緊迫感溢れる表情からただ事ではないことは感じ取れた。
「何だ、聞こえないよ」
FMWの爆音で声がかき消されて上手く届かない。
「司令……」
発動機の動力を落とし、ありったけの大声で伝えるとエルウィンの表情が驚きと絶望の入り混じった顔になった。
「……何という事だ」
酒湖
「さすが陛下、ありがたいのう」
「おお、五臓六腑に染み渡るこの味! 生きててよかった」
「酒は人生の燃料だよ」
「まちがいねぇ!」
生き残った兵たちに皇帝からという事で特別食とわずかながらのお酒がでると、見張りの兵以外の兵たちは思い思いの仲間達と一時的の休息を楽しんだ。
「あいつら羨ましいなぁ」
「早く交代してぇなぁ」
「本当だよ」
そんな中、通信兵が目の前を走りすぎる。
「どうしたんだ?」
「……さあ、な」
速度の乗った足を動かしながら、騒ぎ立てる人をかき分けながら進んでゆく。
軽快に砂を蹴って進む先は司令官のテント。
遠くから護衛兵に挨拶し、そのまま息せき切って走り込むと椿はあいにく席を外しており、真好が代わりに執務を代行していた。
「はあはあはあ、え、えっと」
通信兵は呼吸を整えつつ話しかけようとするも、どう対応してよいかわからず苦慮していると、その様子を見た真好が声をかけた。
「若いのは元気だな。どうした何かあったか? 代わりに聞くぞ」
通信兵はどうしようかと少しの間悩んだ。かつての英雄の姿は新聞や雑誌で散々見てきたので知っていた。ただ機密を話してよいかの判断が彼ではつけられなかった。
「忠実だな。それもよし」
真好は通信室に自ら連絡を取り、そこの長に渡りをつける。
「あー、私だ、秋川だ」
「これはこれは、真好さまですよね?」
「ああ、君の所の若いのが来たのだが、孫娘は今出払っていてな、このまま帰って来るまで待たすか? 私で良ければ聞いておくが」
「それでしたら、軍令では司令に直接話すことになっておりますので、大変心苦しいのですがその場で待たせて下さい」
「うむ、わかった」
電話を切ると真好は「戻って来るまで待てとの事なので、しばらく待ってくれ」と言って執務に戻る。
「ありがとうございます」
この手の待ち時間はサボっていると疑われると、どやされることになる。ましてや今のようなお祭り騒ぎの日はなおさらだ。それに対しそれとなく釘を刺してくれたのだ。通信兵はそのさりげない優しさを感じて感謝をした。
「ふふ、気にするな」
しばらく経つと、椿と梢が戻ってきた。
「司令、報告が入っております」
通信兵に気付いた椿は、母を振り返り「お母さま、国家の軍法ですので、聞かせるわけにはいきませぬ。外でお待ちください」というと、梢は納得のいかない顔で「ダメなの?」と聞いてきた。
「ダメです!」
椿に背中を押されて外に追い出されると「いけず。娘は母に冷たい」と呟き不満げに押されていった。
「なら、海に頼んでください」
弟の名前を出しテントから母を出すと改めて通信兵に向き直る。
「聞きましょう」
「それでは、報告します……」
椿と真好はその内容に驚き、2人して皇帝の元に報告に言った。
「このような時間にどうした」
皇帝は姿勢を崩さずにこやかに2人に話しかけた。
「夜分遅く申し訳ございません。先ほど、参謀本部より連絡があり……」
「メリアンがプロイデンベルクに宣戦布告したことなら伺ておる」
2人は頭を下げ「騒ぎ立てて申し訳ございません」と謝罪の言葉を申し上げると、途中でその言葉を制して「この度の大戦、秋川家に世話になってばかりだな」と言って微笑んだ。
事情が分からずに椿と真好は顔を見合わせる。
「まだ聞いておらぬか? こたびのメリアン参戦は、そちの身内の秋川海に関わっている」
「そちたちの家族は浮遊空母撃沈の功ばかりではない、どの様な色男なのか朕も見て見たいものだ」
なおも混乱する2人に皇帝は静かに種明かしをした。
「海はどうやらスチューザンのマナンプトン侯爵令嬢のマーガレット殿と恋仲だったようなのだ」
「プロイデンベルクの浮遊空母ツェッペリンは強力な魔法障壁を備え、それを打ち破るのにマーガレット殿は自らの身を犠牲にして障壁を打ち消す爆弾を当てたそうなのだが、その時直掩隊を買って出たのが海で、彼はツカポンを何度も打ちつつマーガレット殿を狙う敵を落とし続けたそうだ」
椿と真好は何とも言えない顔を見せると、皇帝は姿勢を正し「身内が大変な事になっておるのにすまない」と言うと真好は「いえいえ、海は軍人ですので死ぬのは厭わないのですが、スチューザンの貴族のお嬢様に迷惑をかけたとなると」と困惑した声を出した。
「そちだって元々武士ではないか、気にしてはならぬ」
皇帝は真好をそうなだめると、続きの言葉を紡いだ。
「メリアンはその活動写真のような悲恋の物語を聞いて世論が沸騰し、今朝の議会で参戦が承認されたそうだ」
しばらくして2人は何とも言い難い表情を浮かべテントに戻ってきた。
「……言いたいことわかる?」
そこにはプリプリと怒りを隠そうともしない梢の姿があった。
「ごめんなさい、お母さま」
そう言うと母を引っ張ってテントに入る。
一部始終を話すと、梢は目に涙を溜めてうんうんと頷き「お義父さま、早く帰りましょう!」とすぐにでも帰る勢いで迫ってきた。
「だって、海はツカポンの過剰摂取で死んじゃうかもしれないのでしょう。海を助けないと!」
梢は言い出したら聞かないところがある。
「椿さん、落ち着いて、海は帰って来るのは船便ですから時間がかかります。今帰っても戻っておりませんよ」
なぜか丁寧語になる真好を子供のような不機嫌な顔で睨み、黙り込む梢を見て椿は落ち着いて「お母さま、お爺様は私がいますので大丈夫です。輸送帰りの魔動車に乗って帰られたらどうですか?」と助け舟を出した。
「そうじゃ、私は大丈夫だよ」
そう言って力こぶを出す真好に、梢は納得しないながらも従う姿勢を見せた。
「わかりました、私は海のために一足先に帰ります。どこに行けばよろしいのですか?」
2人はため息をつき「こちらで手配するから気にしないで」と説得した。
翌日、第038師団の負傷兵と共に帰る梢を見送る。
「お母さまお元気で」
「元気そうな椿も見て安心しました。元気でね」
キュキュキュブルン
発動機にエネルギーが注入されると、勢いよく動き出した。
「お母さま、さようなら」
「梢さん、元気でな。海が戻ってきたら便りをくだされ」
「お義父さま、椿、お元気で」
窓の外に乗り出して、大きく手を振る梢を見守りながら2人小さく手を振る。
「機嫌が直っていてよかった」
「まあ、根に持つような人柄ではないしな」
「何に対しても真剣で真っすぐ、それがお母さまのいいところでもありますから」
「私は陛下の命で来ているので帰れんしのう。仕方がない」
「ですね」
魔動車の集団は徐々に小さくなってゆき、目視で確認できなくなった。
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