第3話


 見知らぬ天井。

 木造の梁、湿った空気、そして遠くで響く人の声。


 体を起こすと、硬いベッドが軋んだ。

 俺は額の汗を拭いながら、状況を整理しようとする。


「……ここは、どこだ?」


 部屋の隅には、革張りの机。

 書棚には分厚い帳簿がぎっしり詰められている。

 そして机の上には一枚の書状。


 “リュミエール支部長 バルド・ランツ”


 俺は凍りついた。


「バルド・ランツ……? って、あの悪徳ギルマスの?」


 喉の奥が乾く。

 思わず、口の中で呟いた。


「うわ、よりによって……」


 よりによって、

 よりにもよって、あのクズギルマスか。


 バルド・ランツ――

 原作アドベンチャー・クロニクルにおける、悪名高い人物だ。


 金に汚く、冒険者を駒扱いし、

 あげくの果てに王国の査察で罪を暴かれ、牢屋で一生を終える。


 物語中盤、プレイヤーが“ギルド改革クエスト”を進めると、

 その犠牲になるキャラクター。


 つまり、いずれ破滅する運命の男。


 よりによって、そんなやつに俺は転生していた。


 ……と、そこまで考えたとき、ふと違和感を覚えた。


「ん? なんか、時期がおかしくないか?」


 記憶を掘り返す。

 原作でバルドが失脚したのは、確か就任から二年後だったはず。

 そのころにはギルドの評判は地に落ちていた。

 冒険者たちは離反し、職員も汚職だらけ。


 だが――今のギルドはどうだ?


 部屋の外からは、まだ活気のある声が聞こえる。

 帳簿の表紙には“就任一ヶ月目”と書かれていた。


「……まだ、始まったばかりか」


 そうか。

 俺は“悪評がつく前のバルド”に転生したのか。


 ギルマスになりたて。

 部下たちはまだ希望を持って働き、

 冒険者たちも不満を抱えながらも、ギルドに期待している。


 つまり――今ならまだ、やり直せる。


 胸の奥がざわついた。

 俺は机に置かれた羽ペンを手に取り、つぶやく。


「やっぱり……原作知識があるってのは、いいことだな」


 この先、どう動けば破滅を避けられるか、俺は知っている。

 どんな取引が危険で、どんな相手に近づけば命取りになるか。

 そして、どのタイミングで査察が来るかも。


 つまり――俺は未来を知っているギルマスだ。


「ふふ……これなら、まだ生き延びられる」


 俺はにやりと笑った。

 悪徳ギルマスになる未来を、俺が“保身のために”塗り替える。


 そうだ、保身こそが俺の生きる道。

 この異世界で、俺は“逃げ続けて生き残る”ことを選ぶ。


 生きるために、金を動かす。

 捕まらないために、正義を演じる。

 評判を保つために、誰よりも“誠実”を装う。


 それが、後に“英雄ギルマス”と呼ばれる男の、

 最初の一歩だった。



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